![]() | 24:12 新橋-銀座 |
松尾もある意味では気味の悪い男だが、目の前の男はそれ以上だった。異常者なのかもしれない。関わり合いにはなりたくなかった。 チラリと横を見た。 松尾も、美佳も、やはり男のほうを眺めている。 弥生は、松尾の向こうの美佳を見つめた。彼女は、なにかに気づいたように、男から自分の膝のあたりへ視線を落とした。 ふと、その美佳が弥生のほうに顔を向けてきた。 美佳の視線には、やはり弥生に対する敵意のようなものが見える。それは、嫉妬ではない。嫉妬なら、彼女はもっと高ぶっていていい。 よおし……と、弥生はお腹に力を入れた。ちょっと試してみよう。 「早川さん……あたし、さっきから気になっているんですけど」 訝しげな目で、美佳が弥生を見返した。 松尾がおどおどと2人を見比べる。 「前に、どこかでお会いしてないかしら?」 「……え?」 やっぱり当たりかもしれない……と、弥生は思った。 美佳の反応が、凍りついたように見えたからだ。普通なら、「あらほんと?」とか「さあ」といった程度のリアクションですんでしまうような問いかけのはずだ。凍りつくようなものではない。日常の会話なのだから。 「どこで、ですか?」 と訊き返した美佳の口調も、やはり固い。 弥生は、ことさら焦らせるように間を取り、首を傾げてみせた。 「ごめんなさい。思い出せないの。勘違いかもしれません」 美佳の顔に笑顔が戻る。 しかし、その笑顔も、どこか不自然だった。 「私には、心当たりがないんですけど」 「そうですね。ごめんなさい。勘違いですね」 そう言いながら、もう一度首を傾げてみせた。 やっぱり、この美佳には何かがある。 有頂天になっている松尾には悪いが、この女は、ただの美人じゃない。それが何かはわからないが、この人は松尾を騙そうとしているのだ。 ふう、と弥生は小さく息を吐き出した。 まあ、自分には松尾を守ってあげなければならないような義理などない。それはよくわかっている。 しかし、ここまできたら、もう仕方ないじゃないか。 だとすると、次の手を出してやる必要がある。 どうすべきだろう。もし、美佳が松尾に対して何か犯罪めいたものを企んでいるのだとすれば……。 「あ……」 気がついたように、弥生は声を上げて見せた。 ギクリとしたように美佳が目を返してきた。 「……なんですか?」 「わかったわ」 言うと、美佳は眉の間をかすかに寄せた。 じっと弥生を見つめている。何を言われるのか、そこに全神経を集中しているといったふうに見えた。 「写真で拝見したんですよ」 「写真?」美佳は言って目を細めた。「写真って……なんですか?」 弥生は、すっと息を吸い込んだ。 「前、お客さんに見せられた写真です。ええ、あの写真に写っていた人に、早川さん、そっくりなんです」 「…………」 弥生は、一瞬、美佳の視線が揺れたのを見逃さなかった。 ここは、一気にたたみかけてみよう。 「でも、そっくりってだけで別人だったのかもしれないわ。確か、聞いた名前は早川美佳さんじゃなかったと思うから」 「…………」 犯罪めいたことをやろうとしているなら、名前だって本名かどうかわかったもんじゃない。そう思って、言ってみたでまかせが、また美佳の表情を凍らせた。 「いえね。変な話で、そのお客さん、この人を知らないかって写真を見せてくれたんですよ。ずっと探してる女性だって」 「…………」 言葉を探しているのがわかる。 あんまり図に乗ると失敗するかも、とは思ったが、もう一つカマをかけるぐらいいいだろう。 「知りませんって答えたんですけど、けっこうしつこいの。よく見てくれって。それでどこかでお会いしたことがあったみたいに思えてたんだわ。なんでも、虎ノ門だか霞ヶ関だか、あのあたりでその写真の人を見かけたことがあるとかって、それでウチの店でもついでに写真見せたみたいなんですけどね」 「まもなく、銀座、銀座です」 車内アナウンスが言いはじめた。そのアナウンスを聞きながら、弥生はじっと美佳を見つめていた。 「日比谷線中目黒行、丸ノ内線池袋行、新宿行はお乗り換えです」 アナウンスが終わるのを待っていたように、美佳が口を開いた。 「よくわかりませんけど、たぶんそれは違う方だと思います」 声は落ち着いていた。 しかし、美佳の様子は、先ほどまでとはずいぶん違って見えた。明らかなのは、彼女の松尾に対する妙な演技が消えてしまったということだ。媚がなくなっている。 弥生から目をそらせたが、その目を松尾に向けることもない。 この女がやろうとしていることは何だろう? 弥生は、じっと美佳を見つめた。その視線が煩わしいのか、美佳はこちらを見返してきた。 |
![]() | 目の前の 男 |
![]() | 松尾 | ![]() | 美佳 |