![]() | 24:09 新橋駅 |
うん、と薫がうなずいた。 「根本君の言う通りよ。あの奥さん、あやしいよね」 やっぱり薫もそう思っていたんだと、万里子は嬉しくなって彼女を見返した。 「そう思う。話してるとき、あの奥さん、ずっとハンカチを手に持ってて、何度も眼にあてたりしてたけど、涙なんて、一滴も出てなかった」 小早川が横から万里子を覗き込んできた。 「泣いているように見せてた?」 「だと思うんだ。なんか、クサい演技してるみたいに見えた」 言うと、小早川は顎に浮いた髭をゴシゴシと撫でるようにしてうなずいた。 絶対にあやしい、と万里子は思った。 だいたい、あの居間に飾ってあった蘭の花だってへんだ。奥さんが通してくれた居間には花瓶が4つ置かれていた。その4つ全部に蘭の花が挿してあった。まだ、新しい花だ。たぶん活けたばっかりのものだろう。 「どうしてこんな目に遭わなきゃならないんですか?」なんて泣きながら言う人が、蘭の花をちゃんと飾っている。掃除だってきちんとしてあったし、主人を亡くしたばっかりの家には思えなかった。 絶対に、あの奥さんはあやしい。 「ただ、暴漢の乗っていたという赤いクルマについては、ケーキ屋のオヤジも喫茶店のウエイトレスも見てるわけだよな」 小早川は、首を伸ばすようにして薫に訊いた。 「うん」と薫がうなずいた。「その赤いクルマの脇から、小柄な男が走り込んできたって言ったんだから」 薫の隣で根本があくびをかみ殺しながら小早川を見返した。 「ケーキ屋のほうも赤いクルマは見てるよ。停まって、またすぐに走り出したってことはオヤジも言ってた」 「そのオヤジは、ウエイトレスの言う小柄な男っていうのを見てはいないのか?」 「見てない。と言うか、オヤジのいたところからじゃ、死角に入ってて見えない」 不満そうに、口をとがらせた薫が割って入る。 「ウエイトレスが、嘘を言う必然性なんてないでしょう?」 万里子は、その通りよと薫に同意してうなずいた。 「奥さんのほうはあるよね」 すると、小早川は、ひょいと眉毛を上げてみせた。 「奥さんが嘘をついていると?」 「違う?」 訊き返すと、小早川は今度は眉毛の代わりに肩を持ち上げた。 「今の段階では、嘘ときめつけるわけにもいかないだろ」 「でも、嘘っぽいじゃん」 再び、薫が小早川に言い返した。 そう。絶対に嘘っぽい。 ウエイトレスにもケーキ屋さんにも嘘をつく理由なんてない。でも、あの奥さんにはあるのだ。 いや……もちろん、それがどんな理由なのか、はっきりとはわからないが、口論していたのをケーキ屋さんは見ているわけだし、だいたい、あの奥さんは蘭を飾っているのだ。夫が死んだばっかりの時に飾るような花じゃない。 「じゃあ、嘘だとするよな」と小早川は薫に向かって言う。「ほんとは小柄な男が旦那を刺したのに、嘘をついて赤いクルマの男が刺したと言った」 「うん」 「だとするとだな、赤いクルマの男は、いったいなにをしてたんだ?」 「…………」 赤いクルマの男? それが、なんなの? 「なにって?」 訊き返すと、小早川は、ため息をひとつついた。 お前にはそれがわからないのか、と言われているような感じで、ちょっと気分がよくなかった。 「車を停めて、ドアを開けて降りた。しかし、すぐにまた乗り込んで走り去った。妙じゃないか? 赤いクルマの男は、なんの用があって車を停めた? どうしてすぐに走り去った?」 「…………」 万里子は、思わず小早川を見返した。 どうして……って。 根本が首を振りながら、小早川に答えた。 「説明なら、つくじゃないか。そこで起こった殺人にびっくりして逃げ去ったんだよ。関わり合いになりたくなくてさ」 そうよ、と万里子は小早川を見返した。 |
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