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 24:11 銀座駅
 草野真弓
(くさの まゆみ)


     階段を下りたばかりのところに、小柄な男性が立っていた。その脇を通って、真弓は少しだけホームの上を歩いた。
 横を歩いているが周囲を見回しながら立ち止まり、それにあわせて真弓も足を止めた。

 こういう〈お使い〉は、楽しいものではなかった。会員たちの中に動ける人間がいないという事情はわかっているけれど、なにも、こんな仕事を私にやらせることはないじゃないかと思う。危険はない、と繰り返し言われたが、不安なものはやはり不安だ。
 ちゃんと、うまくできるのだろうか……。

 男が真弓に向かって何かを言いかけた。咳払いをして、首をぐるりと回し真弓を見つめる。男のほうにも緊張が見えた。それはそうだ。取り引きはいつだって危険なのだから。
「はい?」
 訊き返すと、男はじっと真弓を見つめる。
 こちらの反応を見ているような目つきだった。目をそらせるわけにはいかない。甘く見られたら、負けになる。

「なにか?」
 訊き返すと、男は小さく頭を振った。
「いや、あなたのことは、なんて呼べばいいですか?」
「…………」

 どう答えたものか、真弓はたじろいだ。
「名前が必要?」
 男はまた首を振る。
「もちろん、本名じゃなくていいですよ。でも、呼ぶときに名前があったほうがいいから」

「ああ」と、真弓はうなずいて見せた。どうしようかと迷い、とっさに「薫と呼んでください」と答えた。

 答えたあとで、後悔した。なにも自分の前の恋人の名前を言うことはなかった。偽名ぐらいは、前もって考えておくべきだった。

「僕のことは、関根と呼んでください」
 男が口にした名前は、いかにもどこにでもありそうなあたりまえのものだった。
「わかりました」
 うなずきながら、真弓は、あたりまえの名前が一番安全なのだと気づいた。

 取り引きの相手はかなり用心深い男だと、真弓は聞かされていた。もちろん、危険な薬品を売り買いするのだから、用心深くて当然だ。

 関根について与えられている情報は、ほんの少ししかない。そもそも、会員の誰も、この男の詳しい素性を知っていないのだ。
 ──品物だけは、確かだから、それは安心できる。
 そう言われている。

「その支払いは、どのように?」
 関根が、低く言った。
 真弓は、もう一度関根を見返した。
「品物がいいかどうか、それをまず確かめて。それからで……」

 フム、と関根がうなずいた。
 値踏みするような目で、関根は真弓を眺める。

「けっこうです」


 
    小柄な
男性
  
   

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