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 24:09 赤坂見附-虎ノ門
 嘉野内真紀
(かのうち まき)


    「大丈夫?」

 声をかけられても、真紀は返事ができなかった。返事をすれば、言葉と同時に、いろんなものがでてきてしまうそうな気がする。

 アナウンスがなにかを告げたが、よく聞き取れなかった。

 美香の掌が、背中に当てられている。そういうことをされるのもいやだったが、彼女の手を振り払うことさえ、今の真紀にはできなかった。動けば、その途端に自分の身体がバラバラになってしまうような気がした。

 泣いてしまった自分が、いやでいやで仕方なかった。
 なにもかも、最初からすべてやり直したかった。

 最初からやり直したいという気持ちになったのは久しぶりのことだ。
 以前は、よくそんなことを考えた。
 とくに学生時代――それも高校生のころ。なにか自分が失敗するたびに、真紀は死にたくなった。自分の今までやったことが、なにもかも白紙になって、最初の赤ん坊の時からやり直せたらと、そんなときにはいつも思った。

 やり直したい。
 最初から、全部、やり直したい。
 ジュンに出会う前から、いや、会社に入る前から。全部を巻き戻してしまいたい。

 背中に置かれた美香の手のあたりが、なにか熱を持っているように感じられる。その熱が、自分の発したものなのか、美香の手から放射されているものなのか、よくわからなかった。

 ゆっくりと、慎重に、真紀は唾を呑み込んだ。

「一人にして」
 後ろの美香に言ったつもりだったが、つぶやくような声にしかならなかった。
「え?」
 美香が訊き返し、真紀は首を振った。

「ごめんなさい。あたし、知らなかったの。嘉野内さんの気持ちも知らないで、ばかみたいに――」
 美香の言葉を遮るように、真紀は首を振った。
 そんなことを、美香に言われるのはたまらなかった。

 背中の手を払うために、真紀は自分の頬を拭いながら、美香を振り返った。
「なんでもないの。ごめんなさい」
 美香は、心配そうな表情で真紀を覗き込んでくる。
「嘉野内さん……」

 美香の視線が、不意に真紀から外れ、ドアのほうへ向けられた。駅の照明が車内を突然明るくする。電車が速度を落として停まり、ドアが開いた。

「虎ノ門、虎ノ門です。ご乗車ありがとうございました。この電車は、浅草行の最終電車です」
 ホームのアナウンスを耳にしながら、真紀は、むりやり笑顔を作った。自分で見ることはできないが、それがどんな笑顔になったのかは想像がついた。

「とんだ恥さらしね」と、真紀は、そのみっともない笑顔のまま美香に言った。「泣くなんて、バカもいいとこ」

 ブルブルと、美香が首を振った。
「そんなことないわ。恥さらしだなんて……」

 そのとたん、ホームに笛の音が鳴り響く。
「はい、ドア閉まります。閉まるドアにご注意下さい」

「やめようかな」
 ふと、そんな言葉が、真紀の口をついて飛び出した。
 美香が、瞬きをしながら見返してくる。
 シューッ、という音とともにドアが閉まる。

「やめるって……」
 訊き返す美香に、真紀は、ふっ、と息をもらした。
「会社。ずっと恥をさらし続けるなんていやだもの」
「そんな……」

 電車が動き始める。
 次が新橋だ。早く着いてほしい。

「ダメよ、そんな、やめるなんて言わないで」
 美香は、真剣な表情でそう言いながら真紀に首を振る。
「…………」
 真紀は、もう一度、笑顔を作ってみた。

 ほんとに辞めちゃおうか――。
 そう思った。


 
     美香  ジュン 

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