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 24:03 青山一丁目駅-赤坂見附
 三宅 聡
(みやけ さとし)


     電車がカーブにさしかかると、三宅の腕に千佳子の肩が押しつけられた。

 その腕の感触が、三宅に甘い気持ちを起こさせる。
 千佳子の肩が触れているそのあたりだけが、どこか別の次元に存在しているような感じだった。いつまでも取っておきたいような感覚。

 よかった――と、千佳子は言った。

 それは、どういう意味なのだろう?
 スポーツをやっていなくてよかった、という意味ではないはずだ。
 頼りにならない男でよかった、という意味でもないだろう。

 さっぱりわからなかった。
 千佳子の言葉の意味がまるでわからない。
 ただ、その意味を問いただす勇気が、三宅にはなかった。

「まもなく、赤坂見附です。丸の内線中野坂上行、池袋行、有楽町線池袋行は乗り換えです。中野坂上行は0時12分、新宿行は0時30分、池袋行0時14分、有楽町線池袋行は0時16分です」

 無表情なアナウンスの声が、神経のどこかを刺激する。
 正面の酔っぱらいのおかげで途切れてしまった会話。
 べつに一生の問題を告白したわけではない。ただ、また会ってもらえないかどうかを訊いただけだ。
 その問いに、千佳子は微笑みだけを返して寄越した。

 くそお。

 三宅は、右の腕に触れている千佳子の肩を意識したまま、胸に息を吸い込んだ。
 どうしたんだ、お前は?
 いったい、なんだっていうんだ。

 この人は、大野とつき合っている。詳しいことはわからないが、千佳子と大野が単なる同僚という関係だけでないことは確かだ。
 お前は大野を通じてこの人にアルバイトを頼んだ。一日だけ、母親に見せるための偽の恋人役になってもらうアルバイト。

 勘違いしちゃったんじゃないのか?
 オフクロを騙そうとして、お前自身まで騙されちゃったんじゃないのか?
 どうして、こんな気持ちになってるんだ?
 なにを焦っているんだ?

 不自然だよ。
 そうだろ? 今のお前は、頭のてっぺんからつま先まで、なにもかも不自然だよ。
 どうして、もっと自然に振る舞えないんだ?
 まるで、高校生みたいじゃないか。

 千佳子は微笑みを返してきた。
 なにも言わずに、微笑みだけ。
 それ以外に、彼女になにができる? 彼女に、なにを言ってほしいんだ、お前は?
 会ったばっかりなんだぞ。話をするのも、今日が初めてなんだ。
 初めて会ったばかりの、しかも、アルバイトに偽の恋人役を頼んでくるような、そんな男になにを答えろっていうんだ。

 なにを期待しているんだ?

 不自然だよ。

 三宅は、ゆっくりと息を吐き出した。
 電車が、短く金属的な音をあげた。


 
    駒形千佳子 正面の
酔っぱらい
大野

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