叱りつけられて、芽衣はキュッと首をすくめた。
おそるおそる窺うと、刑事は怒ったような顔で駅のホームに目をやっていた。
怒らせちゃった……。
だめだなあ、あたしって。いっつも、こうだから。
まあちゃんにも、それでよく叱られる。
「おまえなあ、もうちょっと、人の都合とか、考えろよな。お前だけで生きてるわけじゃないんだからよ」
ほんとにそうだ。
あたしって、きっと、どこかぬけてんのね。
人に親切にしてあげようとか、相談に乗ってあげようとすると、いつだって「おせっかい」って言われちゃうし。
トシ君に嫌われたのも、結局はそれだったんだから。
だって、あのサラシ、すごく汚かったんだもの。へんな臭いしてたし。だから、きれいに洗濯して、アイロンもかけて、新品みたいにしてあげたんだ。きっとトシ君、喜んでくれると思ったから。
そんなに大切なサラシだったなんて知らなかった。きれいになったサラシを前にして、トシ君、真っ青な顔して「出ていけ」って言った。
命の恩人の、形見のサラシだなんて、知らなかった。必死になって漂白して落とした汚れが、その恩人の血だなんて知らなかった。
ぶってほしかった。気がすむまで殴ってほしかった。
でも、トシ君は、ただ「出ていけ」って言っただけだった。
電車が動き始め、芽衣は刑事のほうへ身体を寄せて言った。
「ごめんね……あたし、刑事さんの仕事の邪魔してんのかなあ」
刑事は、ゆっくりと芽衣に目を返し、穏やかな声で言った。
「ああ。悪いが黙っててくれないかね」
その口調に、芽衣は少し安心した。
どうやら、本気で怒ったわけではなさそうだった。
少しだけ嬉しくなり、芽衣は刑事に笑いかけた。
「ごめんなさい。だけど、大丈夫だよ。電車だもん。飛び降りて逃げちゃうことないよ」
「え?」
言ったことが通じなかったのか、刑事は眼をパチクリさせて訊き返した。
「犯人。走ってる地下鉄からなんて、逃げらんないじゃない。窓開けて飛び降りたら、怪我するだけだもん」
刑事が、困ったような顔で髪に手をやった。
芽衣は、もう一度、刑事に笑ってみせた。
「ええと、君、名前は?」
「芽衣っていうの。平岡芽衣」
「平岡さんか。どこまで行くの?」
「渋谷」
芽衣は、そっと刑事の向こうのシートへ目をやりながら答えた。相変わらず、男はクーラーバッグを膝に抱えて座っていた。
芽衣には、まあちゃんの考えていることがよくわからなかった。
どうして、こんなややこしいことをするのかがわからない。あの人から品物を受け取るんだったら、あたしと一緒に、この電車に乗ってちゃだめなんだろうか?
「なにか、ヤバイこと?」
訊いたら、まあちゃんは「ちっとな」と言って笑った。
「あぶないこと?」
「危ないことじゃないよ。心配しなくていい。言われたとおり、やってくれよ」
べつに難しいことじゃないし、電車に乗ってればいいだけだから、もちろんお手伝いぐらいするけど、でも、どうしてこんなこと必要なんだろう? さっぱりわからなかった。
ハワイに連れていってくれるぐらいのお金が入る仕事だったら、やっぱり「ちっと」はヤバイんだろう。でも、ほんと言うと、ハワイに行くぐらいのお金なら、あたしだって持ってる。まあちゃんが一緒に行きたいっていうなら、貯金下ろしたっていい。
だけど、わかるんだ。
まあちゃん、あたしのお金じゃなくて、自分が稼いだお金でハワイに行きたいんだよね。あたしのお金使ってることが、ほんとはいやなんだ。だから、ちっとぐらいヤバイ仕事でも、手を出そうって気になったんだ。
そんな気をつかわなくってもいいのにな。
芽衣は、なんとなく幸せな気分になって、隣の刑事に訊いた。
「刑事さんは?」
「なに?」
ビックリしたような顔で刑事が訊き返した。
「刑事さんの名前」
「私の?」
「うん。だって、あたしも名前教えたんだもの」
そう言ったとき、車内に「まもなく上野」とアナウンスが響いた。
芽衣は、刑事の顔を覗き込みながら、首を傾げてみせた。
「沖崎」
ポツリと、刑事が答えた。
芽衣は、なおさら嬉しくなった。
「沖崎さん、か」
ちょっとかっこいい名前じゃん、と芽衣は思った。
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