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美人だよなあ、と舟山新吉は横で階段を下りる牧百合子をチラチラと眺め
ながら思った。
もちろん、歳は新吉とはひと回り近くも違うが、なんとも言えない熟した
女の魅力がある。その辺にいるピラピラした女の子とは大違いだ。
さっきも、牧課長がイカの天ぷらを食べている口元を見て、新吉は危うく
勃起しそうになった。あのイカが自分の耳たぶだったらと、本気で思った。
「課長……」ホームに下りて新吉は牧課長に言った。「課長。さっきの話で
すけど、アサカネの80本というのは、やっぱり作戦勝ちですよね。あんま
り課長の読みがピッタリだったんで、びっくりしちゃいましたよ」
牧課長は、ふっ、と微笑んだ。
優しい笑顔だった。
そう、まったくあのアサカネの快挙は、牧課長のお手柄なのだ。その作戦
に課長は新吉を前線部隊として登用してくれた。なにもかも、信じられない
ぐらいうまくいった。80本もの契約を、たったひと月でものにするなど、
新吉にとってははじめてのことだった。
新吉は、横で黙っている安江に声をかけた。
「この手でいけば、安江さんのニッコー関係もドバッといけるんじゃないで
すか?」
ところが、安江は例によって不機嫌そうな表情のまま、ギロリと新吉を見
返し、ふん、とバカにしたように顎を上げた。
「なに舞い上がってるんだよ。条件が違うだろうが。そんな単純なものじゃ
ないよ」
「そうですかねえ……」
新吉は、安江の言葉に首を傾げた。
牧課長と安江が足を止め、新吉もその場に立ち止まった。
結局、負け犬ってことだよな。
と、新吉は横の安江に目をやりながら思う。
仕事のできる人と、できない人は、もう最初の気構えから違うのだ。もち
ろん、顧客はそれぞれ別の会社なのだから条件が違っているのはあたり前だ。
違うからと言って、最初から「条件が違う」ということで投げてしまったら、
勝負にもなにもならない。
「課長は、どうお考えになります?」
つい新吉は訊いた。課長が、どう答えてくれるのかを聞きたかった。
「安江さんの言う通りでしょう」
という牧課長の答えに、新吉は意外な気持ちで目を彼女に返した。
「アサカネの場合は、売り込み前にちゃんと根回しがすんでいたから。舟山
君は作戦勝ちって言うけど、その作戦はもうずいぶん前からはじまってたわ
け。先月だけが勝負だったんじゃないのよ」
「ああ……」と、新吉はうなずいた。「それもそうですね」
そうか、と新吉は考え直した。
課長の言う通りだ。作戦は、最後の段階だけではないのだ。じっくりと準
備を進め、絶対に勝てる状況を作ってから、機が熟すのを待って一気に突進
するのだ。
そう。安江のように、なんの考えもなく、顧客のところへただ足を運んで
いたって、チャンスは巡ってこない。それが、牧課長と安江の違いなのだ。
なにか嬉しくなってしまった。
ポケットに手を入れると、昼間買ったガムが指に触れた。それを取り出し、
一枚引き抜いて、新吉は牧課長に差し出した。
「どうですか?」
課長は、微笑みながら首を振った。
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