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 24:10 銀座駅
 竹内重良
(たけうち しげよし)


    「ラーメンがお好きなんですか?」
 亜希子が、まだ笑いの残っている顔で訊いた。
「好きだね」うなずいて鼻の頭をかいた。「三度のメシより好きだな」
 クスクス、と亜希子が肩を震わせながら笑う。
 ふと……その亜希子の目が竹内の後方へ向けられた。

 そちらを振り返ると、階段を必死の形相で駆け下りてくる男がいた。
「…………」
 見覚えのある顔で、班は違うが、たしか黒部のところの新人だったはずだ。名前が思い出せなかった。

 新米刑事は、猛然と竹内たちのところへ走り寄ると、まるで軍隊のようなお辞儀をした。
 そして、なんとホーム中に響きわたるような声で言った。

「和則ちゃんが本人であると確認されました!」
「…………」

 なんだこの野郎は――。
 よりによって、こんなヤツを寄越したのか?

 竹内が返事をしなかったのを聞こえないとでも思ったのか、新米は、また声を張り上げた。
「和則ちゃんが確認――」
 竹内は、やれやれ、と思いながら彼の言葉を制した。
「一度、聞けばわかる」

「はい」と、新米は張り切って声をあげ続ける。「これで、犯人の野郎を――」
 もう一度、竹内は彼の言葉を手を上げて押し止めた。
 キョトンとした表情で新米が竹内を眺める。

「それは地声か?」
 訊くと、新米は、眼を大きく瞬いた。
「は?」
「それとも、そんなに大声を出さなければならないような事情があるのか?」
「あ……」
 ようやく理解できたのか、新米は肩をすぼめるようにして口元をひん曲げた。
「すみません」
「…………」

 なんだか気が重くなった。
 チラリと横を見ると、亜希子も小さく眉根を寄せている。
 ふう、と腹に溜まっているものを吐き出して、竹内は新米を見返した。

「確認は、母親がした?」
 新米が、大きくうなずく。
「はいっ」と、また大声を出しかけ、彼はややトーンを抑えた。「たった今、連絡が入りました。三軒茶屋で保護された男の子は、兼田和則ちゃんに間違いないそうです」
「うむ」
 うなずくと、亜希子が横で「よかった」とつぶやいた。

 本音としては、この馬鹿野郎を追っ払って、もっとましなのを寄越せと言いたいところだったが、すでにそれが可能な時間は過ぎていた。ひょっとすれば、兼田勝彦を乗せた電車は、すでに隣の駅まで来ているかもしれないのだ。

「ひとつ、君に訊いておきたい」
 言った途端、馬鹿野郎はピンと背筋を伸ばし「はい」と、緊張した声で答えた。彼としては、これが最小のボリュームなのだろう。
「子供の安否が確認されたとなると、一番重要なのはなんだ?」
 待ってましたと言わんばかりに、新米はグイッと顎を引いた。
「犯人逮捕です」
 竹内が溜息混じりに首を振ると、新米は「は?」と訊き返してくる。

 そのあまりにも予想通りの答えに、竹内はうんざりしてしまった。
 こいつの頭には脳味噌の代わりに豆腐が入っているんじゃなかろうか。
 なんで、身代金受け渡しが行なわれる直前になって、こんなヤツの基本指導をしてやらなければならないんだ。

 自分の口で言うのが億劫になって、竹内は亜希子に振った。
「狩野君、何が一番重要なのか、この張り切りボーイに教えてやってくれ」
 言うと亜希子は、小さくうなずいて新米に向き直った。

「最も重要なのは、クーラーボックスを運んでくる兼田さんと無関係な第三者の安全確保です」
「…………」

 よほど意外な言葉だったとみえて、新米は眼を見開いた。


    亜希子  新米刑事 兼田勝彦

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