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 24:09 新橋駅
 小早川純
(こばやかわ じゅん)


    「根本君の言う通りよ。あの奥さん、あやしいよね」
 が、ポツリと言った。
 その言葉に同調するように、万里子が勢いづいて言う。
「そう思う。話してるとき、あの奥さん、ずっとハンカチを手に持ってて、何度も眼にあてたりしてたけど、涙なんて、一滴も出てなかった」

 いやいや、ちょっと、そう早まるなよ、と小早川は思う。
 そんなに結論を急いでは、面白くない。

「泣いているように見せてた?」
 訊き返すと、万里子がうなずいた。
「だと思うんだ。なんか、クサい演技してるみたいに見えた」

 女ってのは、どうしてこう、すぐに結論を出したがるんだ?
 そういうのは、つまんないだろうが。謎の面白さというのは、その謎解きにかける時間の長さに比例するのだ。いや、むろん、謎解き自体が面白くなきゃいかんわけだが。

「ただ――」と、小早川は、試しに一つの疑問を呈してみる。「暴漢の乗っていたという赤いクルマについては、ケーキ屋のオヤジも喫茶店のウエイトレスも見てるわけだよな」
「うん」と薫がうなずいた。「その赤いクルマの脇から、小柄な男が走り込んできたって言ったんだから」

 そうそう、それだよ。と、小早川は根本のほうへ目を向けた。
 根本は、面倒くさそうな表情で、しかし一応小早川の言うことを理解して答える。

「ケーキ屋のほうも赤いクルマは見てるよ。停まって、またすぐに走り出したってことはオヤジも言ってた」
「そのオヤジは、ウエイトレスの言う小柄な男っていうのを見てはいないのか?」
「見てない。と言うか、オヤジのいたところからじゃ、死角に入ってて見えない」

 え、と薫が小早川に目を返してきた。
「ウエイトレスが、嘘を言う必然性なんてないでしょう?」
 弱ったもんだな、と薫を見つめると、今度は横から万里子が加勢する。
「奥さんのほうはあるよね」

 まったく……と小早川は薫と万里子を眺めた。

「奥さんが嘘をついていると?」
 訊くと、万里子は首を傾げながら言う。
「違う?」
「今の段階では、嘘ときめつけるわけにもいかないだろ」
 その小早川の言葉をなじるように、薫が言う。
「でも、嘘っぽいじゃん」

 あのさあ、と小早川は女性軍を再び見比べた。
 物事は、多面的に見ていただきたいんですよね。もちろん、カンというのも必要ですよ。カンも大事だけれど、それは入り口であって、そこから結論をそのまま引き出せるようなものじゃないわけ。
 嘘っぽいじゃん? それで、読者が納得してくれると思ってるのかね、このお嬢さんは。

「じゃあ、嘘だとするよな」含めるように、薫に言う。「ほんとは小柄な男が旦那を刺したのに、嘘をついて赤いクルマの男が刺したと言った」
「うん」
「だとするとだな、赤いクルマの男は、いったいなにをしてたんだ?」
「…………」

 薫が、ポカンとした顔で、小早川を見返した。
 ほら、まるで考えてないんだ。
 データは、その一つ一つを結びつけて分析する必要があるんだよ。

「なにって?」
 万里子が訊き返してきた。
 彼女も、赤いクルマの存在が見えていないらしい。

 小早川は、溜息をついた。
 ものの見方まで教えてやらなきゃいけないのか。

「車を停めて、ドアを開けて降りた。しかし、すぐにまた乗り込んで走り去った。妙じゃないか? 赤いクルマの男は、なんの用があって車を停めた? どうしてすぐに走り去った?」

 言うと、薫は眼をパチパチと瞬いた。
 向こうで根本が、また面倒くさそうに口を開く。

「説明なら、つくじゃないか。そこで起こった殺人にびっくりして逃げ去ったんだよ。関わり合いになりたくなくてさ」

 ほう……と、小早川は根本を見返した。


 
    武藤薫  関万里子 根本陽広

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