前の時刻

  

 24:13 銀座駅
 八重樫巧
(やえがし たくみ)


    人を、見た目だけで判断してはいけないというのは本当だと、八重樫は息を吐き出した。

 外見では、普通の女の子だ。
 ケーキを食べながらファッション誌のページを繰り、ヘルスメーターの表示に一喜一憂する……まあ、そんなイメージはたぶん偏見なのだろうが、そんな普通のどこにでもいる女の子に見える。
 しかし、あの難解な暗号を「2進数」を使って解くという発想──。

 ただ者ではない。

 外見で判断してしまうのだ。
 ある意味、当然のことだけれど、八重樫も、とくに初対面の場合は人を外見で判断してしまう。

 どこの学生だろう、と八重樫は隣の女の子を見て思った。
 できることなら、こういう子がウチの社に入ってくれればいいんだが。

「でも、あなた、すごいですね」
 言うと、びっくりしたように彼女が八重樫を見返した。
「いや、失礼なのかな。こんなこと言うのは」
 彼女は、照れたように首を振る。
「べつにそんなことないです。暇だったから、ちょっとやってみてただけですから」
 謙遜して言っているような感じでもなかった。彼女にしてみれば、こんなものはたいしたことじゃないらしい。

「ちょっとやってみたぐらいで解けるような問題じゃないですからね、それ。失礼ですけど、学生さんですか?」
 ためしに訊いてみると、困ったような表情で彼女はうなずいた。
「……あ、はい」
「優秀だなあ。いや、びっくりしました」
「そんなこと──」

 てへへ、といった感じで、彼女は首をすくめた。
 人材っていうのは、転がってるもんなんだなあと、八重樫はもう1度思った。まあ、八重樫には人事権などどこにもないのだが。

「そういうのって、流行ってるんですか?」
 八重樫は、彼女の手元を眺めながら訊いた。
「そういうの……あ、これ?」
 彼女は気づいたように、先ほどの紙切れを持ち上げた。
「べつに、流行ってるわけじゃないです。知り合いがパズ研──パズル研究会の人が作ったのを、解いてみないかって渡されただけなんで」
「へえ。パズル研究会か。面白そうですね」
 言うと、また照れたように笑う。

 いろいろ話を聞いてみたいとも思ったが、名前も知らない相手から、いろいろ言われるのも迷惑かもしれないと、八重樫は口を噤んだ。

 そういえば……と、八重樫は彼女からザウルスへ目を戻した。
 そういえば、以前にも、外見とのギャップに驚かされたことがあった。

 八重樫の課で、毎期作成している販促用のリーフレットを外注したときだった。デザイン事務所が寄越したライターに会って、八重樫は度肝を抜かれた。

 そのライターは、茶髪を逆立て、両耳にいくつものピアスをしていた。服装も黒いライダースーツで、まるでロックバンドだ。
 ひと目見て、八重樫はむかついた。なんだこいつは……というのが、最初の印象だった。仕事の話をする気にもなれなかった。このミーティングだけつきあって、その後、デザイン事務所を叱りつけてやろうと考えていた。

 ところが、仕事の話をしているうちに、八重樫の気持ちが変わった。
 外見はパンク野郎だったが、ライターとしての腕はかなりのものなんじゃないかと思えてきたからだ。

 驚いたことに、そのパンク野郎は、万全の準備をした上で八重樫に会いに来ていた。発注される仕事に必要な知識はすべて頭に入っていたから、こちらの説明がスムーズに運ぶ。彼が出してくる提案も、きちんとツボを押さえたもので、逆に八重樫のほうが啓発されることも多かった。

 準備して仕事に臨むのは当然のことだけれど、その当然をしてこない外注先がかなり多い。外注の担当者が1番イライラさせられるのは、相手に基本から説明してやらなければならないことなのだ。
 そのぐらい調べてから来いよ、と言いたいぐらい、なにも知らないで話を聞きに来る。さらに、こちらの言うことをちゃんと聞いていない。理解しないまま、表面だけで片づけようとする。
 しかし、パンク野郎の仕事は、徹底してプロを感じさせるものだったのだ。

 そして、その結果、仕上がったリーフレットは、それまで作ってきたものの中で最高の出来だった。
 お蔭で、担当の八重樫がほめられた。

 やっぱり、外見じゃ判断できないんだよなあ……と、小さくうなずいたとき、前方でいきなり「キャーッ!」と女性の悲鳴が上がった。

 驚いて目を上げ、さらにびっくりした。
 シートから腰を上げた。

 ホームに巨大な火柱のようなものが動き回っていた。次の瞬間、八重樫は、それが人間だと気づいた。
 まるで、スタントショーの1場面のように、ホームの上でが全身から炎を立ち上らせながら、もがき苦しんでいる。

「────」
 あまりの光景に、言葉を失った。

 ショーであるわけはない。
 ここは、銀座駅なのだ。公共の場で、いきなり、あんな危険なショーなど始まるはずがない。

 自殺なのか? ガソリンでもかぶって、自分で火をつけた?
 しかし、男の様子はそう見えなかった。必死に火を消そうともがき、地面を転がりながらわめいている。覚悟の上の焼身自殺には見えない。

 では、なにかの事故が起こったのか?
 しかし、どんな事故が、駅の構内であのように人間1人丸焼きにするような惨事を起こすのか……。

 あ、と気がついて、八重樫はアタッシュケースを開けた。まだ手に持っていたザウルスをそこへ突っ込み、デジカメを取り出した。アタッシュケースはシートに降ろし、デジカメのスイッチを入れてホームのほうへ向ける。

 それとも、テロリストの犯行なのか?
 シャッターボタンを押しながら、八重樫は思った。
 しかし、それも、どこか妙だった。
 そんなことが起こってほしくはないが、テロリストの犯行だとしたら、男1人が標的にされるのではなく、ホームにいる人間が軒並み火だるまになるようなことを起こすのではなかろうか。

 では、あれはいったいなんなのだ?

 ホームの利用客の手助けもあって、男の身体の火はようやく鎮火された様子だった。しかし、倒れた男に動く気配はない。
 八重樫は、液晶のディスプレイを確認しながら、続けざまにシャッターボタンを押した。
 こういうのは、普通のカメラのほうがいい。デジカメでは、シャッターを押した後、画像を保存するためのタイムラグが生じるのだ──。

 突然、目映い光が辺りに照射された。
 同時に、八重樫は、デジカメが焼けて手に貼り付くような感覚を覚えた。そして次の瞬間──周囲のすべてが八重樫と共に吹き飛ばされ、彼の意識はそこで途絶えた。


    隣の
女の子
 
   

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