〈二〉
生まれは悪所の吉原田んぼ。ええ、手前の御母上様は遊郭の女、「女郎」だったんですよ。吉原はその店の格によって呼び名が違うんで。総籬ってのが大店で籬格子がしっかりついている。中店ってのが四分の三くらいの半籬、一番小さいのが惣半籬って言って値段も安い安女郎屋ですよ。まあ、花魁なんて世間様で話題になるのは総籬の中でも御職花魁と呼ばれる稼ぎ頭の二、三人ってところですな。
おっ母さんは中店の女郎でした。その中ではまあ売れている方だったそうですが、それこそ総籬の大店に比べると客筋もあまり良くありませんからね。回しなんて言って、一晩に何人ものお床を回ることもよくある話でした。そうしているうちに腹に赤ん坊ができちまったことに気づかずに、中条流とやらで堕ろすにも子が大きくなりすぎて、仕方ないから生んだってのが実のところだったらしいです。大きくなるうちに周りのお節介な連中に聞かされた話ですけどね。
おっ母さんはその頃にいい仲だったお客がいたそうで、薬種問屋の手代でしたかね。一、二度、旦那に連れられて来た男前が私の父親だって言い張っていました。でもそう度々来られる身分の人じゃありませんから、置屋の女将さんは違うんじゃないかって。まあ、所詮は遊里の徒な恋。私にとっても父親が誰かなんてことは今となってはどうでもいい話です。
女郎の子に生まれて来るなら女に限るってよく言ったもので。女の子ならばそれこそ金になるから、遊郭の女将さんやら女衒、男衆、店主らがみんなそろって可愛がってくれる。綺麗に着飾って、小さい頃から手習い、踊りに、琴、三味線と覚えてね。禿に仕立てて花魁のところに出入りしては、菓子や小遣いをもらったりできる。でも残念ながら手前は野郎でしたからね。そりゃあもう、イチモツついていたってことにおっ母さんは泣いたそうですよ。そればっかりは泣かれたからってどうすることもできやしませんが。
しかしまあそこは業突張りの女郎屋でございますから、ただ飯食わせておくのは勿体ないと思ったんでしょうな。
「禿ったって見目良い子がすぐに入って来るわけじゃないからね。この子だって化粧をすれば可愛く見えるし丁度いい」
って女将さんが言うんで、物心ついた時には赤いべべを着て、禿の代わりに女郎の横にしゃんと座っていたもんです。するってえと置屋のお姉さんたちもお客も可愛がってくれるから、私もすっかり気をよくして女の子みたいに振舞うようになっていたんで。とはいえそんなことも長続きしやしません。十を過ぎる頃になると、気の早いお客が禿だっていうのに寝所に連れ込もうとする。
「下手をして男だって露見しちまって、店の評判を落とすといけないから、禿はやめさせよう」
ってあっさり御役御免になりました。私が無体をされそうになったなんてことは、大した話じゃないんでさ。これが女だったら大騒ぎですよ。水揚げとなれば御足が弾むんですから。しかし野郎だったら、金もとれない上に店の評判に傷がつく。
まあ、それからは中途半端な立場ですな。
どこかに養子に出しちまえば良かったんでしょうが、それにはちょいと遅すぎる。とはいえ小僧が働くところはこの遊郭にはありゃしない。行く当てのない私は、吉原の外から来る芸者さんの三味線の箱持ちなんぞをして暮らしていたんです。
そんな塩梅ですから、先のことなんて考えたこともない。とりあえず明日のおまんまを食えるかどうか。置屋の布団部屋で寝る場所があるかどうか。そんなことを考えるだけで毎日が過ぎていく。
おっ母さんは毎夜忙しいから、手前のことなんざ何も構っちゃくれません。朝になってお客が帰った後に布団部屋に入ってくると、寝ている私に腹が立つんでしょうな。腹を蹴り上げられるのはいつものこと。おや今日は足の上がりが悪いってことは調子が良くねえな、ってなことを思うくらい。時々、私が肩なんか揉んでやると喜ばれることもありましたけど、逆に肩を摑んだ途端に、
「痛いじゃないか」
って張り倒されることもあって、女心はよく分からねえ……って、そりゃあ女心じゃねえか。癇の虫の居所だな。
そんなおっ母さんは、二年に一度くらいは男に岡惚れしましてね。付文届けに走らされたこともありました。客ならまだいいんですけど、御店の男衆やら髪結いやらに惚れてしまうとろくなことはねえ。朝になって客が引けてから部屋に男を引きずりこんじまうから、私は追い出されるし後になって女将さんには叱られるし。それに男が、私の顔を見るなり殴ったこともありました。悋気なんですかね。昔の男との間の子なんて、放っておいてくれればいいのに。
そんな風に暮らしていましたけど、十二になったある日、ふいと置屋の女将さんが私に、
「お前さん、これからどうするんだい」
と聞いてきました。
「どうするも何も、どうしたもんでしょうね」
そう応えると、女将さんは笑ってました。
吉原の中にいますと、お客以外で大人の男に会うことはあまりありません。お客を差配したりする男衆の他は、髪結い、幇間、用心棒、按摩……くらいですかね。堅気の商売なんざ見たこともないし、できる気がしない。女将さんもそうしたところに小僧奉公に出そうっていう気はまるでないようでした。
すると女将さんがふと、
「お前さん、そこで踊ってごらん。住吉踊りでいいからさ」
宴会を盛り上げる滑稽な踊りの一つですよ。女将さんは三味線を引き寄せて小唄を唄います。私は踊りも好きですから、その場でひょいと踊って見せた。すると、ふむ、と何かを思案するように首を傾げてから、
「ちょいと今日、暮れ六つ時にここにおいで」
と。言われた通りに女将の部屋に顔を出すと、火鉢を挟んで女将の向こうに幇間の左之助師匠がいらっしゃった。年の頃は五十ほどでつるんと頭は禿坊主。さる大店の旦那について、吉原を歩いているのをよく見かけていた人ですよ。うちみたいな中店じゃなくて、いつも総籬に行く客をもてなすために引手茶屋にいる。
「左之助さん、この子、お前さんのところで可愛がってやってくれないかい」
女将の言葉に私の方がびっくりしましたよ。左之助師匠は、ほう、と頷くともなく頷いて、首を傾げて私を見まして、
「何ができる」
「住吉踊りを少し……あと、三味線と琴も弾けます」
禿の真似事をしていた頃に仕込まれたおかげで、ちょっとした芸ならば身についていたのでそう言いました。やって見せようかと立ち上がろうとしたんですが、師匠は首を横に振って、
「見たって仕方ねえや」
と一蹴されましてね。何だ弟子にするってわけじゃねえのかと、半ばほっとした気持ちでいたら、
「いいよ。うちで面倒見るよ」
ってね。
いやいや待ってくれ。私は幇間になるつもりなんかこれっぽっちもない。女将さんが勝手に決めちまったんですよって言いたいけれど、どうにも言えない。ここに留まっていたからって、これから図体が大きくなってくればいよいよ、居場所がなくなるのは分かっていたんです。仕方がないと腹をくくるしかなかったんで。
「じゃ、お前さんは左之助師匠のところに行きな。おっ母さんには言ってある。女将さんのよろしいようにって言ってたよ」

まあ薄情な話もあったもんです。今さらおっ母さんに挨拶っていっても何を話せばいいか分からねえし、泣きながら「達者でね」なんて言われても噓くせえ。あっさりしたものです。おっ母さんは化粧しながら「行くのかい」って。こっちも顔も見ずに「おう」って返事して。わずかな荷物をまとめて左之助師匠の後にくっついて、その日のうちに大門の外へ追い出されちまいました。
ところで御武家様、幇間はご存知ですかい。ご存知ない。そりゃあそうか、御座敷遊びなんかも無縁でございましょうからなあ。時たまお忍びでさるお殿様が幇間を呼んで御座敷遊びした、なんて話もあるんですけどね。
幇間は太鼓持ち、男芸者なんて呼ばれる商売ですよ。着流しの絹の柔らかものを着て、白足袋雪駄。派手な色目の紋付羽織に手ぬぐいをちょいと頭にのっけて、吉原やら深川、新橋のお茶屋辺りで遊んでいる旦那のご機嫌をとる。宴席を盛り上げて、時には花魁と旦那の恋の橋渡しなんかもやるってのが、幇間の役割でございます。
私も幼い時分から吉原におりますからね、幇間にはそれこそどれくらい会ってきたか分かりません。
「よ、旦那。流石は旦那だ。花魁も放っておきませんよ。あちらのお姉さんがつい先だっても、あちきはあのお人がいないと寂しゅうござんす……って泣いてました。隅に置けないなあ」
これが幇間の決まり文句。でもその実、その花魁はこれっぽっちもその旦那のことなんか待っちゃいません。置屋の女将さんから、
「そろそろあそこの金回りのいい旦那を連れてきておくれよ。お足ははずむよ」
って言葉に釣られた幇間の噓っぱちでさ。でも旦那としては、幇間におだてられて気分よくなっちゃって。
「そうか……それじゃあ、久しぶりに花魁に会いに行ってやるとするか」
鼻の下伸ばしてひょこひょこついてくる。その旦那たちのカッコ悪いことったらない。私はそういうのをいつも見ていたもんですからね、何ともまあ、下心ってのは、どれだけ粋に見せようとしたところで、どうにもこうにもカッコつかねえもんだって、可笑しくって仕方なかった。でも門前の小僧ってやつで幇間の真似事はすぐにできるんで。
「お、旦那。いやいや粋な着こなし。そんな風にしてひやかしで歩いていたんじゃいけません。そこらの格子の中のお姉さん方が、さっきから旦那のことばっかり見ちゃって商売にならない。ここらで一人、決めてもらえませんかね」
こんな具合に、置屋暮らしの子ども時分に真似してまして、面白がったお客から駄賃をもらえたこともありました。
こちとら中生まれの中育ち。幇間なんざそんな難しい商売でもねえ。そこらの若造なんぞよりも上手くできるだろうと、なめていたんですな。伊達に禿ごっこをしていたわけじゃない。お座敷を盛り上げる芸事だって器用にできますからね。
左之助師匠のところには、遊びが元で勘当されたような若旦那崩れもいましたし、これで本当に幇間になれるのかってくらい、大人しい男もいました。そこへ来ると、私は弁も立ちますしね。まあ、顔も愛嬌があるってね。でも、幇間ってのは見目が難しいんですよ。顔が良すぎても悪いんで。何せ旦那に華を持たせる商売なのに、こちらがあまり男前ではいけません。また顔が悪すぎても、花魁に文を届ける時に受け取ってもらえない。悪くないけれど良すぎない私の顔ってのは丁度いい具合だったようで。
それからというもの、私は左之助師匠の後にくっついて色んな宴の席にお邪魔しました。
「とりあえず、何もしなくていいから、大人しく私のやりようを見てな」
師匠の言う通り、ただ黙って後をついて回るだけ。師匠はご贔屓頂いている旦那と共に宴席を回っては、時にはお昼を御馳走になったりして、その都度、旦那のことを、
「さすが旦那」
と言っては褒めそやす。噓くせえなあ……と思いもしましたが、さほど難しいことでもねぇ。
とりあえず覚えておくのは、宴で酒をきらさないこと。できるだけ高いものを注文させること。お茶屋の方から言われていますから、そこはきっちり守らなければいけません。あとは、三味線上手の芸者さんを何人かすぐに呼べるように、日頃からお菓子や化粧を差し入れたりしておくこと。場合によっちゃ、恋の橋渡しなんぞも引き受ける。
正直なところ、幇間という商いをさほどやりたかったわけじゃありません。ただ居場所がねえからここにいる。だから独り立ちしたいと思ったこともないし、幇間として稼ぎたいと思ったこともない。師匠の家にいりゃあ飯も食えるし寝ることもできる。蹴られることも殴られることもないし、時々、美味いものもご相伴できる。噓でも人を褒めそやすだけで生きられるってのは極楽だなあと思っていたわけで。
そんな調子ですからね。なかなか一人で座敷を任せてもらえねえまま、五年も過ぎました。若旦那崩れは早々に親族に引き取られて師匠のところからは去って行きました。もう一人の大人しい男は私よりも三つほど年かさで、名前を弥助って言いました。元は商人の子だったそうですが、親が身代潰して死んじまったそうで、幇間になろうって流れ着いてきた。そいつはもうしっかりご贔屓までついている。芸もなければ口も全然達者じゃねえってのに。
「弥助は大したもんだ」
師匠がしばしば言うんですよ。私はそれが気に食わねえ。あいつの何が大したもんなのかさっぱり分からない。それが口に出さなくても顔に出てたんでしょうな。
「一回、弥助の席を手伝ってこい」
渋々行ってみたんですけどね。私に言わせりゃ、これでもかってくらい退屈な宴でした。年増の芸者が長唄を朗々と唄って、もう一人がゆっくりと踊る。酒の減りも少ないし盛り上がることもない。
「何なら私も踊りましょうか」
そう言うと、旦那は、
「いや、いらないよ」
弥助はってえと、これと言って話をするわけでもなく、小声で喋る旦那を褒めるでもなく、ただ、
「ええ、ええ」
と頷いているだけ。
これで太鼓持ちだの男芸者だのって言えるのか。弥助を大したもんだと言う左之助師匠はどうかしている。
これまで、独り立ちしたいなんぞと思ったことはありませんでしたが、急に闘志が湧いてきましてね。
「私も一人で座敷を回りたい」
って直談判したんですよ。そうしたら師匠がお茶屋さんに掛け合ってくれましてね。しかし、いざお座敷に行ったはいいものの、どういうわけかあちこちでご不興を買っちまう。酒が空になりゃ気を利かして注文し、静かになっちまったら三味線や唄で盛り上げて、話を聞いたらすぐさま旦那を持ち上げてって……師匠と同じようにやっているつもりなんですけどね。
一度、さる大店の大旦那の御伴をさせていただいたんですが、
「さすが旦那でございます」
と言った瞬間、酒を頭からぶっかけられましてね。それで旦那がずぶ濡れの手前を見てけらけらと嘲笑うんで。
「うるせえなあ。媚びた口を利くんじゃねえ。出てけ」
とこう言うわけです。師匠の言いようを真似ているだけなのに何が違うのか、まるで分からない。
結局ご贔屓といえるお客もつきゃしねえから、またしても芸者のお姉さんたちの使い走りや、三味線の箱持ちをして日銭を稼ぐ暮らし。子ども時分に吉原でやっていたのと同じことですな。弥助より上手いことやっているはずなのに……と、思い悩んでおりました。
そんなある日、師匠に呼び出されましてね。
〈三〉へ続く
〈三〉
「出掛けるぞ」
どちらへって聞いても何も言わない。仕方ないからついて行きますと、
「さてと、これからどうしようかね」
なんて、ぼんやりしたことを言う。夏のことで、蟬がうるさいくらいに鳴いていて、じっとしてても汗が出るような暑い陽気に行く当てもなく川っぺりを歩いていた。まあ、こんな日は舟遊びってのが常道だけど、師匠が何をしたいか分からねえ。とりあえず、
「何処へなりともお供しますよ」
ってえと、
「じゃあ、鰻でも食べるかい」
言われるままに豪勢に鰻を頂きましてね。それからまたふらりふらりと歩いていく。
「湯にでも浸かって帰るかい」
「それもようござんすね」
ということで、背中を流して湯に浸かって帰る。それから通りすがりのお稲荷さんにお参りして、川辺で麦湯を飲んで帰って来た。一体、何で一緒に出掛けたんだか分からない。で、家に帰りますとね、
「今日は楽しかったねえ」
言われてみれば、一緒にふらふらとあちこち歩いて、のんびり過ごしていたのは確かに楽しかった。もちろん相手は師匠ですから、気を遣いはしますけれど、他愛ない話をぽつりぽつりとするのがなんとも居心地が良い。
すると師匠が、
「お前さん、これが幇間ってもんだよ」
と言うんです。
「いやいや今日は座敷に上がったわけじゃないし、酒の席もないじゃありませんか」
「幇間の務めってのはね、何も酒の席に限ったことじゃない。要は、目の前にいる旦那を気持ち良くすることだ。今日お前さんといて大層気持ち良かったよ。それが何でか分かるかい。お前さんがね、始終私を気に掛けてくれていた。慮ってくれた。それが気持ちが良かったんだよ」
そういうもんなのかって思いましてね。
居場所のなかった私に居場所をくれた師匠が、一緒に出掛けようと言って下さった。それが思いがけず嬉しくて。だから師匠に楽しんで欲しいと、精一杯心配りをしておりました。
「お前を呼んで下さる旦那方にも、そういう風にすればいいんだよ」
すとんと腑に落ちるってのはこういうことなんですかね。頭で分かってるってのと、腑に落ちるってのでは話が違う。
私はこれまでお茶屋にいる旦那たちに、今日、師匠に思ったような心持になったことはついぞございませんでした。旦那たちは金を払って遊びに来ている。その分しっかり盛り上げて、しっかり金を取らねばならない。そればかり考えていたんです。だから、旦那がどんな人であろうとも、同じように芸者衆を踊らせて盛り上げる。言うなれば、これまで私が幼い時分から見て来た大騒ぎの宴席の真似事をしていただけだったんですな。
一言で「旦那」と言ったって騒々しいのが好きな人もいれば、年増の芸者の爪弾く三味線の音が好きだという人もいる。そういうことをちっとも分かっていなかった。その点、弥助は物静かな旦那衆が粋に遊べるようにと心配りをし、静かな茶屋、大人の芸者を選ぶことに長けていた。ああ、それが違いであったのかと、ようやく幇間という仕事が分かったんでございます。
そうなるってえと、私は弥助のご贔屓のような物静かな旦那よりも、大騒ぎが好きな陽気な旦那たちの方が相性が良さそうだ。出入りのお茶屋の女将さんにもそう言うと、
「なるほど、ようやっと分かってきたらしいね」
と言われました。

そうしてようやく私にもご贔屓の旦那がついたんです。中でも私を可愛がってくださっていたのが、古物商の河内屋さんと乾物問屋の駿河屋さん。いずれも豪快な方たちでね。大笑いして騒ぐのがお好きで三味線のお姉さんたちも多少は下手くそでも明るい人がご贔屓。花魁だって美人っていうよりも、酒の飲みっぷりが良くてよく笑う女郎が好きだった。そういう方たちとの宴はともかく楽しくて、私も次第に幇間をするのが面白くなってきました。
やっと手前も一人前になれたかなっていう頃に、久方ぶりにおっ母さんの所に会いに行ってみたんです。同じ中にいますから何度か通りで顔は合わせていましたが久しく見ねえな、と思ったら大分前から病みついておりましてね。まあ、女郎にありがちな瘡ってやつで。置屋の女将さんの話では、いよいよどうにも枕が上がらないってことでした。
置屋に行くと、痩せちまって横になってましてね。
「来たよ」
って声を掛けたら、
「正さんかい。会いたかったよ」
って、知らない男の名前で呼ばれました。
「お前さんの息子だよ」
って言ったら何だかびっくりしたような顔をしていました。瘡の毒が頭に回って手前で子を産んだことも忘れちまったんですかね。最期の最期で分かり合えるとか、そんなことを望んでいたわけでもなかったんですが……ちっとはあったのかもしれません。会いたかったよ。達者かい……なんて言われていたら、少しは気分も違ったのかな。ま、今となっては仕方ねえ。それからほどなくして逝っちまいまして、女将さんとあっさりした弔いを済ませてそれで御終い。からりと晴れた冬の朝、浄閑寺に行きまして。あそこは女郎の死体を投げ込んでも弔ってくれるって、有難い御寺でね。投込寺なんて呼ばれてますよ。そこの供養塔の前で置屋の女将さんと並んで坊さんの読経を聞きながら、ぼんやりといい天気だなあ……って思ってましたっけ。
悔いなんざござんせん。ただ、ぽっかりと穴っぽこが手前の胸に空いたような、奇妙な心地がありました。
でも次の日にお茶屋に行って、唄い、踊り、酒を飲んでいるうちに、胸の穴のことも忘れちまう。ああ幇間で良かった。おかげでおかしな気分でふさぎ込んだりしなくて済むんだと思っておりました。
そんな時、河内屋さんの紹介である若旦那が私をお茶屋に呼んで下さったんです。そのお人は代々続く味噌屋の若旦那ということで、岡田屋さんとおっしゃいました。まだ若くて私よりちょいと年かさの二十半ばといったところ。河内屋さんがおっしゃるには、
「私なんかが連れ歩くと、引っ込み思案で大人しい人でね。遊び慣れていないようなのさ。少し遊びってものを教えてやって欲しい」
ということでした。たまに旦那衆に連れられて、不慣れなお茶屋遊びに右往左往している若い方がいらっしゃいますが、そうした御一人だと思いましてね。少し慣れた芸者辺りを呼んで楽しい宴にすればいいと思ったんです。それに河内屋の旦那が、
「払いについては気にしなくていいよ。岡田屋さんも羽振りがいいし、勘定をこっちに回してくれて構わないから」
そうおっしゃるということは、大分、可愛がっていらっしゃるんだなと。いっそお会いするのが楽しみだったんです。
引手茶屋には三味線のお姉さんも、舞上手な芸者さんもお呼びしておりましてね。花魁は、ご自身でお見立てになると思いまして、待っていたんでございます。すると、いざおいでになった岡田屋さんは、細身で色白の品のいい若旦那といった風でございました。
「これは岡田屋の若旦那」
私が出迎えますと、岡田屋さんは、ふん、と鼻を鳴らしただけでございます。あれ、河内屋さんのお話とは違うなと、ふと不安になったくらいに無愛想な方でね。
「花魁はどの子に致しましょう」
って言いますと、
「松葉屋の朝霧」
総籬の花魁の名前をさらりと出す。遊び慣れていないって話は聞き違いであったかなと。
しばらくして、朝霧さんが来ましたよ。素朴で大人しい雰囲気の人で、なるほど、これは通好みだなと思いましてね。それから若旦那は、黙って酒を飲んでおりました。
朝霧さんは、
「お久しぶりです、若旦那」
と、お馴染みの様子でした。しかしその実、朝霧さんは若旦那のことを好いていないのが分かります。とはいえ毛嫌いしているとか、あえて噓を言って媚びているというのではない。何というか……怯えているようにさえ見えたんで。
三味線のお姉さんは場を読んで爪弾きで静かにかき鳴らし、踊りの芸者さんは余所のお座敷に行って頂きました。
「河内屋さんからは、大層お堅い御方だとうかがいましたが、なかなかどうして、粋な若旦那でございますね」
沈黙に耐えかねて言いますと、若旦那は、ふん、とまた鼻を鳴らします。
「河内屋か。古物商の成り上がりが偉そうに口を利きたいばっかりに、私を呼びつけて。遊びを教えてやるって、いつだって手前の騒ぎに付き合わせやがって、挙句に幇間を世話してやるって、なんの真似だか」
私は、はあ、と言葉を失いました。お世話になっている旦那さんのことを悪く言われているんですから、ちゃんと言い返さなきゃいけません。でも今のお客は目の前の若旦那ですから、こちらにも気を配らねばいけません。
「河内屋さんは、若旦那のことを可愛がっていらっしゃるんですね」
私が言いますと、若旦那は、
「聞こえなかったのかい。私はね、あの旦那のことが嫌いなんだよ」
と、低い声で言いました。すると酌をしていた朝霧さんの手が震えて、お銚子から酒が零れて若旦那の膝にかかってしまいました。
〈四〉へ続く
〈四〉
「あいすみません」
朝霧さんが謝るよりも早く、
「何しやがる」
若旦那がその手で朝霧さんの頰をひっぱたきました。それもちょっとの力じゃありません。朝霧さんの体が横っ飛びに飛んで、頭の簪が床に落ちて髪が崩れるくらいでございます。若旦那はすっくと立ちあがると、朝霧さんの髪を摑んで上を向かせ、鼻がくっつくくらいに顔を寄せ、
「手前は、酌も満足にできねえのか」
と凄みます。その様に私は呆気にとられちまいました。しかしすぐに我に返って、
「まあ、若旦那。この子も悪気はないんで」
「手前は黙ってろ、男芸者」
と、今度は私を蹴り上げたんでございます。それは胃の腑に見事に当たりまして。おっ母さんに蹴られたことを思い出して、手前が急に小さな子どもになっちまったような心地がして、うっと蹲って動けない。三味線のお姉さんが部屋を飛び出して、男衆を呼びに行ったのが見えました。ようやっと顔を上げると、朝霧さんが泣きながら若旦那に「あいすみません」と謝っている姿があった。若旦那はそれを見て、にたにたと満足そうに笑っている。ああ、この男は私がこうして転がっているのも、朝霧さんが泣いているのも嬉しいんだ。
そして若旦那は朝霧さんの上にのしかかり、揶揄うように着物をはだけて首を絞める。朝霧さんが苦しそうに呻くのを見て、ケタケタケタと笑う。
その瞬間、私はカッと頭に血が上った。気合で立ち上がり、近くの膳を思い切り蹴飛ばしました。その音にはっと若旦那が気を取られた隙に、若旦那の股座を勢いよく蹴り上げたんでございます。若旦那は、ぎゃっ、と、声にならない声を上げてその場を転がりまわっている。私は朝霧さんを助け起こしまして、背に庇いました。
するとそこへ、三味線のお姉さんに呼ばれた男衆がどどどっと三人ほどやって来た。
「一体、どうしたんで」
私が言葉に詰まっていると若旦那が顔を上げて、
「そこの幇間が無礼なんだよ。私がこの女を買ったんだ。何をしたって文句を言われる筋はねえ。それを庇うとはこいつ、その女の間夫なんじゃねえのか」
と、矢継ぎ早にまくし立てました。私はすぐに男衆に目配せをして、違うと首を振りました。男衆は小さく頷いてから若旦那に向き直り、
「いやはや、茶屋の不手際であいすみません。今宵のお酒はこちらでもちます。験を直して、またのお運びをお願い致します」
怒りのおさまらない若旦那を宥めすかしながら、外へと連れ出してくれました。
朝霧さんはその場でおいおいと泣き崩れました。私もまた何でか知りませんが、朝霧さんの背を撫でながら悲しくなって泣きました。その時、泣いている朝霧さんの首筋に男の指の跡が真っ赤に浮かび上がっておりましてね。いつぞやおっ母さんに蹴られた時に見たおっ母さんの首にも同じような跡があったことを思い出したんで。
ああ、こんな風に無体をされていたのかと。おっ母さんに対する恨みつらみや悲しさ寂しさよりも、可哀想だったなあ……守ってやりたかったなあ……と、そんな風に思ったんでございます。
お茶屋でのそのしくじりはほどなく河内屋さんにも知れたようです。無体をしたのは岡田屋の若旦那でございますが、河内屋さんはそんなことはご存知ない。若旦那は、
「一八というのは性質の悪い幇間で、酒が入ったせいか、宴席で蹴られた」
というようなことを話したそうで。河内屋さんは、
「まあ、何やら事情があったんだろうよ」
と言って下さいましたが、それからはあまりお声がかからなくなりました。
師匠はというと、
「お前さんはその場を立って、男衆を呼びに行く。それ以上はしちゃいけなかったね」
とおっしゃいました。私も分かっちゃいましたが、どうにも耐えられなかった。
「あんな無粋な客がいたんじゃ、女郎はたまったもんじゃありません」
どういうわけかほろほろと涙が零れて仕方ない。師匠の前でこんな風に泣くなんて思ってもいなくって、手前で手前にびっくりしていたんですが、しまいには嗚咽を上げるほどになっちまいまして。どうにも格好がつかない。
すると師匠が、
「お前さん、吉原から離れな」
と言ったんです。
「幇間が吉原を離れて何処に行くんです。深川や新橋辺りの茶屋だけで、食っていけるわけがないでしょう」
「だからさ、幇間を辞めた方がいい」
「師匠までそんなことを言うんですかい。確かに今回はしくじりましたよ。でも、あの若旦那はいけません。それに私はあの朝霧って花魁の間夫なんかじゃありませんよ」
「そうじゃあない。そうじゃあないんだ」
師匠は私を宥めるようにそう言うと、ふうっと細い息を吐きました。
「お前さん、本音じゃあ女郎を買いに来る男が嫌いだろう」
何を今さら。男は女郎を買いに来るものだ。中に生きてりゃ知っている。当たり前を嫌がっていたら生きていくことさえままならねえ。好き嫌いの話じゃありません。そう言おうと思ったんですが、どういうわけか喉に痞えたように声が出ねえ。するとそれを見て師匠が頷いた。
「それがお前さんの胸のドン突きにあるんだよ。おっ母さんが死んだ時、さほど悲しくもねえってお前さんは言っていた。でもね、無体をされる朝霧を見て、金で買うってことを見せつけられて、お前さんは思わず手が出ちまった。そしてね、それは人としては道理だよ。だがそれが許されねえのがこの吉原のしきたりってもんだ。私なんぞは女郎は女郎と割り切れる。それは私が外で生まれて外で育ってきたからだ。お前さんは女郎を身内と思えばこそ、その悔しさに耐えられない。この先もここで耐えていくのは辛かろう」
「たとえそうでも、幇間としてやっていくって決めたんだ。見捨てないで下さい」
「そうするとね、お前さんがお前さんの胸の内を見捨てることになっちまう。分かるかい」

分かる……ような気がする。でも生まれた時から吉原にいる手前にとって、ここから離れるっていうのは、身ぐるみ剝がれるような心細さがある。辛うじてここに留まるための居場所だった幇間って生業を捨てて、全く知らない所へ出て行けっていう。この師匠は鬼かと思いました。だが、それが本当に薄情で言っているわけじゃないことも分かる。
図星だ。
私はおっ母さんを苦しめた男たちが嫌いだし、顔も知らねえ手前の父親も嫌いだ。禿の私を引きずり込もうとした野郎も嫌いだし、端から幇間を下賤と馬鹿にした態度をとる客たちも大嫌いだ。
それでもそいつらは飯の種だと思えばいい。おだてや噓に喜ぶそいつらを嘲笑ってやればいい。中にはちょいと優しい人もいる。そう思って奮い立たせてきた気持ちが、萎れちまってどうしようもねえ。
私は、頑是ない小僧みてえに泣き続けていましたが、師匠はそれを咎めることもせず、ただ黙って私を見ていました。それで私はもう、ここにいちゃいけねえんだって悟ったんでございます。
それからしばらくは師匠の口利きで、田原町辺りの裏長屋に住んで、おこしなんかを売っていたんですよ。子ども相手の商売ですから、珍妙な格好をして、太鼓を叩いて節をつけて練り歩くんで。それはまあ、私にしてみると幼い時分から、置屋のお姉さんたちに可愛がってもらうために会得した色んな芸が一度に披露できて、それなりに楽しかったですよ。目の前の子どもたちが笑っておこしを買っていくのが面白くって。しかしまあ、それでは長屋の家賃もやっと。稼ぎということにおいては、幇間をしているよりもはるかに少ない。たまに美味いものを食べさせてくれる旦那もいないし、世情ってのにも疎くなる。
狭い長屋の古畳の上に座り込んでいるってえと、何だか吉原がいいところだったんじゃねえかって思えて来る。苦界だ地獄だって言うけれど、私にとっては生まれ育った故郷で白粉の匂いも懐かしい。ふと空しい気持ちになりましてね。おこしを売り歩くのも嫌になって、一歩も外に出ねえ日が何日も続いたんでさ。こうしてここで飢えて死んでも誰も気づかねえんだろうなって思って、わあって叫びたいような心持になったりして。
いい加減に腹が空いて、ようやっと起きてふらりふらりと歩いていたら、道の向こうから乾物問屋の駿河屋の旦那が来た。
「おお、一八じゃねえか」
幇間として可愛がってくれていた旦那に会えたってのに、明るく返そうにも返せねえ。はあって、ため息みてえな挨拶をしちまったら、
「お前さん、ちょいと付き合いなよ」
って、連れてってくれたのが木挽町にある芝居小屋、森田座でした。
これまで、私はあまり芝居ってのに興味がなくてね。観たこともなかったし、どっかで芝居を馬鹿にしていました。
「唄も踊りも舞台なんかで見せるよりも、お茶屋で間近に見せる方が余程難しい」
ってな話を、お姉さん方がしているのを何度も聞いていましたから。
木挽町は、芝居見物のために大勢の人が着飾って集っていました。通りを行く人も華やいではしゃいでる。呼び込みの木戸芸者は、何やら大声張ってたし、菓子やら弁当やらの物売りたちも大騒ぎ。浮かねえ手前と違って景気のいい人が大勢いたもんだ。ひねくれた気分だったから、何だか人の喧しさが耳障りでね。
それでもあまりにも腹が空いていたんで、弁当をくれるって話につられてついて来たんですよ。
中には人がぎっしり大入り。何が楽しいんだか、みんな嬉しそうにまだ幕のかかった舞台の方を見ている。私もはじめのうちは弁当の方にばっかり気を取られていたんですが、幕が開くと小屋全体の空気がぴりりと変わる。
演目は『天竺徳兵衛』って話でした。主役の天竺徳兵衛を演じている尾上栄三郎が舞台の上に出てきた時、声の響き、立ち姿……目が吸い寄せられるように見入ってしまいましてね。
異国天竺に渡って帰ってきた徳兵衛が、父親の悲願を叶えるべく日本転覆を試みる。悪い男なんですが、それがまた粋でねえ。妖術を会得した徳兵衛が、飛んで跳ねて早替りする。そしてその徳兵衛が大きな蝦蟇に乗って見得を切った瞬間、客席がわあって盛り上がり、手前も思わず声を上げちまいましてね。ここが小屋だということも忘れ、弁当も忘れ、隣の旦那のことも忘れちまった。
何と言ったらいいんですかねえ……ああ、こんな世界があるのかって胸が躍りました。手前なんざ、吉原って小さな箱の中できりきり舞いしてしくじって、今また小さな長屋の中で引籠っているってえのに、徳兵衛って男は、異国に行って妖術遣って敵を倒していいなあ、こうなりてえなって。もちろん噓の話だってことは分かってますよ。そこまで阿呆じゃありません。ただ、いっとき浮世を離れる気持ちよさがたまらなかった。
「どうだい、芝居は面白いかい」
旦那にそう聞かれて、もう何度も深く頷きました。芝居が終わって間もなくすると、先ほどまで舞台の上で天竺徳兵衛を演じていた尾上栄三郎丈が挨拶に現れた。
「駿河屋の旦那。本日はありがとうございました」
そう言う様がまあ凜々しい。男の私が言うのもなんですが、惚れ惚れするようで。旦那はそれから一言二言、芝居を褒めてからご祝儀をやりまして、私の方を振り返り、
「こいつは元は幇間なんだが、茶屋をしくじって今は風来坊だ。今日、初めて芝居を見たそうでね。そうしたらお前さんの天竺徳兵衛を見て、こんな腑抜けみたいになっちまって」
そう揶揄います。でも仕方ねえ。つい今しがた、妖術遣いをやってた御方が目の前にいるんだ。私はずいと膝を進めたんです。
「いやあ眼福でございましたよ。あの台詞なんざ、耳について離れません。
足手纏ひの親はなし
一本立の天竺徳兵衛
雲に隠れ水に入る
妖術奇術は心の儘
あら嬉しや心地よやな
ってね」
ちょいと口真似して言ってみたんで。すると尾上栄三郎の旦那は、おっ、と驚いたような顔をして首を傾げましてね。
「お前さん、今日が初めてだっておっしゃいましたね。それで節も音も覚えちまったのかい」
「ええ。耳で覚えて真似るのは幼い時分から得意でしてね。幇間稼業もそれで何とかなっていたんで」
と答えますと、ふうん、と納得したように頷いてから、
「今度、うちへ遊びにいらっしゃい」
と言われましてね。
こちとら何せ暇をしておりますから、おまんまでもご相伴できればしめたもんだと、早速翌日に尾上の旦那のところに行ってみたんですよ。するってえと、
「この前の台詞をやってくれねえかい」
って。何がなにやら分からないけどやってみた。うんうんと、弟子やら女将さんやらと顔を見合わせて頷いて、切り出した。
〈五〉へ続く
〈五〉
「お前さん、木戸に立ってみる気はねえかい」
それが木戸芸者になったきっかけなんですよ。
何せこれまで芸を披露するったって、お座敷で金を払ったお客さん相手です。しかし木戸芸者は尾上の旦那やら森田座さんから金をもらいまして、ひやかしの客を相手にやるわけです。一緒に木戸に立つことになった先達の五郎さんが言うには、
「実はただで見物する客ほど、性質の悪いものはねえ。懐を痛めてねえからこそ言いたいことを言いやがる」
とか。それでもやるしかありません。
人人人でごった返す芝居小屋の前に設えられた台の上に上った時には、わっと数えきれない目がこちらを向いています。その目の中に期待がこもっているのが分かると、なんとも言えない心地よさ。
さあいざ、口を開きます。
「とざい、とーざい、
皆々様に案内申し上げますお芝居は『天竺徳兵衛』。この芝居を見逃しちゃあなりません。時の名人鶴屋南北が書き、当代きっての男前尾上栄三郎丈が演じる。正に奇想天外、神出鬼没。ここにおられる皆々様も、徳兵衛の妖術にかかっちまうこと間違いなし。ささア上覧あれエ」
本気で惚れた芝居を語るってのは、こんなにも気持ちのいいものかと。通りを行く人たちにもそういう心持は伝わるんでしょうな。ふと手前の前で立ち止まって口上を聞いたかと思うと、ぞろぞろと木戸を入って行く。それがまた嬉しくってしょうがない。
「お前さん、森田座でしばらく働きなさいよ」
尾上の旦那のすすめで、森田座の座長、森田勘彌さんも認めて下さった。
よく、吉原では「夢を売る」なんて言い方をします。しかし売っている当の花魁のお姉さんたちは、割り切って楽しんでいる剛毅なお人もいますが、その実、体を壊し、心を壊し、泣いている女が多うござんす。それを横目で見ていることが辛い時がありました。
芝居もまた「夢を売る」って言いますが、尾上の旦那をはじめ役者連中を見ていると、なんとまあ清々しく、明るいのかと。大部屋で端役をやっている役者たちも、裏方の連中もみんな、客に夢を見せるためだけど誰より手前が楽しんでいる。それがいい。
ああ、この連中の売る夢をもっとたくさんの人に見てほしい。そして浮世の憂さを忘れてほしい。そう心底から思えたのは、他でもなく手前が浮世の憂さに沈んでいた時に芝居に出会えたからなんでしょうな。そして、そこにやってくるお客たちは、手前と同じ浮世の人なのだと思えたんで。
吉原という悪所から、芝居小屋という悪所へ。
もちろん、芝居小屋にも苦さも暗さもありますよ。色を売る男も少なくない。世間様から見たらそこにいる連中は、吉原と同じく人別帳から外れた怪しい奴ばかりでございましょう。手前もそんなはぐれ者に過ぎません。
ただ左之助師匠が言っていたように、手前の胸のドン突きにしっくりくる生業ってのにたどり着けたような心持がしたんですよ。
……って、つい長々と手前の来し方なんかを語っちまって。御武家様は聞き上手でいけませんなあ。いっそ幇間にもなれちまうくらいですよって、ならねえか。
そうそう、それで若衆菊之助さんに会ったのは、木戸芸者としてはすっかり達者になった頃。木戸に来るなり私に向かって、
「名のある役者とお見受け致す」
って。笑っちまいました。
話を聞けば、この芝居小屋で仕事がしたい、しばらくの間お頼み申すって言うんでね。
まあきれいな若衆ですから、
「お前さんなら、女形でもやれば金を稼げるよ」
ってな具合に誰かに唆されたんでしょうかね。白塗りして紅でもさせば、そこらの女形よりも余程赤姫が似合うだろうって私も思いましたよ。意地悪を言うなら、芳町辺りで男相手に春を売る陰間をした方がもっと儲かりそうだ。それはもちろん言わずにおきましたよ。
「それでお前さんは芝居をご覧になったことはあるんですかい」
菊之助さんは首を横に振りました。一体なんだって、芝居を見たこともないのに芝居小屋で働きたいのか、私にしてみりゃとんと理由が分からねえ。
「まあ一度は見てごらんなさいな」
そう言って小屋の隅っこに入れてやったんで。
その時は『恋罠奇掛合』って話で、私も大好きな本でした。犬神遣いに奪われた宝珠を、女に化けた狐が取り返すという筋で、人気の女形、岩井半四郎が演じる狐が妖艶でいいって評判で大入りで。
御武家みたいに堅い御家で育った人には、鼻で笑う御伽噺かもしれねえと思いましたが、若様はじっと舞台を見つめていましたよ。そして、
「こんなに面白いものなのだなあ。私もいっそあの狐に助けて欲しい……」
って、しみじみ言うじゃありませんか。

若様にも芝居が上手いことはまったらしい。そうなると手前が褒められたわけでもねえのに嬉しくなっちまってね。それで座長の森田勘彌さんに引き合わせたんでございますよ。森田の旦那もはじめは菊之助さんのきれいな顔を見て、女形にしてえと思ったみたいだけど、まあ、御武家然とした人に、芸事をやらせようってもそれは難しそうだと思ったようで。
「当面、黒子でもやるかい」
って裏方に回したんで。芝居小屋ってのは色んな素性の者が入っていますからね。裏方に入るのは、吉原の大門をくぐるよりも楽ってな具合で。私もそんな次第で救われてきた者の一人です。成り行きで初めに声を掛けてくれた若様については、兄貴面して世話を焼きてえって思っちまいまして。
手前は悪所生まれで悪所育ちのしくじった幇間っていう、ひとっ欠片も人様に誇れる者じゃありませんが、物を知らねえ若様になら少しは偉そうに振舞えるんじゃないかってけちな性分もありましてね。手前のささやかな懐であちこち連れて回りましたよ。
町人の風体にさせましたけど、どこか育ちの良さが滲むのかえらく目立つ。芝居町を連れて歩いているってえと、
「おや、何処ぞの御曹司かい」
なんて、芝居好きに声を掛けられることもありました。菊之助さんは、
「畏れ入ります」
丁寧に挨拶をする。その姿勢がえらく様になっててね。なかなかどうしてこっちがお付の従者みたいに振舞っちまっていけねえや。
いつだったか、芝居小屋の裏手の屋台で蕎麦を一緒に食ってましてね。
「どういう気まぐれでこんなところにいるんだい」
って、その時に初めて聞いたんですよ。
「仇討を立てて参りました」
思わず蕎麦を噴き出しそうになってむせちまって。
仇討ってのは、芝居では何度も見たことがあります。吉原でもいきり立ったお姉さんが、
「仇とってやるんだ」
なんて物騒なことを言っているのは何度も聞きましたが、こんな風に御武家様が仇討を立てて来たなんて話を聞いたのは初めてで、驚いちまいまして。
「いやあ、そいつは豪気だ、男だねえ。さすがは武士ってね」
軽い調子で褒めそやしちまったんですよ。しかし言われた菊之助さんは、丸くて大きい目がゆらゆらと揺れて戸惑っているようで。
「褒められるようなことではない。父を討った男を討つだけで……」
俯いちまった。無理もねえ。父親の仇を探しているってのに、酒の席で揶揄うような口ぶりをしちまって。重い話になると笑い話に無理矢理変えて憂さを晴らす、幇間の悪い癖ですよ。しかし、そうなるってえと次の言葉が見つからなくて手前も黙り込んじまいました。
聞きたいことは山ほどあるが人にはそれぞれ事情がありますし、あまり深入りするのも粋じゃねえ。
「そうかい……がんばりな」
ようやっと返すと、菊之助さんはえらく寂しそうな顔をして笑いましてね。
これは、ちゃんと聞いてやらなきゃいけないんじゃないかって。幇間をしていた時分、
「人をよく見て、話をじっと聞くのも幇間の役目」
と教わったのを思い出しましてね。ちょいと陰のある菊之助さんの横顔を見ながら、ふっと問いかけてみたんで。
「お前さん、仇討したくないのかい」
「いや……やらねばならぬのだ」
答えるっていうよりも、手前に言い聞かすみたいに言ってから、ぐっと唇引き結んで黙っちまった。目頭には涙が溜まっている。それを見ていてふと、それは手前が吉原でしてた顔じゃねえかなって思えて来た。本当の気持ちに封をして、必死で踏みとどまろうとする苦さみたいなもんを勝手に感じちまってね。
その時、師匠に言われた言葉が頭を過りました。
「お前さんがお前さんの胸の内を見捨てることになっちまう」
私もそんな風に、菊之助さんに言ってやりたいと思ったんですが、上手い言葉は見つからねえ。ただ、なるべく重くならねえように、ちょいと心持が軽くなったらいいなって思って。
「逃げちまってもいいんですぜ」
って、蕎麦啜りながら言いました。
全く、仇討なんて雄々しい志を立てている若い御武家様相手に、手前と似ているなんて言うのもおこがましいことなんですがね。道理や筋にがんじがらめに縛られちまった様子が可哀想に思えてね。のっぴきならない事情って奴は、誰より手前がそう決めちまってる。でも道を外れても、存外、逞しく生きる術もあるって言いたくて。
私の言葉を聞いて、菊之助さんはえらく驚いた顔をしていました。無理もねえや。こちとら武士道もへったくれもねえ芸人ですからね。
でも、
「そんなことを言われたのは初めてだ。かたじけない」
と。それを聞いて私はぎゅっと胸が締め付けられるみたいな思いがしたんで。何とかしてこの若様を助けてやりてえって思っちまったんですな。
それじゃああの木挽町の仇討の時に、手前が何をしていたのかって……。
ははは、いやはや格好悪い。これから仇討に行こうって出て行ったのを、振袖を手土産にどこかの娘に会いに行くのかって野暮な了見で見送った挙句、仇討を小窓から覗いて知って、ただただびっくり。後になってその話を方々でして回ったってだけの役立たずで、甚だお恥ずかしい限りでござんすよ。
あの仇討の後、どれくらいしてからだったか。ご丁寧に芝居小屋に文が届きましてね。菊之助さんは無事に本国に帰られて家督を継いで、母上様も大層喜んでいらっしゃるって話でした。
そうなりますってえと私なんぞとは住む世界が違う。あの時、蕎麦の屋台で身近に感じたことが、遠い昔の御伽噺でもあるかのような妙な心持になりますなあ。よく芝居にあるんですよ。さるやんごとなき若様を、市井の人が助けるなんて一場がね。でも、現では何もできやしない。ただ一緒に過ごして、おまんま食べて寝て起きて……そんな一時が懐しくて慕わしくてね。
え……他にもあの仇討を見た人がいるかって。
そりゃあいますよ。芝居茶屋のお客なんぞもそれは見ていますし、小屋の連中にも、大勢おりますよ。他の誰かにも話を聞きたいってお前さん、私より他に上手く喋れる人がいると思わない方がいい。こちとら喋りで食ってる芸人ですよ。おや、下手でも構わないって。ふむ、上手すぎるから噓くさいって言うんですかい。そいつは殺生な。
まあそれなら、殺陣の指南をしている与三郎という人をお訪ねなさいよ。
元は御武家だったせいなんですかねえ、喋らせてもかたっ苦しくていけねえし、面白くもねえ。でもむしろそういう人の話が聞いてみたいって言うんでしょ。全く、口が達者なばっかりに信じてもらえないなんて、損ですなあ。
与三郎さんは若様とはよくやっとうのことを話していましたよ。大きな道場の師範だったらしくて、刀の打ち込み方からかわし方なんかも、小屋の稽古場や、そこの裏手の細道で木刀で稽古していました。与三郎さんのおかげで仇討が成ったんじゃねえかって、みんなで話しているんでさ。
今日はもうおりますまいが、明日の朝にでも芝居小屋の稽古場に行けば、大部屋相手にあれやこれやと指南してますよ。
ただ、そう簡単に話してくれるかなあ。まあ、何度か日参なさいまし。お百度まではいかずとも、三度くらいは。それでも喋らないって言うのなら、そうさなあ……ほら、御手合わせ願い申し候とか何とか言えば、御武家同士で分かり合えるってもんでござんしょ。
ま、訪ねてごらんなさいな。
続きは本書でお楽しみください。

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この試し読みは校了前のデータで作成しています。ご了承ください。
疑う隙なんぞありはしない、
あれは立派な仇討ちでしたよ。
芝居町の語り草となった大事件、その真相は――。
書籍
ある雪の降る夜に芝居小屋のすぐそばで、美しい若衆・菊之助による仇討ちがみごとに成し遂げられた。父親を殺めた下男を斬り、その血まみれの首を高くかかげた快挙は多くの人々から賞賛された。二年の後、菊之助の縁者という侍が仇討ちの顛末を知りたいと、芝居小屋を訪れるが――。現代人の心を揺さぶり勇気づける令和の革命的傑作誕生!
- 1,870円(税込)
著者紹介
永井紗耶子
ナガイ・サヤコ
1977年、神奈川県出身。慶應義塾大学文学部卒。新聞記者を経て、フリーランスライターとなり、新聞、雑誌などで幅広く活躍。2010年、「絡繰り心中」で小学館文庫小説賞を受賞し、デビュー。2020年に刊行した『商う狼 江戸商人 杉本茂十郎』は、細谷正充賞、本屋が選ぶ時代小説大賞、新田次郎文学賞を受賞した。2022年、『女人入眼』が第一六七回直木賞の候補作に。他の著書に『大奥づとめ よろずおつとめ申し候』『福を届けよ 日本橋紙問屋商い心得』『横濱王』などがある。
『木挽町のあだ討ち』永井紗耶子
第一幕 芝居茶屋の場
とざい、とーざい。赤穂浪士も曾我兄弟も、仇討物語は数多かれど、まことその目にしたという人はさほど多くはございますまい。かく言う私、木戸芸者の一八は、間近に見たのでございます。木挽町の仇討は芝居も敵わぬ見事さで、この界隈では知らぬ者のない一大事。
って、それにしても旦那は何だって手前なんかを芝居茶屋に招いて、そんな話をしろっておっしゃるんで。芝居茶屋といったら大抵、羽振りのいい旦那がご贔屓役者と一杯やるのが相場でございましょう。ぱっと見たところ、お若いのになかなか堅物な……いや失敬、ご立派な御武家様とお見受け致しますが。いえいえ、詮索をしようってことじゃございません。けちな芸人でございますからね、お招きに与ればいくらでもお話し致しましょう。お座敷を取っていただき、こうして初鰹までのったお膳にお酒まで頂戴しておいて、黙る阿呆はおりません。
それで旦那、御年は十八とな。こう背筋がぴんと伸びて勇ましくていらっしゃる。ほう、参勤交代で参られた。此度が初の江戸番ですか。そろそろ六月になれば御国にお帰りになると。江戸を離れがたいでしょう。そうでもないとは残念だ。楽しい所に行ってないんでございましょう。今度、お越しの時には、江戸をしっかり楽しめるように案内させて下さいよ。
あ、そんなことは後にして。では、仕切り直して一つお話し致しましょう。
あれは忘れもしない二年前の睦月の晦日。雪の降る晩のことでございます。
そこの芝居小屋、森田座の裏通りに、唐傘を差した人影がありました。その下に鮮やかな振袖が覗いていて、こいつは役者と逢引をするいいところのお嬢様かな、という風情。芝居小屋から漏れ聞こえる三味線の音と相まって、何やら色恋の芝居の一場が始まるような有様で。
するとそこへ一人の博徒が三下男を一人率いてやって来た。その名は作兵衛。身の丈六尺はあろうという大男。やれ、やくざと喧嘩をして刃傷沙汰を起こしたとか、若い娘に無体をしたとか、とかく賭場の界隈で悪い噂の絶えない三十路ほどの強面でございます。
その作兵衛、一人で佇む娘の姿に邪な心持を抱いたと見え、にやけた顔で近づきます。
「若い娘がこんな時分に一人でいちゃあ、危ないぜ」
なんて言って、袖に手を伸ばしやがる。芝居の帰りで路地を覗く野次馬もありましたが、娘を助けようって気骨のある者は誰もいない。それをいいことに作兵衛めがぐいっと娘の腕を引きます。
すると娘は唐傘を落とすと共に、ひらりと振袖を脱ぎ捨てて作兵衛に投げつけた。ややっと思うとそこに現れたのは、白装束を纏った前髪の若衆。年のころは十五、六。雪の中でもなお分かる白皙の美少年だ。それが大刀をすらりと抜き放ち、さっと正眼に構えて前を見据えるその佇まいの凜々しいこと。
「我こそは伊納清左衛門が一子、菊之助。その方、作兵衛こそ我が父の仇。いざ尋常に勝負」
その声は朗々と響き、すわ仇討だ、と、先ほどとはまた違う筋書きの一幕が始まった。
続々と集まった野次馬もさすがに刀に怯え、遠巻きに人垣が出来た。ぽっかり空いたところに上手い具合に芝居小屋の窓から零れる明かりが差して、向き合う二人を照らしている。
作兵衛は衆目の中で逃げるわけにもいかないと覚悟を決めたらしく、すっと長脇差を抜き放つと、険しい顔で若衆を睨む。しばし時が止まったように静かに雪が降り積もる。
いざ若衆が気合と共に斬り込むと、作兵衛も振りかぶる。一合、二合と刃を合わせる音が辺りに響いた。しかしこの二人、何せ体がまるで違う。このままでは華奢な若衆菊之助がやられちまう……と、思ったが、その身軽さでひらりひらりとかわすうち、作兵衛の息が上がってきた。
こいつは菊之助の策か、と思った矢先、
「やあ」
と一声高く上げ、菊之助は勢いよく刀を揮った。
「ぐわああ」
断末魔の声が辺りに響き、ぶわっと真っ赤な血飛沫が白い雪の上に飛び散り、菊之助の白装束も瞬く間に紅に染まる。作兵衛がどうと倒れ込んだ。三下が、
「親分」
と叫び駆け寄るも動きはない。菊之助は怯むことなく足を進め、倒れた作兵衛に馬乗りになって止めをさした。立ち上がった菊之助の手には赤い塊が……
「父の仇、作兵衛。討ち取ったあり」
高らかに謡い掲げたそれは、なんと作兵衛の首級。こうして首を抱えた菊之助は闇に駆けていき、降り続く雪が静かに赤い血痕を消していった。
〽天晴、若衆菊之助、見事仇を討ち果たし、これが世にいう「木挽町の仇討」ィィ
ベベンっと、ここで鳴り物の三味線でも入れば、良いんですがね。今日の御座敷には芸者のお姉さん方はいらっしゃらないので、口三味線で失礼を。
見ていたのかって。ええ、もちろん。
手前は森田座の木戸芸者でございますからね。芝居が五つに跳ねてから、小屋で仲間と片付けなんぞしておりましたら、戌の刻時分に、
「おいおい、えらいことが始まったぞ」
って小屋の仲間が騒ぎ出したので、ひょいと裏手の小窓から覗いて驚きましたよ。
おかげさまで、それからしばらくはこいつをネタにあちこち話し歩いておりました。
やや、お気遣いなく。手酌で勝手に頂きますんで。
え、手前の年でございますか。当年とって二十八でございます。見えませんか。存外、顔が丸くて可愛らしいって評判でしてね。あ、そんなことないですか。それは失礼。
で、木戸芸者なんかを呼んだ理由をうかがいたいんですがね。え、木戸芸者って何かって。御武家様は木戸芸者をご存知ないんですか。それどころか芝居もからっきし……と。
まあ芝居町なんて、江戸においては悪所と呼ばれるところですからね。品行方正な御武家様なんぞはそうそう足を踏み入れないとは聞いていますが、こちとら生まれも育ちも悪所でございますからね。世間様とは色々ずれているんでございましょう。
芝居町とはどんなところかって、まあ見ての通りの悪所でございますよう。まあ、ざっくり申しますとね、江戸にはお上からのお許しを頂いている芝居小屋が三つございます。この木挽町にある森田座と、堺町の中村座、葺屋町の市村座の三座です。そこにそれぞれ控櫓ってのがございましてね。中村座には都座、市村座には桐座、森田座には河原崎座っていうんです。今は木挽町は控櫓が立っているんですが、通りがいいんでついつい森田座って言ってます。興行主の河原崎の旦那に知られた日にゃあ叱られちまいますけど……
それで、どの芝居小屋にどの役者が出るのかを決めるのが霜月十一月の吉例顔見世でして。役者たちは、それぞれの芝居小屋と一年の契約をする。毎年、顔見世の時にどこの小屋に出るのかをお披露目するんですよ。ご贔屓の役者が今年は中村座だけど、来年は市村座ってことになれば、見に行く小屋も変わりましょうから、人気役者を取り合って三座の旦那は毎年話し合うんです。もちろんお客の方でもご贔屓だけではなくて、
「おや、今年の中村座には新顔がいる。これもまたいいねえ」
なんて、目移りするのも当たり前。芝居狂いの連中は、それこそ三座まとめて顔見世を見て、今年のご贔屓をどこにするかを決めるってなもんでございます。
で、そこで大事な役目を果たしているのが私ども木戸芸者ですよ。
木戸ってのは、芝居小屋の入り口のこと。あそこで木戸銭を払って中に入ると、初めて芝居を見物できるんでございます。
御武家様も今日、芝居小屋の前を通りましたでしょう。今、木挽町では市川團十郎に名女形の岩井半四郎、瀬川菊之丞に片岡仁左衛門って、いずれも名の知れた役者たちの大看板が立ってますからね。芝居好きはそれだけでもう、心浮き立つもんなんですが……どうも、さっぱり分からねえってお顔でいらっしゃる。無理もありません。何せ、芝居を見たことないってんですから。
しかしまあ、どれほど芝居好きだとしても、お馴染みの演目以外は何をやっているのか分からねえ。新作なんかかけた日には、小屋の前でああでもねえこうでもねえって噂話で盛り上がってますよ。で、私ら木戸芸者は、そうやって小屋の前で入ろうかどうしようか迷っているお客相手に芝居の見所や面白さをお伝えするのがお役目で。
まあ、こんな具合に紫の単衣に黄色の羽織、頭にゃ手ぬぐいを巻いて派手な格好をして、扇を片手に語るんで。大抵は二人か三人かで並んで立って語るんですけどね。何せ手前は声が大きいんで時には一人で立つこともございます。それで、芝居の中身を語るのはもちろん、時には看板役者の台詞を真似て口上して見せる。それこそ曾我兄弟の仇討となりますれば、例のあの、外郎売の長台詞なんてのをさらりとやってのけるわけですよ。
え、今、ここでやるんでございますか。では、失礼して……
〽来るわ来るわ何が来る
高野の山の御こけら小僧
狸百匹 箸百膳 天目百杯 棒八百本
武具馬具武具馬具三武具馬具
合わせて武具馬具六武具馬具
菊栗菊栗三菊栗、合わせて菊栗、六菊栗
麦塵、麦塵、三麦塵、
合わせて麦塵、六麦塵
いや、そんな見事でござるなんて言われるほどのこっちゃありません。こりゃ木戸芸者ならば誰でも言える台詞の一つでございますよ。こういうのをね、その時の役者の口ぶりを真似るんで。團十郎みたいに見得を切って見せたりすると、おおって歓声が沸こうってもんですよ。もちろん手前は真似てるだけの鸚鵡でございますから。本物は金を払って小屋に入らなければ見られないっていうことも、皆さん重々ご存知で。
中には、自分でやってみたいって酔狂な方もいらっしゃるので、名台詞だけを集めた「鸚鵡石」なんて本もあるんですよ。私らなんかもそいつをしっかり頭に叩き込んでおります。
しかしまあ、けちな御仁も多くございますよ。一度も芝居小屋に足を踏み入れたことはないけれど、木戸芸者だけ評して回って、
「あそこの木戸はなかなか芸達者だが、こっちの木戸は今一つ」
なんて勝手なことばっかり言いやがる。まあ私は中でも腕がいいって評判でして。
そんなことはさておき、そうそう、それで「木挽町の仇討」でございますね。
初めてその話をした時にはまあ、やんややんやの大騒ぎでした。江戸っ子ってのは噂話が好きでございますからね。しかしこれは噂じゃあない。すぐそこであったことなんですから。
しかし人様というのは、時が過ぎれば忘れ去るのも早いもの。この往来で仇討が行われたというのにあっという間に飽きちまう。
「ああ、そんなこともあったかね」
「あの話はもう手垢がついちまっていけねえ」
「赤穂浪士ほどは面白くない」
って、世間の口ほど勝手なものはございません。でもね、私なんぞのようにこの目でそれを見た者からするとなかなか忘れられるもんじゃありません。骸を見たかって。まあ……足元くらいは見ましたよ。首を落とされた骸をしげしげと見たんじゃ、後々までも夢見が悪そうで。小屋の連中も気味悪がってとっとと焼き場へ持ってっちまった。今でもぶるるっと震えらあ、南無阿弥陀仏っと……
若衆菊之助さんについては、よく覚えていますよ。何せ、一時は森田座にいらしたんですから。
御武家様には釈迦に説法でしょうが、仇討ってのは、それこそ御国を出るためにまず、これこれこういう理由で誰を仇として討ちますよって御国からの免状を取らねばならない。更には奉行所にも届け出なければなりません。そして、その仇を見つけて討ち果たすまでは御国に帰ることさえままならないそうでございますねえ。
芝居なんかでは仇討が成った話が多いですし世間様でもそちらがもてはやされますけど、この江戸には仇を見失って御国に帰ることもできず、浪人のようにふらりふらりと長屋住まいしている連中もおりますよ。そうなるとなまじ武家の生まれが恨めしくもなりましょうなあ。
それで、肝心の仇討を成し遂げた菊之助さんの話でしたね。
ええ、初めて会った時のことは今でもはっきり覚えていますよ。何せ絵草紙から抜け出て来たかのような見目麗しい若衆でしたからね。でもねえ、長旅のせいでくたびれ果てて、路銀も底をついていたらしく、途方に暮れたような顔してましたっけ。しかも芝居小屋の前にわざわざ来たってえのに、芝居のことなぞ何も知らない様子でした。
いつものようにこうして木戸口で芝居の口上などを話しておりますとね、ついと私の前に進み出て来られて、
「そこもとは、かように弁が立つところを見ると名のある役者とお見受け致す。ここで働かせてはもらえぬか」
そう言うじゃありませんか。はじめのうちは揶揄っているのかと思ったんですがね。どうやら心からそう思っていた様子。そうなるってえと、こちとら根が単純ですからね。嬉しくなっちまって、あれやこれやと世話を焼くことになったんでさ。
あの仇討の夜もね、少し前まで一緒に芝居小屋にいたんですよ。そうしたら菊之助さんが、ひらりと一枚の古びた赤姫の振袖を持って、小屋の裏口へ歩いていくのを見かけましてね。
「どうしたんです」
って声を掛けたら、
「何でもない」
と。若様がいくらきれいな顔立ちで振袖だって似合いそうだからって、持って帰るわけでもあるまいし。でもまあ、何でもないってのを問い詰めるのも野暮だから、
「そうですかい」
って言ったんです。どこかの娘さんにでもあげようって話かと思いましてね。
結局、あれは博徒の作兵衛めをおびき寄せる小道具だったんだってことは、後になって知りました。いやはや、やはり若くても武士は武士。勇ましいものでございますよねえ。
それで、御武家様はあの木挽町の仇討の何について知りたいんですかい。もしや菊之助さんに文句でもあるって言うんですかい。そいつは聞き捨てならねえなあ。え、そういうわけじゃないんですか。菊之助さんからのお文をお持ちなんでございますか。おや旦那、菊之助さんとお知り合いで。お親しい間柄で。そういや年のころも同じくらいでしょうか。ふむ……ちょいと拝見しましょう。
「この者は某の縁者につき、事の次第やそこもとの来し方など語って欲しい」
って書いてございます。確かに菊之助さんの手蹟ですけどね。
手蹟が分かるのかって。分かりますよ、そりゃあ。こちとら元は「中」の者ですからね。え、「中」もご存知ない。はあ、また見たこともねえくらいの堅物が来たものだ。
中って言ったら吉原遊郭のこと。さすがに女郎は知っているでしょう。あそこで誰から誰に宛てた文か分からない奴は食いっぱぐれること間違いなし。もしも宛先間違いなんてした日には、縄で縛られ庭木に吊るされようってもんですよ。食っていくためにもまずは歌を覚えて、手蹟を覚える。それが当たり前ですよ。
ま、吉原と芝居町ってのは縁が深いんですよ。いずれも悪所。どちらに住まうも人外ってね。人別帳にのらない有象無象が行き交っているんで。なのにいずれも当世風の風上ってやつで、流行りの唄から着物や髪形、化粧まで、町の連中はこぞって真似してる。見下されているやら見上げられているやら、手前どもも何処に立っているのか分からなくなる有様で。
そなたのことをもそっと詳しく……って。一体、何をお知りになりたいんですかい。
確かにここには「来し方」って書いてありますけどねえ。手前の来し方なんざ、聞いたところで土産話にもなりゃしない。それに菊之助さんは先刻ご存知ですからね。菊之助さんと同じことを知りたいっておっしゃるんですか。
参ったなあ。まあ御武家様のような御人からすりゃあ、手前みたいな野郎はそうそう見たことのない類でしょうから、面白がるのも分かりますよ。ふきだまりに棲む妖怪かなんかだと思ってらっしゃるんじゃありませんか。そうじゃないって、そんな真っ直ぐな目をして見られても話すことが増えるわけじゃありませんけど……今更、恥ずかしがることでもないんで、面白おかしく聞いてくれりゃあそれでいいや。手前の人生なんて、丸ごと小噺みたいなもんですからね。
〈二〉へ続く