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 24:00 稲荷町駅
 山脇祐子
(やまわき ゆうこ)


     奇妙な男がホームに立っているのに、祐子は気づいた。

 着ているジャケットが赤と緑の大柄なチェックで、その悪趣味な服装も奇妙だったが、もっと奇妙なのはその男のおびえたような表情だった。
 青白い顔で、地下鉄の車輛を見据えている。ドアは開いているというのに、そこに乗る踏ん切りがつかないでいるような感じだ。大きく呼吸を繰り返しているのが、上下している肩に見てとれる。
 ピンポンピンポンと発車のチャイムが鳴り響くと、男は、慌てたように電車に飛び乗ってきた。

 切迫したような男の表情に、祐子は目がはなせなくなっていた。
 電車が動き出しても、男はシートに座ろうともせず、ただ車内を眺め回している。

 変質者……?

 そんな感じがして、祐子は思わず英介を抱き寄せた。英介は、気持ちよさそうな寝顔で、その頭を祐子の脇に押しつけていた。
 不意に、男が祐子に目を向けた。視線が合って、祐子は慌てて目を男からそらせた。

 ぞっとするような眼だった。
 整った顔立ちの造作は、どちらかと言えばいい男に属しているだろう。だが、目つきが異常だった。なにか生理的に嫌悪感を抱かせるような、冷たい眼。
 祐子の記憶の中に、夫の視線がよみがえった。

 そう、あの人の眼だ。
 祐子を殴りつけ、蹴り上げ、そして見下ろしている夫の眼。

 人間の眼ではない。
 あれは、あたしが好きになった人の眼ではない。獣の眼だ。
 夫以外にも、あれと同じ眼を持った男がいるのだと、祐子は小さく唇を噛んだ。

 お願いだから、と祐子は英介の肩を抱いた手に力を入れながら思った。お願いだから、あなたはああいう眼の男にはならないでね。ああいう眼で人を見るようなおとなにはならないでね。

 だから、だからこそ、家を出る。
 ふた言めには「英介のために」とお義母さんは言うけれど、本当に英介のためを思うなら、あの父親から離れなきゃいけないのだ。あんな父親を見て育ったら、どんな男になるだろう。
 あの人のコピーだけは作りたくない。

 ジャケットの男が正面のシートに腰を下ろして、祐子は思わずそちらを見た。男は、相変わらずおびえたような表情で車内を見回していた。
 目が合いそうになって、祐子は床の上に目を落とした。

「まもなく上野、上野でございます。日比谷線、JR線、京成線はお乗り換えです。お忘れ物ないよう、ご注意を願います。なお、電車とホームの間、広くあいております。足下にお気をつけ下さい。上野でございます」

 そのアナウンスが、祐子には救いの声に聞こえた。
 不意に、英介が頭を上げ、寝ぼけた顔のままニッコリと笑った。


 
    奇妙な男 山脇英介

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