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24:11 新橋駅 |
そう、全部。 と詠子は自分自身にうなずいた。 「聞かせてくれるなあ」 と蔭山がニヤニヤ笑いながら言う。そのいやらしい目つきがよけい腹立たしさをあおる。 二人を見比べるようにして口を開きかけた的場に、詠子は大きく首を振った。 「結婚するのに隠したってしょうがないことだから、この際はっきり言うけど、的場さんは私に自分を気づかせてくれた人なの」 「詠子ちゃん……」 不安げな表情の的場に、もう一度詠子は首を振る。 「言わせて。ちゃんと言っておいたほうがいいって思うから。あのね」 と詠子は的場を見つめた。しかし、言葉は蔭山のほうへ向けた。 「ボランティアなんかじゃない。そうじゃないってはっきり言えるのは、それこそボランティアみたいなつきあいをした経験が私にはあるからなの」 「…………」 見つめている的場が、コクリと唾を呑み込んだ。 その横から蔭山が詠子を凝視している。 「的場さんとつきあう前に、ある人とつきあってた。最初の一時期は、その人が素敵に見えていたし、この人が一生の相手なのかもしれないって思ったこともある。でも、何度かデートするうちに、そうじゃないってことがわかったの」 「…………」 ホームのアナウンスが電車の到着を告げていたが、詠子はかまわず続けた。 「その人は、自分勝手な人だったの。私のことを好きだって言いながら、他の女の人ともつきあっていたし、たぶん結婚はその相手とするつもりだと思う。彼女のほうが、私よりずっと彼にとって利用価値のある女だからなのよ」 「…………」 見ているわけではないが、詠子には蔭山が身体を固くしているのがわかった。的場は、困ったような表情で、詠子を見つめている。 「彼にそういう女性がいるってわかってからも、何度かデートしたわ。どうしてなのか、自分で自分の気持ちがわからないけど、たぶんバカなプライドみたいなものが私にあったからなんだと思う。意地になってたのね。だから、ボランティア──っていうんじゃないけど、その人とはその後も少し続いた。正直じゃなかったって思うわ。自分自身に正直じゃなかった。それを気づかせてくれたのが、的場さん、あなたなの」 「…………」 的場が小さくうなずいた。そして、微笑んだ。 その微笑みを見て、詠子は、やっぱり、と思った。 的場は、蔭山と詠子のことを知っていたのだ。そして、たぶん、あのころの私が、精神的にすさんでいたことを、ちゃんと知っていたのだ。 「前つきあってた人とは、完全に別れたわ。びっくりしたことに、別れる決心を言い出そうとしていたときに、向こうから別れ話を持ち出してくれたのよ。けっさくでしょ? でも、私って、的場さんと違って、やっぱりつまんないプライドみたいなものがあるから、別れ話を持ち出したのが彼のほうだったってことが、すごくショックだった。私のほうが彼を捨てるつもりだったからね」 笑いかけると、的場は薄い笑いを口元に浮かばせながら、ゆっくりと首を振った。 ちょうどそのとき、ホームに電車が入ってきた。 蔭山の表情を見てやりたかったが、その気持ちを詠子は必死に抑えた。あれだけ饒舌な蔭山が口を閉ざしている。それで充分だった。 「新橋、新橋でございます。浅草行最終電車です。2番線、浅草行の最終電車でございます」 先頭車両の一番前のドアが開き、パラパラと数人の乗客が降りてきた。前にいたカップルに続いて、的場と一緒にドアをくぐる。そのまま空いている席へ移動して腰を下ろした。 蔭山は、後ろからついてきて的場を挟んで向こう側に腰掛けた。そのことも、詠子には痛快に思えた。普段なら、蔭山は真っ先に電車に乗り込み、さっさと自分で席を確保する。 ただ……的場の腕に肩を押しつけながら、詠子は、悪かったかもしれない、と思った。 蔭山はもちろん、的場も口を閉ざしている。 もともと、蔭山だけに言えばいいことだった。それを、腹立ち紛れに的場の前で言ってしまった。しかも、ずっと的場の眼を見ながら話したのだ。 的場の気持ちが気になった。 そっと盗むように見ると、的場は黙ったまま前方へ目をやっていた。 膝の上に置かれている的場の手に、詠子は自分の掌をそっと重ねた。筋肉質な彼の太股の上で的場の手がゆっくりと上を向き、詠子の手を握り返した。優しい握り方だった。 ドアが閉まり、電車が走りはじめた途端、詠子はその的場の手を握りしめて声を上げた。 「あっ……」 詠子の左側の通路に立っていた男性が、突然ばたりと向こうへ倒れてしまったのだ。 的場が、一瞬腰を浮かせ、その男性のほうへ足を踏み出しかけた。しかし、男性は、何事もなかったように通路の中央でこちらに背中を向けて立ち上がった。スポーツ選手を想像させるような大きくて広い背中だった。 |
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蔭山 | ![]() |
的場 | ![]() |
通路に 立って いた男性 |