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 24:12 新橋-銀座
 六条 忍
(ろくじょう しのぶ)


    「また、あたった……」
 言って、忍は手に持ったままの手帳を握りしめていたことに気がついた。

 見つめている別所は、困ったような、照れたような微妙な表情で首を振る。
「グイド?」
 ポツリと、忍に訊き返した。
 忍は、コクリとうなずいた。

「またって……その」
 稲葉が、忍と別所を見比べるようにした。

「もう、やめませんか」
 と、別所が言う。
「やめる?」
 訊き返すと、別所は電車の揺れに身体を預けながら、何度も首を縦に振ってみせた。

「普通に話したいし。きまりが悪いっていうか……こういうのは疲れるから」
「ああ……」と忍は強張ってしまった顔を緩めた。「ごめんなさい。びっくりしちゃったもんだから、何度も試すみたいなことして──失礼ですよね。こんなこと」
 照れたような表情のまま、別所はゆっくり首を振った。

「でも、ほんとうにフェリーニが好きなんですね」
 別所に言われて、今度は忍のほうが照れた。
「そんなにものすごくってわけでもないんです。ただ、強烈な印象が残ってるっていうか」
「強烈ですよね、たしかに。独特の後味があるもんなあ」
 別所は、忍の眼を覗き込むようにして言った。なんだか、ドキドキして耳が熱くなった。

 驚くような能力を見せられたからかもしれないけれど、別所に見つめられると、心の中まで見られているような気持ちがしてくる。裸を見られているようで落ち着かない。
 そのくせ、その見つめてくる眼は、やさしさと暖かさを感じさせた。
「…………」
 自分の顔が赤くなっているのを感じて、忍は恥ずかしくなった。

「達也……」
 と、稲葉が言い、別所がそちらへ目をやった。
「いや……お前、その……」
 稲葉の顔からは先ほどまでの妙なわざとらしい笑いが消えていた。彼にとっても、今回のことはよほど意外だったらしい。
 別所は、大きく息を吐き出すようにして、稲葉に首を振った。ニッコリと、別所に笑いかけられ、稲葉は「あ、え……」と妙な声を出しながら、引きつられるようにして笑顔を作った。

 つまり、稲葉でさえ、別所の能力を知らなかったということなのかもしれない。
 この稲葉という男は胡散臭いし、好きではない。彼の言ったことがどこまでほんとうなのか、よくわからないが、別所に考えていることを伝えるための練習をずいぶんやったというのは、ある程度事実だったのだろう。
 だから、稲葉としては、初対面の忍の心を次々に読んでしまった別所にショックを受けたのだ。

 たぶん、別所の能力を自慢したいのは、別所本人よりもこの稲葉のほうなのだ。一所懸命に練習をやった結果、ようやく人に見せられるようになったと思っていたわけだ。もしかしたら、彼はライオンに芸をさせる調教師のような気分だったのかもしれない。

 胸がドキドキしていた。
 読心術だの、テレパシーだの、本で読んだり話に聞いたりはしていたものの、目の前で見たのはこれが初めてだ。

 別所は舞台の上でやって見せてくれたわけではない。稲葉のほうは、さかんにショーアップさせたがっているような雰囲気もあるが、所詮、ここは深夜の地下鉄の中だ。舞台としては、あまりにも日常的すぎる。

 どこかに仕掛けが……?

 疑ってみようにも、これをどう疑えというのか。
 忍が考えたことだ。最初の「人生は祭りだ」というのは稲葉が間に入っていたから、どこか胡散臭かったし、タネや仕掛けがあってもおかしくない感じがした。
 しかし、「アサ、ニシ、マサ」や「グイド」は、忍は口にも出さなかった。稲葉でさえショックを受けたのだ。

 いったい、どんなトリックを使えば、こんなことができるのか──。

「まもなく、銀座、銀座です」
 車内アナウンスが聞こえて、顔を上げたとき、また別所と眼があった。
「日比谷線中目黒行、丸ノ内線池袋行、新宿行はお乗り換えです」

 ──びっくりしました。

 と、忍は別所の眼を見つめながら、心の中で言った。
 別所は、また困ったように微笑みながら、ゆっくりと首を振ってみせた。


 
     別所   稲葉 

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