前の時刻 次の時刻

  

 24:10 銀座駅
 狩野亜希子
(かりの あきこ)


     なんだか、こんなことを考えている自分が妙におかしかった。あと数分で兼田勝彦を乗せた電車が到着する。それなのに、私はこんなことを考えている。

「ラーメンがお好きなんですか?」
 訊くと、竹内は照れたようにうなずきながら指先で鼻をこすりあげた。
「好きだね。三度のメシより好きだな」
 笑うと、また竹内は照れたような眼で亜希子を見返してきた。
 その時――。

 亜希子の視界の隅で、何かが動いた。
 目を向けると、松屋方面出口階段を男が二段飛ばしに下りて来る。福屋という比較的若手の刑事だった。もちろん捜査会議の席上で会ったのが初めてで、年齢など知らされていないが、亜希子よりも確実に4つか5つは若いだろう。

 福屋刑事は、全力疾走で亜希子と竹内の前へやって来ると、直立不動の姿勢をとって叫んだ。
「和則ちゃんが本人であると確認されました!」

「…………」
 その声の大きさに、亜希子は眼を見開いた。
「和則ちゃんが確認――」
 さらに、もう一度繰り返す福屋刑事を、とっさに竹内が抑えた。
「一度、聞けばわかる」
「はい。これで、犯人の野郎を――」
 再び、竹内が、黙れ、というように手を上げた。
 何を制止されたのか理解できなかったのか、福屋はあとの言葉を呑み込んで竹内を見つめた。

「それは地声か?」
 竹内が、わざわざ間延びしたような声を作って福屋に訊く。
「は?」
「それとも、そんなに大声を出さなければならないような事情があるのか?」
「あ……」と、福屋がおとなしくなった。「すみません」

 もしかしたら――と、亜希子は思った。
 自分も、つい先ほどまで、この福屋刑事と同じような状態だったのかもしれない。ここまで無神経にはなれないが、竹内からは私もこのように見えていたのかもしれない。
 なんだか、自分の姿を外側から見せられたような気がして、亜希子は恥ずかしくなった。

「確認は、母親がした?」
 なおも、ことさらゆっくりとした語調で竹内が訊いた。
「はいっ」と、福屋はまた力を込めて答える。さすがに今度はその自分に気づき、普通の声に落とした。「たった今、連絡が入りました。三軒茶屋で保護された男の子は、兼田和則ちゃんに間違いないそうです」
 その報告に、竹内が小さくうなずく。

「よかった……」
 思わず、気持ちが言葉になって出た。

 これで、本来の捜査ができる。
 大きな足枷がひとつ外れた気分だった。

「ひとつ、君に訊いておきたい」
 竹内が福屋に言う。
「はい」
 福屋は、まるでバネ仕掛けの人形のように、再び直立不動の姿勢をとった。彼の頭には、このホームにすでに犯人がいるかもしれないという可能性など、まったく浮かんでいない様子だった。
「子供の安否が確認されたとなると、一番重要なのはなんだ?」
「犯人逮捕です」

 どうしようもない……と言うように、竹内が首を振った。
「は?」
 キョトンとした表情で、福屋は竹内を見返す。

 亜希子には、竹内の思っていることがよくわかった。
 同時に、さっきまで自分がどんな状態にあったのかもよくわかった。自分のことは見えないが、人の挙動はよく見える。
 情けないなあ、と亜希子は思った。

「狩野君」竹内が、やや皮肉っぽい表情で、折り畳んだ新聞で福屋の胸を叩いた。「何が一番重要なのか、この張り切りボーイに教えてやってくれ」
 はい、と亜希子はうなずいた。

「最も重要なのは、クーラーボックスを運んでくる兼田さんと無関係な第三者の安全確保です」

 言うと、福屋刑事は眼を丸くして亜希子を見つめた。


 
    兼田勝彦  竹内  福屋刑事

   前の時刻 次の時刻