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どうにかして、矢萩の怒りをウチの亭主に向けさせなきゃ。
加奈子は、必死でそれを考えた。
あたしが、この人と一緒に、亭主の前に出て行ったりなんかしたら、な
にもかもオジャンになっちまう。
あの人は、キンタマ縮み上がらせて、あたしに許してくれと言うだろう。
矢萩にも、畳におでこをすりつけて詫びるに違いない。そういう人だ。
でも、それじゃ台無しだ。掛け金がぜんぶ無駄になっちゃう。
そんなこと、させるもんか。
「1番線に参ります電車、渋谷行です」
構内アナウンスが告げた。
どうしたらいいだろう、と加奈子は考えた。
なにかうまい手はないだろうか。矢萩の家に着くまでに考えなきゃいけ
ない。もう電車が来ちゃう。ウチの亭主と瑞枝さんが裸になってるところ
なんかに、この男と踏み込むなんて、まっぴらだ。
そんなの、バカみたいじゃないか。
加奈子は、大きく息を吸い込みながら、ガランとしたホームを見渡した。
加奈子と矢萩の他には誰もいなかった。
なんだか、いやな感じだった。
「教室で会ったんだと思うね」
突然、矢萩が言った。
「なに?」
「他に考えられないからさ。旦那とウチの女房が会ったのは、踊りの教室
だよ」
「なに言ってんの? あんた」
「浅草と北千住、そんなに離れてるとも言えないが、近くもない。出会う
チャンスなんて、他にあるわけないからな」
「バカ言わないでよ。ウチの人、教室なんか通ってないわよ」
「旦那が通ってなくても、あんたが通ってるだろう?」
「…………」
なにが言いたいのか、と加奈子は矢萩を見返した。
「迎えに来てもらったこととか、あるんじゃないか?」
「迎え?」
「ああ、教室が終わってさ、あんた旦那に迎えに来てもらって、クルマで
帰るとか、あったんじゃないか?」
「…………」
どうして、わかったんだろう?
加奈子は、ゴクリと唾を飲み込んだ。その音が、矢萩に聞こえたのでは
ないかと気になった。
「なかったか? そういうこと」
「あったけど……」
矢萩が、満足そうにうなずいた。
「な。やっぱりそうだ。そのときにさ、旦那はウチのヤツに目をつけたっ
てことだよ」
想像なのか……と、加奈子は少し安心した。べつに、瑞枝さんのあとを
つけていたとか、そういうことじゃないらしい。
「逆でしょ」と、加奈子は怒ったような声を作って言った。「あなたの奥
さんが、ウチの人に目をつけたのよ」
「似たようなもんだ」
矢萩が、鼻先で笑うように言った。
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