浅草駅のホームの光が電車の後ろへ消えて去ると、祐子は小さく息を吸 い込んだ。 もう、戻らない。 もう、ぜったい、あの人のところには戻らない。 なんべん殴られただろう。なんど蹴られただろう。ものを投げつけられ、 唾を吐きかけられ、服を引き裂かれ、髪を持って引きずり回された。 会社では、ろくすっぽ口もきけない人が、家に帰ると別人になる。 食わせてやっているなんて、よくそんなことが言えるものだ。毎月毎月、 5万、10万と実家から援助をもらって、それでようやくやっているんじ ゃないか。なにが、食わせてやってる、だ。 祐子は、横の英介に目をやった。 英介は、祐子の腕に寄りかかり、とろんとした目を正面のシートに向け ていた。 この子のためにと思って、ずっと我慢してきた。 お義母さんが、辛抱してくれと言う理由も、いつも英介のことだった。 「つらいのは、よくわかるわ」 なにが、あなたにわかるの? 殴られたことがあるの? 抜けるほど髪をつかまれたことがあるの? あなたの息子じゃないか。あの人は、あなたが育てたんじゃないか。あ んな人にしたのは、お義母さんじゃないか。 英介のためなんて、あなたの口から聞きたくない。 そう、この子のためにも、もっと早く家を出るべきだった。 なにも言わないけれど、この子もきっと苦しんでいる。毎日のように父 親が母親を殴っているのを見て、すごく傷ついているに違いない。 ごめんね、と祐子はもう一度英介を見た。 母親の腕にもたれたまま、英介は小さな寝息を立てはじめていた。 「お待たせしました。銀座線、ご利用いただきましてありがとうございま す。この電車は、上野、日本橋、銀座、赤坂見附方面、渋谷行です。お出 口は、途中、末広町まで左側です。まもなく田原町、田原町です」 アナウンスの声に、腕に触れている英介の肩がピクリと動いた。 |
![]() | 山脇英介 |