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 page 1月まで三キロ〔 page 2/2 〕

「知ってました?」
 運転手が三たび言った。ハンドルをきちんと両手で握り、視線は正面に向けている。
「月ってね、だんだん地球から遠ざかってるんですよ」
 月が遠ざかる――ぼんやりした頭で、嘘みたいな話だと思った。
「びっくりでしょ。でも本当なんです。月は一年に三・八センチずつ、地球から離れていってるんですよ。理屈はちょっと難しいんですがね、さっきの話と本質的には同じです。月も地球に潮汐力を及ぼしていて、地球の自転にわずかにブレーキをかけている。その反作用として、月の公転が加速される。月にはたらく遠心力が増して、ちょっとずつ公転軌道が大きくなっていくわけです」
 赤信号に引っかかった。運転手がまた窓を全開にする。入り込んできた外気に、草の匂いを感じた。
「ですから、太古の月は、もっと大きく見えたんです。やっぱり、人間なんてまだいない時代の話ですけどね。今、月までの距離はだいたい三十八万キロです。それが、四十億年前より昔、つまり地球と月が生まれて間もないころは、その距離は今の半分以下でした。地球から見える月の大きさは、なんと今の六倍以上」
 運転手はまた窓の外に顔を出し、うしろに首をのばして月を見上げた。
「この六倍ですよ、六倍。たぶん肉眼でクレーターまではっきり見える。すごい迫力だったでしょうねえ」
 聞いているうちに、初めて疑問がわいた。この男は何者だろう。なぜこんなことに詳しい。最近プラネタリウムにでも行ったのか。あるいは、天文マニアだろうか。だが、それ以上の想像力ははたらかない。
 車が走り出す。運転手の声を意識から遠ざけ、横の窓に目を向けた。高速道路の高架をくぐる。たぶん新東名だ。それを越えると、暗闇の領域がぐっと増えた。開けた平地に、工場と家屋が点在している。
 同じ郊外でも、実家周辺とはまるで似ていない。岐阜市はもっと山がちなので、道幅がせまく、集落ももう少し密集している。
 生まれ育ったのは、岐阜市の北のはずれ、まだ田畑が多く残る町だ。実家は県道沿いの古い平屋で、やはり家の裏に田んぼと小さな畑を持っていた。田んぼのほうは、代々農家だった我が家に最後に残った一反だと聞かされていた。父は、その一反を何とか守っていくのが家長としての義務だと考えていたらしい。
 そんな父とは、子どものころから折り合いが悪かった。
 支那事変の年に生まれた父は、高校を出たあと、市の職員になった。水道局だか水道事業部だかに長く勤めていたはずだ。
 平日は毎朝五時に起き、田んぼと畑の世話をしてから出勤する。仕事から帰ると、夕飯を食べながら瓶ビールを一本。NHKを一時間だけ見て風呂に入り、九時半には寝てしまう。父に先回りして黙々とその支度をする母は、家族の団らんなどとうにあきらめていたらしい。週末はもっぱら農作業で、田んぼか畑に一日中いる。定年退職するまで、そんな判で押したような生活を送っていた。
 だから、家族旅行はおろか、近所の公園に連れていってもらった記憶すらない。勤勉だといえば聞こえはいい。だが実際は、遊ぶということがよくわからなかったのだと思う。
 口数こそ少ないが、一人息子への干渉と束縛はひどかった。口を開けば否定的な言葉。少なくとも自分はそう感じていた。思春期になると、当然のごとく軋轢が生じる。こちらのやりたいことは許してもらえず、やりたくないことばかり強要された。田んぼを手伝え。高校はここや。アルバイトはあかん。原付バイクなど必要ない。あらゆることで衝突した。

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 高校三年のときには、大学進学のことでつかみ合いの喧嘩をした。自分が高卒で悔しい思いもしたのだろう。いい大学へいけとは昔から言っていた。父の中で、いい大学というのは一つしかない。地元の国立大学だ。
 地元の国立大学を出て、地元でいい会社――できれば県庁か市役所に就職する。それが、父の考える理想の人生だった。父の人生を少しグレードアップしたようなもの、といえばいいかもしれない。そこへ導いてやるのが親の務めだと、父は固く信じていた。
 学力的にはそれも可能だったと思う。だが自分の希望は違っていた。どうしても東京へ出てみたかったのだ。東京の私立大学を受験すると言い張って、父と揉めた。希望がかなったのは、母のおかげだ。「そのために勉強も頑張っとるんやで、あの子の思うようにさせてやって」と、泣いて父に頼み込んでくれた。
 入学したのは、御茶ノ水にある大学だ。入ってしまうと、ご多分にもれず、仕送りだけもらって遊び暮らした。ちょうどバブルの真っただ中。学生たちも浮かれていたし、デートや洋服に金を使うことをためらわなかった。一年生の夏休みに車の免許を取り、女の子を乗せてスキーに行きたいがために、冬が来る前に中古のホンダ・プレリュードを買った。
 ろくに講義にも出ず、精を出すのはアルバイト。暇さえあればパチンコか、誰かのアパートで麻雀を打つ。タバコを覚えたのもこの頃だ。岐阜にはほとんど帰らなかった。我ながら、甘ったれた息子だったと思う。
 名古屋で就職した理由は、二つある。一つは、東京での就職活動があまりうまくいかなかったこと。もう一つは、母のためだ。大学三年のとき、母はもともと患っていた心筋症の手術を受けた。その後は元気になったが、遠くで暮らすのは心配だった。名古屋に住んでいれば、実家まで一時間で帰ることができる。
 だが、この就職についても、父はしつこく苦言を呈した。広告代理店というのが気に入らなかったのだ。何やら軽薄な会社だと勘違いしていて、いくら仕事の中身を説明しても、理解しようとしなかった。最後には、「お前はそれがかっこええと思っとるかもしらんが、要するに、チンドン屋の元締めみたいなもんやろうが」と言ったほどだ。
 就職してからは、年に三、四回は実家に顔を出すようになった。結婚すると、それが年に一、二回に減った。祐未が岐阜に行きたがらなかったのだ。会うたびに「子どもはまだか」と平気で口にする父が、疎ましかったのだろう。
 会社を辞めて独立したことは、父には事後報告だった。「考えが甘すぎる」と眉をひそめられたが、それはまだいい。その会社をつぶし、挙句に離婚までしたことは、一年近く黙っていた。そうでなくても精神的には崩壊寸前だ。その上あの父に責められては、本当につぶれてしまうと思ったのだ。
 だが、ついに貯金が底をつくと、そんなことは言っていられなくなった。足を引きずるようにして、実家を訪ねた。すべてを話し、生まれて初めて自分から父に頭を下げた。父の第一声は、「恥ずかしいやつや」だった。顔も上げられなかった。母はショックで呆然としていた。父は冷たい声で、「まったく、うちの恥さらしじゃ」と続けた。

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 名古屋のマンションを引き払い、実家に戻った。四十四にもなって年金暮らしの両親に頼る自分が、心底情けなかった。結局のところ、甘ったれた息子のまま、歳だけとっていたということだ。泣きつく先があったから、覚悟も能力もないくせに、好き勝手ができたのだ。
「人様に迷惑をかけるな」が口癖の父は、借金を忌み嫌っていた。マンションは任意売却にかけることにした。父も、黙って田んぼを売りに出した。父がどんな気持ちで最後の一反を手放したのかは、とうとう分からずじまいだ。どちらもかなり買い叩かれたものの、半年ほどで売れた。借金は二千五百万円ほどになった。
 となりの市のスーパーで働き始めた。近所で仕事を探さなかったのは、昔の友人たちと顔を合わせたくなかったからだ。週五日、一日八時間働いたが、身分はパートだ。休みの日には、交通誘導のアルバイトも入れるようになった。パチンコ店には近づかず、収入の大半を借金の返済にあてた。
 前向きに生き始めていたわけではない。規律正しい生活を送っているほうが、不安を感じずにすむ。常に体を疲れさせているほうが、余計なことを考えずにすむことに気づいたのだ。もしかしたら、父もそうだったのかもしれない。気弱な心を覆って保護するための、生真面目という鎧。小心なのは、父の血か。今になればそう思う。
 母が急逝したのは、その翌年のことだった。

「知ってました?」
 運転手が、また言った気がした。
「この先にね、月に一番近い場所があるんですよ」
 月に一番近い場所――。
 そんな風に聞こえたが、耳がどうにかなったのだろうか。そうでないなら、おかしいのは運転手のほうだ。もしかしたら、今までの話も全部デタラメかもしれない。聞き返しもせず、ぼんやりした頭でそんなことを思った。
「変なこと言ってると思ってます?」運転手は可笑しそうに続ける。「そりゃそうですよね。でも、行けばわかりますよ。実はね、私の行きたいところというのは、そこなんです。あと十分ほどで着きますから」
 いつの間にか、景色が変わっていた。道幅がせまくなり、左右に低い山がせまっている。岐阜に帰ってきたかのように錯覚した。
 あの夜のことを思い出す。スーパーの閉店業務を終えようとしていたとき、母が倒れたと父から電話がかかってきたのだ。店のエプロンをつけたまま、母が運び込まれた病院へと軽自動車を飛ばした。到着したときには、もう心臓が止まっていた。心筋症が原因の致死性不整脈だと説明を受けた。父の話によれば、風呂を出た直後に左胸を押さえて倒れ、意識を失ったのだという。
 葬儀が終わってからの数週間は、あまり記憶がない。気が抜けたような状態だったのだと思う。そのあとの数週間は、悲しみと後悔に暮れた。母を安心させてやることがとうとうできなかったという事実が、鈍痛となって心の芯に居座り続けた。

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 父と二人きりの生活に重苦しさを感じるようになったのは、何カ月か経ってからだ。食事はほとんど、勤め先のスーパーの見切り品。食卓に会話はない。定年後の父は、ちょこちょこ家事もしていたのだが、母が亡くなってからは何もやらなくなった。毎日出ていた裏の畑にも、あまり出なくなった。増えたのは、虚ろな顔でNHKを見ている時間。だが、母の死が父から奪ったのは、気力だけではなかった。
 父の物忘れが段々ひどくなっていることには気づいていた。それが認知症だと確信したのは、一昨年の七月のことだ。仕事から帰り、父の和室をのぞくと、猛烈に暑い。暖房をかけていたのだ。驚いてエアコンのリモコンを取り上げ、冷房に切り替えようとすると、父は「何するんや」と怒った。そして、何度言い聞かせても、「まだ三月やろ」と言い張った。
 そこから症状は急速に悪化していった。当たり前のことができなくなり、会話も成り立たない。ゴミ箱をあさり、腐りかけの惣菜を食べる。朝七時半になると、作業着を着込んで役所へ出勤しようとする。長時間一人にするのが不安で、交通誘導のアルバイトは辞め、スーパーの勤務時間も減らしてもらった。
 他に頼れる人はいなかった。四日市にいる叔母――父の年の離れた妹は、やはり義父の介護をしていて身動きが取れない。市役所にも相談にいったが、特養ホームなど、安く入居できる公的な施設はどこもいっぱいで、入所待ちが大勢いるとのことだった。
 そのうちに、トイレの介助が必要になった。ふらふら外へ出ては、迷子になって近所の人に連れ戻されることが続いた。いよいよ家を空けられなくなり、スーパーの仕事も辞めざるを得なかった。店長に「頑張ってくれてたし、いずれは社員にと思っとったんやけど」と残念がってもらえたのだけが救いだ。
 亡くなった母を探し回ることもなくなり、息子のこともわからなくなった。下の世話をしたり、体を拭いたりしていると、父はよく「あなた、福祉部の方ですか」と言った。息子を役所から来た人間だと思っているらしかった。
 一日中、ひたすら父の介護。夜中に騒ぐことが増え、まとまった睡眠もとれない。どんどんわがままになる父に、ついこちらも手荒になる。するとそれを嫌がって、今度は父が暴れる。格闘するような日々が二年近く続いた。心身ともに疲れ果てていた。
 ある日のことだった。母の月命日だったので、仏壇に仏飯を供えていた。父がそれを手づかみにして、口に入れようとした。普段なら好きにさせただろうが、その日は朝から言うことを聞いてくれず、いらいらしていた。父の手首をつかんでやめさせようとすると、逆につかみかかってきた。それを力まかせに引きはがし、顔面をなぐりつけた。倒れ込んだ父は、失禁していた。臭いが辺りに漂った。畳にしみ出す尿を見つめていると、涙があふれてきた。膝から崩れ落ち、嗚咽した。
 限界だと悟った。父を捨てて、消えてしまおうと思った。だが、その言葉どおりのことを実行する勇気はなかった。幸いだったのは、母の死後、父が万が一のためにと、残った土地の名義を息子に変えてくれていたことだ。田んぼを譲った不動産会社に相談すると、その土地も家ごと買い取ってくれることになった。相場からはほど遠い安値だったが、すぐ金になるならいくらでもいい。その金と父の預金を高額な入居一時金にあてて、父を岐阜市内の民間老人ホームに入れた。先月――九月初めのことだ。
 正常な判断ではなかったと自分でも思う。もっとましなやり方があったはずだと人は言うかもしれない。だが、あとさきのことは考えられなかった。とにかくすべてから逃げ出したいという一心だったのだ。
 不思議なものだ。母を亡くし、父を捨て、家を失うと、自分の存在までもが半透明になった気がした。あてもないのに、足は名古屋に向かっていた。希薄な存在のまま、都会の混濁に溶けてしまいたかった。荷物は、実家の押入れにあった古いボストンバッグ一つ。二十数万円の現金もそこへ突っ込んできた。それが全財産だ。栄の「ビジネスホテルやしろ」に宿を定め、繁華街をさまよった。

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 二週間ほど前のことだ。不動産屋の前で何気なく物件情報を眺めていると、女性店員が「ご案内しましょうか」と声をかけてきたので、うながされるまま中に入った。紹介申込書に名前を記入し、年齢を書こうとして、手が止まった。一カ月前に四十九歳になっていたことに、初めて気づいたのだ。来年五十になる自分が、風呂なしの安アパートを借りて住む。安い日当の仕事をしながら、まだ二千万円以上ある借金を返していく。そんな人生に、何の意味があるのかと思った。ボールペンを置いて、黙って不動産屋を出た。
 もう仕事を探す気はなかった。パチンコ店の前を通りかかったが、うるさいだけだと思った。ただただ、すべてが虚しかった。
 薄汚れたせまい部屋に戻ると、死ぬことを考え始めた。何かやり残したことはないかと、考え始めた。
「ほら――」
 運転手の声で我に返った。
「天竜川ですよ。道のすぐ左側」
 そちらに首を回すと、木々の向こうに漆黒の平面が見える。対岸にぽつんと灯った明かりからのびる光の筋がかすかに揺れていたので、それが水面だとわかった。
「すぐ下流に船明ふなぎらダムってのがありましてね」運転手が親指で後方を示した。「この辺りは水がたまってるんです。だから水面が高くて、川幅も広い」
 確かにそうだ。水面の位置は、道路からほんの二メートルほど下。対岸までは優に百メートルはある。川というより、細長い湖のふちを走っているような感覚だ。
「このまま川沿いを行けば着きます。もうすぐですよ」
 そう、もうすぐなのだ。
 やり残したことは、本当にないだろうか。
 老人ホームの月額利用料は、父の年金から支払われることになっている。父は死ぬまでホームにいられるはずだ。たぶん。
 母の位牌と遺影も、施設の父の部屋に置いてきた。そうだ、四日市の叔母の連絡先を、ホームに伝えておいたほうがいい。
 祐未に何か書き残しておくことは――。余計なことだ。幸せに水を差すことはない。
 祐未のことを考えたせいか、ふと、もし自分に子どもがいたら、どうしただろうと思った。一緒に暮らしていようがいまいが、子どもを残して死ぬなどということを、考えただろうか。泥水をすすってでも、自分の人生を立て直そうとしたのではないか――。
 いや。もういい。我が子に抱く愛情を親の立場で実感したことがない以上、こんな想像に意味はない。

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 木々が並ぶ川沿いの緑地が途絶えた。左側に続く川面とアスファルトの路面を隔てるのは、低いガードレールだけ。タクシーが黒い水面をすべっていく。そんな感覚に陥った。道路の右側はすぐ山で、斜面から乗り出さんばかりに緑が繁っている。
 前方にトンネルの入り口が見えた。そこで少し川から離れていくようだ。運転手がトンネルの手前で左にウィンカーを出す。左側に側道があるらしい。
 タクシーは車線変更をするように左に寄り、側道へ入った。その細い道は、さっきまでと同じように、川のすぐそばを走っている。
 道は緩やかに右へと弧を描く。カーブの先に赤い鉄橋が見えた、そのとき。
「あ、ほら!」
 運転手が声を上げた。人差し指を車の天井に向けている。
「見ました?」
「いや――」月のことだろうか。
「もっとゆっくり行けばよかったですね。車停めますから、見に行きましょう」
 鉄橋のたもとまで行くと、路肩に広いスペースがあった。そこにタクシーを停め、来た道を歩いて戻る。街灯はなく、運転手が懐中電灯で足もとを照らす。準備がいいところをみると、何度か来ているのかもしれない。
 川の匂いがする。この先のダムで堰き止められているせいか、水音はしない。歩いているうちに目が慣れてきた。完全な暗闇ではない。月明かりがあるのだ。
 顔を上げた。真正面に満月が浮かんでいる。
 冷たく硬質な光を放つ、濁った氷の玉。そう見えるのは、たぶん色のせいだ。黄色というより、青白い。そもそも、月の色って、何色だった――。
「ほんとにいい月ですねえ。そろそろ南中だ」運転手も空を見上げていた。「朝まで雨が降ってたでしょ。そのおかげで空気が澄んでるんですね、きっと」
 そうかもしれないが、やはりわからない。ここが月に一番近い場所だというのは、いったいどういうことか。
 さらに五十メートルほど行くと、運転手が立ち止まった。うしろを振り返り、懐中電灯を上に向ける。
「ほら、これですよ」

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 ポールに取り付けられた青い金属板。道路の案内標識だ。懐中電灯の光でも、文字は十分読み取れる。
〈月 Tsuki 3km〉
 月まで三キロ――。
 確かにそう書いてある。狐につままれたような気分になった。
「ね、嘘じゃなかったでしょ」標識を見上げたまま、運転手が得意げに言う。「たった三キロですよ。間違いなく地球上でここが一番月に近い」
 とすれば、この運転手は狐か。その横顔をあらためて見つめた。運転手はこちらに顔を向け、目尻のしわを深くする。
「種明かししますとね、さっきの鉄橋の先に、『月』って名前の集落があるんですよ。浜松市天竜区月」
「ああ――」そういうことか。
「珍しい地名ですよね。私、浜松の生まれですけど、長い間知りませんでした」
 運転手は川べりに近づいた。ガードレールに浅く腰掛け、月を見上げる。
「この標識のことを知って以来、満月の夜は、必ずここへ来ることにしてるんです」
「必ず――月見のために?」
「いや、ただの月見じゃあ、ないんですがね」
 運転手のほうへ歩み寄る。川面に映った月が、震えていた。一・五メートルほど間をあけて、ガードレールに尻でもたれかかる。同じように月を見上げた。
 あそこまで三十八万キロあると言われたら、そんな風に見える。だが、三キロ先だと言われたとしても、そう見える気がした。それほどに、今夜の月は、近い。
 タバコを一本抜き、火をつけた。やはり何の味もしない。
「お客さん、お子さんは?」運転手が訊いた。
「――いない」
「そうですか。じゃあ、わかっていただけるかどうかわかりませんが――」
 運転手はなぜか照れたように鼻をかいた。
「子育てって、月に似てると思うんですよ。親が地球で、子どもが月」
「――ああ」
「知ってました? 実際、月は地球から生まれたようなもんなんですよ。原始地球に火星サイズの小天体が衝突しましてね、飛び散った破片が集まってできたのが、月。まだ仮説ですけどね。ジャイアント・インパクト説」
 知らなかった。というより、月がどうやって生まれたかなんて、考えたこともなかった。
「さっきも言いましたけど、赤ん坊の月は、地球のそばにいるじゃないですか。幼いころは、無邪気にくるくる回って、いろんな顔を見せてくれる。うれしい顔、悲しい顔、すねた顔、楽しい顔、さびしい顔、全部です。でも、時が経つにつれて、だんだん地球から離れていって、あんまり回ってくれなくなって、とうとう地球には見せない顔を持つようになる。裏の悪い顔って意味じゃないですよ。親には見せてくれない一面っていうのかな。月の裏側みたいに」

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 自分は、どうだっただろう。十やそこらのころから、自分の思いや感情を父に伝えようとはしなくなった。父のほうでも、息子の気持ちを知ろうとはしなかった。こちらはただ乱暴に要求をつきつけ、向こうは有無を言わさずはねつける。その繰り返しだ。
「まあ、それが成長するってことなんでしょうけど、やっぱり、哀しいですよね」
「――哀しい、か」父にはもともとない感情だろうと思った。
 さっきから、この側道を通る車は一台もない。視線を右にやれば、本線の道路をたまにヘッドライトが向かってくるが、みなトンネルへと消えていく。
「私ね」運転手が言った。「タクシーに乗る前は、東京にいたんです。高校で地学の教師をしてましてね」
「ああ――」意外ではあったが、同時に納得もした。
「子どものころから、宇宙とか天体が好きでねえ。大学もそっち方面に進んで、大学院へも行きました。研究者になるか教師になるか悩んで、結局教師に。生徒たちと一緒に何かやるってことに、憧れがあったんですよ。で、中高一貫の男子校に就職しました。まあ、進学校ですよね。毎年東大に何十人も入るような」
 運転手が自分のことを語り始めた理由はわからない。ただ、初めからこの話をするつもりだったんじゃないかと、何となく感じた。
「生徒たちに声をかけて、天文部を立ち上げましてね。ほんと、今思えばただの自己満足ですよ」運転手はひとりで笑った。「でも、みんな熱心にやってくれました。あ、知ってました? 月の表面のある区画でクレーターの数を数えて、その密度を計算してやると、そこの岩石の生成年代が見積もれるんですよ。クレーター年代学っていうんですけどね。そんな研究を生徒たちとやって、学会で発表したり、表彰されたりしましてねえ。楽しかったですよ、ほんとに」
 運転手は懐かしむように目を細め、続ける。
「結婚して、子どもが生まれて。一人息子です。あの子の、確か九歳の誕生日かなあ。天体望遠鏡を買ってやったんですよ。安い屈折式でしたけど、喜びましてね。二人で毎晩のように月を見ました。ほんとに月が好きな子でねえ。あ、望遠鏡で月見たことあります?」
「――いや」
「一度見てみるといいですよ。感動しますから。安物の望遠鏡でも、月だけはほんとにくっきり、細かいところまでよく見えるんです。三キロどころか、手をのばせば届きそうなぐらい近くに。だからでしょうねえ。あの子はとにかく月専門で」
 月を見上げて想像した。望遠鏡だとどう見えるかではない。あの父と一緒に月を見るということを思い浮かべたのだ。当然ながら、そんな経験は一度もない。想像しても、楽しい場面にはならなかった。
「天文部でも、夏合宿ってのがありましてね。毎年、長野の乗鞍で天体観測をするんです。あの子も二回ほど連れて行きました。それがよっぽど楽しかったんでしょうねえ。中学受験して私の学校に入ると言い出しました。もちろん親として反対はしませんよ。五年生から塾に通い始めて、あの子なりに一生懸命勉強したんですが、受かりませんでした」
 いつの間にか、指にはさんだタバコはフィルターのところまで燃え尽きていた。そのまま足もとに落とす。
「高校で再チャレンジすると言って、地元の公立中学に行きました。私の学校、高校からも入れるには入れるんですが、枠が少ない。難しいとは思いましたけれど、本人がやる気なんですから、頑張れというしかありません。中学一年のときは何も問題なかったんですが、二年生になってクラスが変わると、学校を休みがちになりましてねえ。朝起きると、頭が痛いとか、お腹が痛いとか言うんです。私も教師ですから、ピンときましたよ。いじめに遭ってたんだと思います」
「ああ……」低く声がもれた。
「無視とか、ひそひそ悪口とか、形に残らないいじめ。小柄で、線が細くて、科学好きのガリ勉でしょ。標的にはなりやすいですよね。でもあの子は、頑としてそれを認めませんでした。親に心配かけたくなかったのか、あるいは、プライドがあったのかもしれません。十四歳ですから。ちょうど、親には見せない部分が出てくるころですからねえ。
 私は、いじめと闘うのは得策でないと考えました。学校へは無理して行かなくていい。転校してもいい。あの子にはそう伝えたんです。結局、二年生の間はほとんど登校せずに、家で勉強していました。三年生になって、またクラスが変わると、少し状況がよくなりましてね。二学期からはほぼ毎日登校できるようになったので、私たちも安心してたんです。でも、やっぱり勉強は遅れてましたし、欠席が多くて内申点もよくない。いい高校に行けないことは、本人もよくわかっていたと思います。それでも、私の高校だけは絶対に受験すると言い張りましてねえ」
 運転手の横顔から目が離せない。こんな話を聞きたいとは思わないのに、その表情に何かを読み取ろうとしていた。だが運転手は、あの困ったような微笑みを崩すことなく、アスファルトに視線を落としている。
「試験の日の朝、私は入試業務がありましたから、早くに家を出ました。出がけに、『まあ、気楽に受けてみろ』とあの子に言ったんです。あの子、『うん』とうなずきました。それが、最後の会話です。あの子、試験会場には現れませんでね。家を出て、近所のマンションの屋上から、飛び降りたんです」

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 無意識のうちに溜めていた息を、ゆっくり吐いた。言葉など出るはずもない。
 静寂が続いた。次にどちらが何を言うか、空から月に観察されているような気がした。
 沈黙を嫌うかのように、運転手が立ち上がる。
「乗り越えられない悲しみというのが、この世にはあるんですねえ」
 そう他人事のように言って、川のほうを向いた。ガードレールに両手をつき、あごを上げる。
「どうしてもね、わからないんですよ。なんであの子が死ななきゃならなかったのか。あの子が何を考えていたのか。私はあの子に何をしてやればよかったのか。いったいぜんたい、何が正解だったのか。お客さん、わかりますか」
 ばかげた問いかけに、いら立ちを覚えた。かぶりを振ることさえしなかった。
「そのあと、教師は辞めました。女房は私を責めますし、私はそんな女房を責める。ほんとはわかってましたよ。女房にしても、私以外に気持ちをぶつけるところがなかった。そのうち、おふくろがショックで寝込んじゃいましてね。親父はもう亡くなっていたんで、私だけこうして浜松に帰ってきました。女房とはそれっきりです。離婚もしないまま、もう十五年。女房も千葉の自分の実家で暮らしてます。妙な夫婦でしょ。
 浜松に帰ってきて、確か半年ぐらい経ったころですか。生きるのがどうしても辛くなりましてねえ。おふくろが寝たあと、車で家を出ました。お客さんと同じですよ。どこかいい死に場所はないか、なんてね。あてもなく天竜川をさかのぼっていくうちに、たまたまこの側道に入り込んじゃったんです。この案内標識を目にしたときは、幻かと思いましたよ。とうとう頭がおかしくなったのかってね。慌てて車を停めて、確かめに戻ったんです。何度も目をこすってみましたが、月まで三キロと確かに書いてある」
 運転手は、月に顔を向けた。さっきより、白が冴えている。
「ちょうど、今みたいに見事な満月が出ていましてねえ。ああ、あの月はあの子だと。あの子が私をここへ呼んだんだと思いました。ここは地球上で一番あの子に近い場所ですから。元理科教師が、本気でそう思ったんですよ」
 運転手は小さく肩を揺らした。その姿は、月に語りかけているようにしか見えない。
「そのとき、わかったんです。私は、死ぬまでちゃんと生きて、この場所であの子に訊き続けてやらなきゃならない。お前あのとき、どんなこと思ってたんだって。何が苦しくて、私たちに何が言えなかったんだって。お父さん、お前にどうしてやればよかったって。
 そりゃあ、答えないと思いますよ。あの子、うしろ向いてますしね。でもね、月に一番近いこの場所で、あの子が私たちに向けなかった顔を、表情を、何とかして見てやらなくちゃならないんですよ。横顔だけでも。ほんの一瞬でも。だって、私、あの子の父親なんですから」
 また空気が止まった。
 それを動かしたくなくて、静かにガードレールから腰を浮かせる。運転手と同じように、川のほうに向き直った。
 運転手がこちらに首を回した。
「だからね、満月の夜は、必ずここへ来ることにしてるんです。それなのに――」
 運転手は口もとをほころばせる。
「よりにもよって、お客さんみたいな人乗せちゃうんだもんなあ」
 その困ったような笑顔から目をそらし、月に視線を戻した。
 心の中で呼びかける。
 おい、少年。
 いいお父さんじゃないかよ。
 本当に、いいお父さんじゃないか。君のことを、精一杯わかろうとした。君が死んだ今だって、まだわかろうとしてる。
 それなのに、なんで死んだりしたんだ。死ぬ必要なんて、これっぽっちもなかった。
 まだ十五歳だろ。たった十五歳。五十歳じゃない――。
 月の輪郭が、にじみ出した。しかも、やたらとまぶしい。どういうわけだ。
 青白い光球に、母の顔が重なる。
 それはやがて、父になった。
 顔ではない。髪の薄い、地肌が透けた後頭部だ。
 老人ホームに父を置いてきた日。最後に、「皆さんの言うことをよく聞いてな。また来るから」と声をかけた。父は壁を向いてベッドにあぐらをかいていて、ついにこちらを振り向くことはなかった。そのときの、父の後頭部。
 父は、この世の人であって、この世の人でない。目は見開いていても、息子を見ることはない。口は動かせても、息子に語りかけることはない。父の顔は、月の裏側にある。二度とこちらを向くことはないのだ。
 三十八万キロ――。
 今は月が遠く見える。はるか彼方だ。
 最後まで顔を背けたまま、あんな遠くにいってしまった。
「――三十八万キロ」
 つぶやくように数字を口にした。そのせいなのか。
 突然、月が明瞭な輪郭を取り戻した。青白い光球が、あばただらけの岩石の天体にしか見えなくなる。
 そうだ。違う。父はあんなところにいるわけじゃない。岐阜にいる。老人ホームにひとりでいる。岐阜駅まで行けば、そこから三キロもない。
 父は、もう何も答えてはくれない。でも、焦点の合わないその目を直接のぞき込むことはできる。耳もとで直接問い質してやることはできる。
 息子のことをどう思っていたのかと。息子に本当は何を伝えたかったのかと。そして、息子のことを愛していたのかと。
「――で、どうします?」
 運転手が言った。
「下見、続けますか」
 何も答えず、ワイシャツの胸ポケットを探った。
 タバコを取り出し、しなびた一本をくわえて火をつける。ひと口目を深く吸い込んだ。
 旨いとは思わなかった。ひどく苦いだけだ。ただ、今度は確かに味がした。
 月に、紫煙がかかった。

「月まで三キロ」 了
 『月まで三キロ』伊与原新/著
2018年12月21日発売 [定価]1600円+税

世界を形づくる科学のきらめきが人の想いを結びつける六篇の物語。

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