![]() | 24:11 新橋駅 |
それが、詠子の精一杯の強がりだということはわかっていた。まあ、誰だって、自分を惨めにしたくはないものだ。 「聞かせてくれるなあ」 詠子に微笑み掛けながら、蔭山は言った。 詠子は、睨みつけるような眼を蔭山に返してくる。 いいじゃないか、と蔭山は胸の中で詠子に言った。的場だっていいヤツなんだよ。 どういう意味か、その的場に詠子が首を振った。 「結婚するのに隠したってしょうがないことだから、この際はっきり言うけど、的場さんは私に自分を気づかせてくれた人なの」 「詠子ちゃん……」 一瞬、詠子の言葉の意味を見失った。 詠子は的場を見つめながら首を振る。 蔭山は眼を瞬いた。 「言わせて。ちゃんと言っておいたほうがいいって思うから。あのね、ボランティアなんかじゃない。そうじゃないってはっきり言えるのは、それこそボランティアみたいなつきあいをした経験が私にはあるからなの」 「…………」 ボランティアみたいなつきあい? なにを言い始めたんだ、この女。 「的場さんとつきあう前に、ある人とつきあってた。最初の一時期は、その人が素敵に見えていたし、この人が一生の相手なのかもしれないって思ったこともある。でも、何度かデートするうちに、そうじゃないってことがわかったの」 「2番線に電車が参ります。参ります電車、浅草行の最終電車です──」 構内アナウンスが耳障りな音を響かせる。 蔭山は、的場に話し続けている詠子を凝視していた。アナウンスがうるさかった。 「その人は、自分勝手な人だったの。私のことを好きだって言いながら、他の女の人ともつきあっていたし、たぶん結婚はその相手とするつもりだと思う。彼女のほうが、私よりずっと彼にとって利用価値のある女だからなのよ」 「…………」 強がっている。 と蔭山は、詠子を眺めながら思った。 真由子のことを詠子が気づいていたとは思わなかったが、この女は、精一杯強がってみせているだけだ……。 「彼にそういう女性がいるってわかってからも、何度かデートしたわ。どうしてなのか、自分で自分の気持ちがわからないけど、たぶんバカなプライドみたいなものが私にあったからなんだと思う。意地になってたのね。だから、ボランティア──っていうんじゃないけど、その人とはその後も少し続いた。正直じゃなかったって思うわ。自分自身に正直じゃなかった。それを気づかせてくれたのが、的場さん、あなたなの」 そこまで言う必要があるのか、と蔭山は思った。 嘘をつくんじゃない。だって……別れ話を持ち出したとき、詠子は泣いたじゃないか。 え、そうだったじゃないか。 「前つきあってた人とは、完全に別れたわ。びっくりしたことに、別れる決心を言い出そうとしていたときに、向こうから別れ話を持ち出してくれたのよ。けっさくでしょ? でも、私って、的場さんと違って、やっぱりつまんないプライドみたいなものがあるから、別れ話を持ち出したのが彼のほうだったってことが、すごくショックだった。私のほうが彼を捨てるつもりだったからね」 到着した電車の風圧が、一瞬蔭山の身体を押した。 ポケットの中で、自分が拳を握っていることに蔭山は気がついた。 私のほうが彼を捨てるつもりだった──。 ドアが開くと、電車から数人の乗客がホームに降りてくる。 「新橋、新橋でございます。浅草行最終電車です。2番線、浅草行の最終電車でございます」 詠子が電車に乗り込んだ。的場がそれに並び掛けるようにしてドアをくぐる。 蔭山は、その二人の背中を見つめながら後に続いた。二人が並んでシートへ腰を下ろし、蔭山も的場の隣に座った。 強がりだ。 と、また蔭山は思った。 そう、なんだったら、詠子に「よりを戻そう」と言ってみてもいい。そうすれば、彼女は、さっさと的場との婚約を解消するに決まっているのだ。 もしかすると……詠子は、それを待っているんじゃないだろうか。ようするに、俺にヤキモチを妬かせるために言っているだけなのだ。 冷静に考えればわかることだ。 詠子が、この的場みたいなヤツを本気で好きになるわけはない。的場を選んだのは、俺を忘れたいためなんだから。 だから、笑ってやるべきだ。 ……そう、蔭山は思った。 笑いながら的場の肩を叩き、しっかりやれよ、とでも言ってやるべきだ。笑いながら、詠子と的場に、幸せになれよ、と言ってやるべきだ。 しかし、なぜか笑顔を作れなかった。 どういうわけか、身体が動かなかった。 電車が動き出した瞬間、隣の的場がいきなり立ち上がった。 「…………」 どうしたのかと的場を見上げたが、彼はそのまま、また腰を下ろした。 ふと、的場が見ているほうへ目をやると、何があったのか、図体の大きな男が通路に立ち上がるのが見えた。 まるで状況が判断できなかった。 |
![]() | 詠子 | ![]() | 的場 | ![]() | 図体の 大きな男 |