無言のまま、亜希子はハンチング帽の若者のほうへ小さく顎を上げた。
竹内が、そちらへ目をやった。
「あれは?」
竹内が、小声で訊く。
「さっきから、ホームを行ったり来たり」
「ふうむ……」
竹内は、若者から目をそらせ、柱のほうへ移動した。石の円柱に寄りか
かるようにして、ポケットから新聞を取り出した。
亜希子は、竹内の横に立ち、彼が拡げた新聞の脇から若者をうかがった。
「推定される年齢は、30代後半から40代前半ということだ。少し、若
くないか?」
ほとんど口を動かさずに、竹内が言う。
「服装、見ました?」
「チェックのハンチング。茶のジャンパー。グレーのズボン。編み上げの
登山靴。アーミーグリーンの細い布のケース」
竹内は、それを新聞に目をやったまま答えた。
「あの格好、クーラーバッグが似合うと思いません?」
「…………」
竹内が新聞から目を上げた。
「年齢は、電話の声からの推定でしょう? 年寄りじみた声の若者もいま
す」
「うむ」と、竹内がうなずいた。「売店の鍵が、どこに保管されているか
知っているか?」
「売店?」
亜希子は、竹内を見返した。
「まず、可能性はないと思うが、売店に何か仕掛けていないという保証は
ない」
ああ、と亜希子は右手の売店に目をやった。
シャッターの下ろされた売店の壁に片手をつき、勤め人風の男が下を向
いていた。もう片方の手で胃のあたりを押さえ、しきりに首を振っている。
「鍵は、それこそ売店の売り子さんが持っているんじゃないですか?」
「わからん。駅にも、合い鍵が保管されているんじゃないか?」
「あったとしても、開けるのは危険じゃないですか?」
「いや、危険があるかどうかは、見てみないと……」
「そうじゃなくて、警戒される可能性」
「うむ」
うなずくと、竹内は新聞を折り畳み、そのままハンチングの若者のほう
へ歩いて行った。
亜希子は、若者を竹内に任せ、柱の前を離れた。
そのままホームの端へ歩く。ホームの端から、狭い階段が上に伸びてい
る。「松屋方面出口」という表示がある。
兼田勝彦は、最後尾車両に乗っている。それが犯人の指示だ。す
でに電車は、この銀座に向かって走りはじめているはずだった。
ホームは1番線と2番線を共有している。1番線は渋谷行、2番線は浅
草行である。
このあたりのホームは、かなり幅が狭かった。
「なにすんのよ!」
叫ぶような女性の声がして、思わず亜希子は後ろを振り返った。
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