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 23:56 浅草駅
 平岡芽衣
(ひらおか めい)


     いけない、また爪を噛んでる――。
 
 芽衣は右の親指を目の前にかざした。マニキュアの端がはがれていた。
 
 ちっともいい色じゃない。三越の店員は「このお色がお似合いですよ」と言ったけれど、ブラウン・シュガーなんて、ようするに黒砂糖じゃないか。
 そりゃ、デパートの売り場でつけてみたときは、あたし自身、いい色だって思った。だけど、あれはあの蛍光燈の下で見たからだ。損したなあ、こんな色だったなんて。
 
 人の言葉を真に受けすぎるんだ。親切な口調で言われると、ほんとにそうだって思っちゃう。だからいつだってだまされる。あたしをだますなんて、針に糸を通すよりずっと簡単なんだ、きっと。九九で七の段を覚えるより簡単だし、半熟に卵を茹でるよりも簡単なのよ。
 なんで、いつもだまされてばっかりいるんだろう。
 
 芽衣は自分の親指から目を上げた。首を回し、ホームのベンチに目をやった。
 
 あの人、どうして乗らないんだろう?
 ずっとあそこに座ってるつもりなのかな。べつに好みのタイプじゃないし、なんとなく恐い感じの人だけど、どこか気にかかる。なんでだろう?
 
 次の電車ってあったっけ? これ、最終じゃなかったのかな。まあちゃんは、11時57分発に乗るんだぞってくり返し言ったんだけどな。次の電車もあるんだろうか?
 
 あたし、まあちゃんにもだまされてるのかなあ。
 みんな終わったら、ハワイに連れて行ってくれるって、嘘だろうか? 前に約束したエメラルドのリングも、まだ買ってもらってない。ハワイ、ほんとに連れて行ってくれるのかな。
 
 ふう、と芽衣はため息をついた。そっと、斜め向こうに目をやった。
 青いクーラーバッグを膝に載せて、はキョロキョロと車内を見回していた。
 変なカッコ。床に下ろせばいいのに。邪魔じゃないんだろか。
 
「渋谷行の電車、まもなく発車いたします。ご乗車になりましてお待ちください」
 
 アナウンスが告げ、同時に、子供連れの母親が向こうのドアから飛び込んできた。
 そんなに慌てなくても、すぐに出るわけじゃないのに。
 芽衣は、また首を回してホームを見た。ベンチの男が立ち上がるのが見えた。目が合ったような気がして、芽衣は慌てて身体を前へ戻した。芽衣が座っている脇のドアから男は車両に乗り込んできた。
 
 ドアが閉まったとき、芽衣は再び、いけない、と思った。
 また、爪、噛んでる……。

 
    ベンチの
クーラー
バッグの
 子供 
    母親 

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