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 23:57 表参道駅
 駒形千佳子
(こまがた ちかこ)


     千佳子は、思い切って口を開いた。
「ちょっと訊いてもいいですか……いけないかな、こんなこと訊くの」
 三宅が、うなずきながら千佳子に目を返してきた。
 
「なんですか?」
「失礼かもしれない」
「そんなに気を遣わないでください。なんでも訊いていいですよ」
 微笑みながら言う三宅の眼を、千佳子は覗き込んだ。
 
「あのね、どうして三宅さん、彼女、いないんですか?」
「ああ……そうか」
 三宅の眼が、戸惑ったように揺れた。
 いけない……と、その三宅の表情を見て、千佳子は自分をひっぱたきたくなった。また、こんなバカなこと言って。
 千佳子は、必死で首を振った。
「ごめんなさい。よけいなことですよね」
 ああ、ほんとに、あたしってバカだ。
 
「いや、そう思いますよね。こんな、へんなことお願いしたりして」
「ごめんなさい。バカみたいなこと訊いちゃった」
「そんな。謝らないでください。単純な理由ですよ。情けないぐらい、単純な理由。もてないからです」
「うそお」思わず笑いが顔に出た。「そんなの、嘘ですよ。違うでしょ? ほんとの彼女を、お母さんに会わせたくなかったからとか、そういうんじゃないんですか?」
「え?」
「…………」
 
 もう、だめだ。
 どうしようもない、ドジ。
 千佳子は情けなくなった。
 なんでそんなこと言う必要があるの? ほんと、バカみたいじゃない。バカよ、あんた、バカ。
 もう少し、考えてからものが言えないの? 口、閉じてなさい。
 
「そんなこと……違いますよ」
 と、三宅が苦笑しながら言った。
「彼女なんて、どこにもいませんよ。僕のオフクロってのは、会ってもらってわかったでしょうけど、ちょっと変わってるんですよ。二十歳をすぎて恋人もいない男なんて、落伍者だと決めているんです。まあ……そういうところもあるかもしれないけど」
 
 そんなことないです、と言いかけた自分の口を、千佳子はむりやり閉じさせた。
 小さく首を振るだけにした。
 そのとき、ホームの向こうを歩いてくる女性が千佳子の目にとまった。
 どこか、重い雰囲気を持った女性だった。片手に、ぎゅっとハンカチを握りしめている。そのハンカチで、彼女は自分の鼻を押さえた。
 
「とにかく」と、三宅が続けた。「電話かけてくるたびに恋人はできたか、好きな人はいるのか。もう、うるさいんですから。田舎に帰っても、そればっかり。だから、面倒になって、彼女ができたと言ってしまったんですよ。ただ、それだけです。言ったら、会いに来るって言うでしょう? 突然なんだから。嘘だなんて言ったら、またいろいろ言われるだろうし、それで、もう、誰でもいいから会わせちゃえって――」
 
「ふうん」
 三宅の話を聞いていないわけではなかったが、千佳子は向こうの女性が気になって仕方がなかった。
 彼女は、肩から小さなバッグを下ろしながら、ベンチに腰を下ろした。
 
「知ってる人ですか?」
 千佳子が、女性を見ているのに気づいて、三宅が訊いた。千佳子は首を振った。
「なんだか、あの人、泣いてるみたいに見えたから……」
「泣いてる?」
 あ、と千佳子は我に返った。
 思わず、三宅を見返して舌を出していた。
「ごめんなさい」

 
   三宅 聡 向こうの
女性

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