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   23:56 田原町駅 日下部敏郎


              どうして、こんなところにいるのだろうか、と日下部敏郎は不思議に思
っていた。
 
 自分の立っている場所がよくわからない。
 通路のようではあるが、だとするとどことどこをつなぐ通路なのか? 
通路の端はいきなりとぎれていて、そこから向こうは暗闇の洞穴のように
見える。
 だいたい、ここは日本なのか?
 
 自分が身に着けているものも奇妙だった。私の服はどこへ消えたのだ?
 
 ついさきほどまで、日下部敏郎は鎌倉を歩いていた。山へ上り、海を眺
めようとしていたのだ。崖の縁まで歩き、草履を直そうと思ったとき、不
意に強い風が吹き下ろしてきた。
 
 あ、と思ったとき、日下部敏郎は落下していた。
 ああ、死ぬのか……そう思った。
 
 しかし、死なずにこんな奇妙な通路に立っている。
 
 汚れた石の壁の上に光を発する窓があり、そこに、田原町、と書かれて
いる。その下には、異国の文字も小さく置かれている。
 なぜ、このような場所に、私はいるのだろう?
 
 少し離れたところで、が言い争いをしている。その二人の言って
いる言葉も、よく聞き分けられない。あれは、日本語なのか?
 
 鎌倉の崖から落ちたのだから、どこかから上れば、あの崖の上へ出られ
るはずだが、上り口などどこにも見当たらない。
 いったい、どのように落ちれば、ここに至るのだろう?
 田原町とは、どこなのだ?
 
 この洞穴の中は、妙にすすけている。油の臭いがする。
 壁に沿わせて、長椅子が置かれているが、どのような意味か、その長椅
子の下には「終日禁煙」と朱書きの文字がある。
 
 しかし、私はここに立っていていいものだろうか?
 あの男と女も、ずっと立ったまま言い争いを続けている。
 二人も、やはりどこからか落ちてきたのだろうか?
 
 日下部敏郎は途方に暮れていた。
 自分をどのように処せばいいのか、皆目見当がつかなかった。

 
     男    女  

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