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 24:12 新橋-銀座
 別所達也
(べっしょ たつや)


    「また、あたった……」
 と、六条忍がつぶやくように言った。

 え……。

 達也は彼女を見返した。
 またあたった? って、つまり、この人はまた何かを僕に向かって念じてたってことなのか。
 なにを念じたのか? なにがあたったのか?
 マストロヤンニ……じゃないだろうから──。

「グイド?」
 恐る恐る訊いてみると、六条忍がうなずいた。
 横にいた不二夫が達也と六条忍を見比べる。
「またって……その」

 不二夫にはかまわず、達也は六条忍に笑いかけた。
「もう、やめませんか」
「やめる?」
 だって、もう、こんなの続けられない──そう思いながら、達也は首を振った。

「普通に話したいし。きまりが悪いっていうか……こういうのは疲れるから」
「ああ……ごめんなさい」と六条忍の表情に微笑みが戻った。「びっくりしちゃったもんだから、何度も試すみたいなことして──失礼ですよね。こんなこと」

 弱ったなあ、と思いながら、達也はまた首を振った。
「でも、ほんとうにフェリーニが好きなんですね」
「そんなにものすごくってわけでもないんです。ただ、強烈な印象が残ってるっていうか」
「強烈ですよね、たしかに。独特の後味があるもんなあ」

 いったい、どうしたものだろう。
 もしかしたら、これで彼女は完全に達也の能力を信じ込んでしまったのではなかろうか。ありもしない能力を。

 いや、むろん、騙そうとしてしたことだ。
 不二夫が思いつき、面白そうだと達也も乗った。だから、みごとに成功したってことになるのかもしれない。

 でも……と、達也は思った。
 これを、どうしたものだろう。
 こんなこと、やっていいわけがない。

「達也」と不二夫が喉になにかを詰まらせたような声で言った。「いや……お前、その……」
 見返すと、不二夫は、言葉を呑み込んだ。
 言いたいことは、なんとなくわかるが、それを言えないでいることもわかる。
 な、こういうことなんだよ、と達也は首を振りながら不二夫に笑いかけた。
「あ、え──」
 不二夫は、言葉にならない声を発して、また口を閉じた。

 まあ、もちろん、不二夫までが《能力》を信じたわけじゃなかろう。ただ、こいつはわけがわからないでいるのだ。
 自分がボタンを押したわけでもないのに、六条忍の思ったことを言い当てた。なんでそんなことができたのか、まったく理解できないのだ。

 本当のことを言うべきじゃないか。

 と、達也は思った。
 いや、実はトリックなんですよ。モールス信号で不二夫とやりとりしただけなんです。
 ──でも、アサ、ニシ、マサって心の中で思っただけですよ。それがどうして、モールス信号で送れるの?
 いや、そっちはあてずっぽうです。
 ──あてずっぽうで、どうして思ってる言葉がわかるの? だってあなたは「グイド」だって当てたじゃないの。

 弱ったなあ……と、また達也は思った。

 いたずらのつもりだった。
 不二夫のほうは半分以上……いや、全部かもしれないが……不二夫は本気のようだけれど、達也にしてみれば、他愛のないイタズラだった。
 どうせ、誰も信じない。そう思っていた。

 六条忍は黙っている。時折、達也に視線を向けながら、じっと黙っている。
 考えているのだろう。
 もしかしたら、また、なにかを念じているのかもしれない。でも、もう、当てることなんてできない。

 ね、わかったでしょう?
 インチキなんですよ。バカげた仕掛けなんです。それだけですよ。
 ね、ほら。
 今、あなたがなにを考えているかなんて、まるで見当もつかないんですから。

「まもなく、銀座、銀座です」
 と、アナウンスが言い始めた。六条忍が顔を上げ、達也を見つめた。
「日比谷線中目黒行、丸ノ内線池袋行、新宿行はお乗り換えです」

 やっぱり、また何かを念じている……。
 六条忍の表情から、達也はそう思った。

 達也は、首を振ってみせた。

 わからないですよ。
 だって、インチキなんですから。


 
    六条 忍 不二夫 

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