電車がカーブにさしかかると、三宅の腕に千佳子の肩が押しつけられた。
その腕の感触が、三宅に甘い気持ちを起こさせる。
千佳子の肩が触れているそのあたりだけが、どこか別の次元に存在しているような感じだった。いつまでも取っておきたいような感覚。
よかった――と、千佳子は言った。
それは、どういう意味なのだろう?
スポーツをやっていなくてよかった、という意味ではないはずだ。
頼りにならない男でよかった、という意味でもないだろう。
さっぱりわからなかった。
千佳子の言葉の意味がまるでわからない。
ただ、その意味を問いただす勇気が、三宅にはなかった。
「まもなく、赤坂見附です。丸の内線中野坂上行、池袋行、有楽町線池袋行は乗り換えです。中野坂上行は0時12分、新宿行は0時30分、池袋行0時14分、有楽町線池袋行は0時16分です」
無表情なアナウンスの声が、神経のどこかを刺激する。
正面の酔っぱらいのおかげで途切れてしまった会話。
べつに一生の問題を告白したわけではない。ただ、また会ってもらえないかどうかを訊いただけだ。
その問いに、千佳子は微笑みだけを返して寄越した。
くそお。
三宅は、右の腕に触れている千佳子の肩を意識したまま、胸に息を吸い込んだ。
どうしたんだ、お前は?
いったい、なんだっていうんだ。
この人は、大野とつき合っている。詳しいことはわからないが、千佳子と大野が単なる同僚という関係だけでないことは確かだ。
お前は大野を通じてこの人にアルバイトを頼んだ。一日だけ、母親に見せるための偽の恋人役になってもらうアルバイト。
勘違いしちゃったんじゃないのか?
オフクロを騙そうとして、お前自身まで騙されちゃったんじゃないのか?
どうして、こんな気持ちになってるんだ?
なにを焦っているんだ?
不自然だよ。
そうだろ? 今のお前は、頭のてっぺんからつま先まで、なにもかも不自然だよ。
どうして、もっと自然に振る舞えないんだ?
まるで、高校生みたいじゃないか。
千佳子は微笑みを返してきた。
なにも言わずに、微笑みだけ。
それ以外に、彼女になにができる? 彼女に、なにを言ってほしいんだ、お前は?
会ったばっかりなんだぞ。話をするのも、今日が初めてなんだ。
初めて会ったばかりの、しかも、アルバイトに偽の恋人役を頼んでくるような、そんな男になにを答えろっていうんだ。
なにを期待しているんだ?
不自然だよ。
三宅は、ゆっくりと息を吐き出した。
電車が、短く金属的な音をあげた。
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