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24:11 新橋駅 |
3人で何か食おうぜ、と蔭山が誘った最初から、厭な予感はあった。それが適中した。 「聞かせてくれるなあ」 言いながら、蔭山は詠子に笑いかける。 もう、やめにしないか、と的場は蔭山に言いたかった。それを、どう言ったらいいのか判断がつかない。 話題を変えようとすると、詠子が首を振った。 「結婚するのに隠したってしょうがないことだから、この際はっきり言うけど、的場さんは私に自分を気づかせてくれた人なの」 「詠子ちゃん……」 頼むから……と的場は詠子を見つめた。 また詠子が首を振る。 「言わせて。ちゃんと言っておいたほうがいいって思うから。あのね、ボランティアなんかじゃない。そうじゃないってはっきり言えるのは、それこそボランティアみたいなつきあいをした経験が私にはあるからなの」 「…………」 明らかに、その言葉は蔭山に聞かせるものだった。蔭山のほうも、その詠子の意図に気づいたらしく、じっとこちらを見つめている。 「的場さんとつきあう前に、ある人とつきあってた。最初の一時期は、その人が素敵に見えていたし、この人が一生の相手なのかもしれないって思ったこともある。でも、何度かデートするうちに、そうじゃないってことがわかったの」 電車の到着をアナウンスが知らせはじめた。 詠子は、さらに続ける。 「その人は、自分勝手な人だったの。私のことを好きだって言いながら、他の女の人ともつきあっていたし、たぶん結婚はその相手とするつもりだと思う。彼女のほうが、私よりずっと彼にとって利用価値のある女だからなのよ」 「…………」 そうか、と的場は一瞬眼を閉じた。 知っていたのだ。詠子は、蔭山があの令嬢とつきあっているのを知っていた。 「彼にそういう女性がいるってわかってからも、何度かデートしたわ。どうしてなのか、自分で自分の気持ちがわからないけど、たぶんバカなプライドみたいなものが私にあったからなんだと思う。意地になってたのね。だから、ボランティア──っていうんじゃないけど、その人とはその後も少し続いた。正直じゃなかったって思うわ。自分自身に正直じゃなかった。それを気づかせてくれたのが、的場さん、あなたなの」 わかったよ、と的場は詠子にだけ見えるようにうなずいた。 わかったから、もういいだろ? 蔭山を見ることができなかった。彼の視線が、詠子の上で凍りついているのがわかる。 どうすればいいんだろう……どうすれば。 「前つきあってた人とは、完全に別れたわ。びっくりしたことに、別れる決心を言い出そうとしていたときに、向こうから別れ話を持ち出してくれたのよ。けっさくでしょ? でも、私って、的場さんと違って、やっぱりつまんないプライドみたいなものがあるから、別れ話を持ち出したのが彼のほうだったってことが、すごくショックだった。私のほうが彼を捨てるつもりだったからね」 詠子が、ふっと笑いを顔に出した。どこか自嘲的な、悲しげな笑いだった。 的場は、言葉が見つからず、笑いを返しながら首を振ってみせた。 電車が入線し、ホームが騒々しくなる。 「新橋、新橋でございます。浅草行最終電車です。2番線、浅草行の最終電車でございます」 開いたドアは、先頭車両のさらに一番前だった。降りてくる客たちをやり過ごし、ドアの前にいた客に続いて、的場は電車に乗り込んだ。詠子が向かい側のシートへ腰を下ろし、的場はその隣へ座った。 蔭山が右に座る。なにも言わない蔭山のことが気になった。彼の気持ちが手に取るようにわかる。 蔭山は、自分の動揺を必死に抑えようとしているのだ。だから、彼の口から言葉が消えた。 詠子の言葉が、彼を動揺させている。計算外だったからだ。詠子の口からこんな言葉を聞くとは、予想もしていなかったに違いない。 同時に、詠子にこのようなことを言わせた蔭山に腹が立った。 そう、お前はショックかもしれないが、それを言わせたのはお前なんだ。試験の結果は点数がすべてだ。仕事も数字に結果が表れる。でもね蔭山、人間は数字にならないんだよ。 人間に、結果はないんだ。 ありもしない結果をつけるんだとしたら、ゲームにするしかないじゃないか。 詠子が的場の手を握ってきた。 ありがとう……と胸の中で言いながら、的場は詠子の手を握り返した。 そのときだった──。 「あっ……」 詠子が声を上げたのと同時に、的場は思わず立ち上がった。 斜め脇の通路に立っていた男が、電車のスタートと同時に前のめりに倒れたのだ。まるでそれは、棒きれでも倒したような感じだった。 「…………」 しかし、その男は、ゆっくりと立ち上がった。 的場は、もとのシートへ腰を下ろした。 どうしたんだ? 詠子に目をやると、彼女は男のほうを凝視していた。 |
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蔭山 与志実 |
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詠子 | ![]() |
通路に 立って いた男 |