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 24:09 新橋駅
 安江 務
(やすえ つとむ)


     安江は、はっきりと舟山に見えるように肩をすくめてみせた。
「べつに。ママからほったらかしにされて育ったから、舟山君はこんなに立派なおとなに成長できたんだろうなって思っただけだよ」

 一応、その嫌味は、腑抜け野郎にも通じたらしかった。
 舟山は、ムッとした表情で、安江を見返してきた。

「ずいぶん……バカにした言い方ですね、それ」
 おほほほほ、と安江は声に出さずに笑ってやった。
「バカにしてるわけないだろう。舟山君は、アサカネの契約を80本もまとめるような凄腕を持ったお方なんだからさ」

 偉い偉い、とつけ足そうと思ったが、その最後のところは口の中に呑み込んだ。
 たまたまうまくいった仕事の成果に酔っぱらっているお坊ちゃんから目を背け、安江は前方へ目を向けた。正面には向こうのホームとの仕切りが続いている。向こうのホームにもパラパラと乗客が電車の到着を待っていた。

「ああ、なるほど」
 人を小馬鹿にしたような調子で舟山が言った。
 見返して、薄ら笑いを浮かべている腑抜け野郎をみつめた。
「なんだ、そのなるほどってのは」
「ようするに、ひがみですか、それは安江さんの」

 舟山を睨みつけた。
 胸ぐらをとっつかまえてやろうかと思ったが、牧百合子の手前、一歩踏み出すだけで我慢した。

「ひがみ? おい、つけあがるのもいいかげんにしろよ」
 言った途端、牧課長が安江に言った。
「よしなさい。みっともないわね、あなたたち」
 けっ、と安江は課長と舟山を見比べ、前方へ目を返した。

 なにが偉そうに、みっともないわね、だよ。
 お前のババア顔のほうがよっぽどみっともねえだろうが。自分じゃ、美人だと思ってやがるだろうがね、おおかた。まあ、若いころはかわいこちゃんだったかもしれないさ。でも、今はどうだ。え? カガミ見てみろ。

「ママが怒るとこわいぞ、か」
 へっ、と安江は小さくつぶやきながら肩の上で首を回した。

 この、舟山の腑抜けにも、いいかげんガツンとやってやらなくちゃだめだな。牧百合子にお膳立てしてもらったアサカネの契約ぐらいで有頂天になってると、そのうち痛い目に遭うぞってことを、わからせてやらなきゃだめだ。
 まあ、べつにオレがそんな親心を出してやる義理もないがね、ほんとは。

「安江さん」と、なにを思ったか、舟山が言う。「気持ちはわかりますけど、安江さん自身がもう少しおとなになったほうがいいんじゃないですか」
 なんだと、と安江は舟山をにらみ返した。

「この野郎。偉そうな口叩きやがって。おまえ、誰に向かって言ってるんだ。気持ちがわかるだと? どういう気持ちだ。ええ? 言ってみろ」
「よしなさいって言ってるでしょう。2人とも」
 牧百合子が叱りつけるように言った。
 その牧課長に媚びるように、舟山が「すみません」と頭を下げた。

 安江が見つめているのを、舟山は、どこか笑いを含んだ表情で見返し、わざとらしく顔を背けた。

 この野郎は、どこまでバカなんだ。
 救いようのないバカ野郎だな。
 課長も課長だよ、まったく。こんなバカのオベンチャラに喜んでやがる。これでよく課長なんかやってられるもんだ。まるで人間が見えてないじゃないか。

 おとなになったほうがいい、だと?
 ふざけるな。ガキのお前に言われたくないね。

 そっぽを向いている舟山の顔に、笑いが浮かんだのを安江は見逃さなかった。


 
     舟山  牧百合子

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