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 24:07 神田-三越前
 姉崎小夜
(あねざき さよ)


     なにが腹立たしいといって、小夜が一番癪に障るのは、あの蒲原信二に会った瞬間、あ、タイプだ、と思ってしまったことだった。

 第一印象は、悪くなかった。知美を羨ましいと思ったぐらいだ。
 しかし、あの男の態度は何だろう。まるで、あたしや桐恵を幼稚園の子供みたいに扱って。
 癪に障る。

 ちょっとステキだなんて、思ってやった自分が、本当に腹立たしい。

「問題なのは、やっぱりスキャナーをどうするかってことよね」
 知美の向こうから、桐恵が言った。
「スキャナー?」
 思わず、小夜は訊き返した。

 ああ、スキャナーか。

「うん。そうでしょ、あたしたちのホームページ作るためにはスキャナーが絶対に必要だってことはわかったわけだし」
 桐恵の言葉に、小夜は首を振った。
 蒲原信二の真似をして、顔をしかめてみせた。
「ああ、わかってないな」嫌味ったらしく、見下したような声を作って言った。「ホームページという言い方は間違ってる。まあ、新聞も雑誌も、言葉の意味をまるで知らずにホームページと書き立てているからね。間違った言い方が君の責任だとは言い切れないところもあるが」

 君の責任だとは言い切れない、ですって?
 なによそれ。あんた、何様のつもりなの?

「なんだっていいわよ。世間がホームページって言ってるんだから」と、桐恵は笑いながら首を振った。「ホームページはホームページよ」

 言い返そうとしたとき、アナウンスが聞こえてきた。
「まもなく三越前、三越前でございます。なお、半蔵門線鷺沼行の最終電車をご利用のお客様は、表参道でお乗り換えください。水天宮行の電車は終了しておりますからご注意を願います。三越前でございます」

 もっともっと癪に障るのは、いまだに自分が蒲原信二のことが気になっているということだった。
 結局、最後まであの男の話につきあってやったのも、なんとなく帰るに帰れない気持ちがあったからだ。でなければ、椅子をひっくり返して部屋を出て行ったところだ。

 もちろん……あんなヤツはいやだ。
 たとえ知美の彼氏じゃなかったとしても、あんな男は願い下げだ。
 でも……と、小夜は思う。

「ねえ。あなた、あの男のどこがいいの?」
 自分の気持ちを振り切って、小夜は知美の肘を小突いた。
「え……」
 知美が、困り果てたような顔で小夜を見つめた。
「気が知れないわ。ああいうバカとつきあってるなんて」

 ほんのちょっと、マスクがいいってだけじゃないの。ちがう?
 ほんのちょっと、渋いかな、って思わせるだけじゃないの。ちがう?

 桐恵が、小夜の気持ちを見透かしたような口調で笑いながらヒラヒラと手を振った。
「人はそれぞれなんだから。あいつも知美の前でいいところ見せたかったんじゃないの」
 ふん、と小夜は桐恵を見返す。
「人をさんざんバカにして、そのどこがいいところを見せてるってのよ」
「自分の知識を披瀝したかったんでしょ。オレは、こんなに物知りなんだって」
「バカよ。あれはバカ」

 言い捨てた。
 そう、まったくのバカだ。
 バカの典型だ、あいつは。

「……ごめんね」
 と、知美がまた言う。
 これで何度目だろう。そんな謝ってばかりいる知美にも腹が立つ。
「いつもは、あんなじゃないのよ」
 知美は、重ねるようにして言った。

 じゃあ、いつもはどうなの?
 知美と二人でいるときは、とっても優しいカレなわけ?
 好きだよ、かなんか、ささやいたりしてるわけ?

 おうおう、上等じゃないのよ。
 バカにするんじゃないわ。せいぜい、優しくしてもらいなさいよ。でも、わかったでしょう。あれが、あの男の本性なんだよ。ああいう、人を小馬鹿にしてるヤツなんだ。自分だけが偉いと思ってるような、いけ好かない野郎なんだ。

 ああ、腹が立つ。
 と、小夜はまた奥歯を噛み合わせた。
 横で、知美が大きくため息をついた。なんだか、それがわざとらしく聞こえた。


 
     知美   桐恵 

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