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 24:09 赤坂見附-虎ノ門
 畑美香
(はた みか)


    「大丈夫?」
 そう声をかけた途端「まもなく、虎ノ門、虎ノ門です」というアナウンスが、車内に流れた。

 嘉野内さんは、相変わらずドアに向いたままだった。ガラスに映った彼女の顔は、彫刻かなにかのようだった。頬を涙で濡らした彫刻――。

 嘉野内さんの背中に手を置いたまま、美香はその彼女の首のあたりを見つめていた。嘉野内さんの身体が強ばっているのが掌に伝わってくる。電車の揺れに逆らうように、彼女は身体中を強ばらせていた。

 追いかけてはきたものの、美香にも、このあとどうすればいいのかわからなかった。
 まさか、嘉野内さんが湯川さんを好きだったなんて、思ってもいなかった。それに気づかなかった自分が情けなかった。

 湯川さんとみどりちゃんが婚約したのもびっくりしたけれど、嘉野内さんの涙にはもっとびっくりした。ほんとうにショックだった。
 泣いている嘉野内さんなんて、いままで一度も見たことがなかった。絶対に涙なんか流さない人のように感じていたのだ。もちろん、涙を流さない人なんていないだろうけれど、でも嘉野内さんには、そんな雰囲気がまるでなかった。課内で一番頼りになる女性――ずっと、そんなイメージを抱いてきたのだ。

 はしゃぎ過ぎちゃった。
 嘉野内さんのそんな気持ちを知らなかったとはいえ、美香は自分の無神経さを悔やんだ。きっと、嘉野内さんは、みんなの話を聞きながら、必死で自分の中の気持ちを押し殺していたのだろう。誰もが湯川さんとみどりちゃんの婚約に有頂天になっていた。全員が二人を祝福してあげているものだとばっかり思っていた。でも、嘉野内さんだけは、そうじゃなかったのだ。

「…………」
 嘉野内さんがなにか言ったような気がして、美香は、ドアのガラスに映った彼女に目をやった。
「え?」
 訊き返したが、嘉野内さんは黙ったまま小さく首を振った。

「ごめんなさい。あたし、知らなかったの。嘉野内さんの気持ちも知らないで、ばかみたいに――」
 また嘉野内さんが首を振った。今度は、さっきよりもずっと大きくて強い振り方だった。
 嘉野内さんは、頬を手で拭いながら美香を振り返り、もう一度、それを美香にはっきり見せるように首を振った。

「なんでもないの。ごめんなさい」
「嘉野内さん……」

 電車がスピードを落とした。虎ノ門のホームが窓の外に現われる。
 言おうとした言葉が、喉のどこかにひっかかった。
 電車が停まり、美香たちのいる反対側でドアが開いた。

「虎ノ門、虎ノ門です。ご乗車ありがとうございました。この電車は、浅草行の最終電車です」

 後ろから男性の客が一人乗り込んで来た。車内を見渡すようにしながら、客はそのまま後ろのほうへ歩いて行った。

「とんだ恥さらしね」
 びっくりして、美香は嘉野内さんを見返した。
「泣くなんて、バカもいいとこ」
 美香は、ちがう、と首を振った。
「そんなことないわ。恥さらしだなんて……」

 ホームのほうで、ピーッ、と笛が鳴った。
「はい、ドア閉まります。閉まるドアにご注意下さい」

「やめようかな」
 ポツリと言った嘉野内さんを、美香は見つめた。
「やめるって……」
「会社。ずっと恥をさらし続けるなんていやだもの」
「そんな……」

 ガクンと車輌全体が揺れ、電車が動き始めた。

「ダメよ、そんな、やめるなんて言わないで」
「…………」
 嘉野内さんが、頬を引きつらせるようにして笑いかけてきた。
 こんな寂しそうな笑顔を見たのは、はじめてだった。


 
    嘉野内
さん
  
湯川さん みどり
ちゃん
 
男性の客

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