![]() | 24:10 虎ノ門-新橋 |
微笑み続けている別所に、忍も微笑みを返した。 そうか……と、一つうなずき、電車の揺れを踏ん張って耐えながら言ってみる。 「じゃあ、これは?」 心の中で、ゆっくりとつぶやく。 ――アサ、ニシ、マサ。 やはり、同じフェリーニの『81/2』に登場する不思議なセリフだ。 このセリフ、今の状況にはぴったりだと忍は思った。 なぜなら、あの映画にも読心術師のオバチャンが登場する。そのオバチャンに向かって、主人公のマストロヤンニが心の中でつぶやくのが「アサ、ニシ、マサ」なのだ。 オバチャンは首を傾げ「意味がわからない」と言いながら、脇に置かれた黒板に「ASA NISI MASA」と書いてみせる。 映画の中ではなんの説明もなかったが、「アサ、ニシ、マサ」は「アニマ」のことだろう。 マストロヤンニは映画監督で、もともと「アニマ」は「活気づける」とか「生命を与える」という意味だが、映画の製作に思い悩んでいる監督がそれをつぶやくのだから、なかなか重いものを含んでいる。 「これ……?」 別所が、眼を瞬きながら忍に訊き返した。 「ええ。読み取って下さい。意味がわからなくても、そのままの言葉を返してくださればいいです」 今度は、眼をつぶり、もう一度心の中で繰り返す。 ――アサ、ニシ、マサ。 二度、三度、と繰り返し、閉じていた眼を開けた。 「…………」 別所と稲葉が顔を見合わせ、そしてまた忍のほうへ目を返してくる。 「あ……いやいや」笑いながら稲葉が忍に首を振る。「六条さんの心を直接読むのは、達也にも難しいと思いますよ」 「あら……どうして?」 訊き返すと、稲葉はわざとらしい笑いを顔中に拡げながら頭を掻いた。 別所は、と見ると、彼のほうは口の端を小さく曲げるようにして苦笑して稲葉を眺めている。 「私が念じてもだめなんですか?」 うーん、と稲葉が笑顔のままうなる。その気持ちの悪い笑顔をやめてくれないものだろうか。 「テレパシーというのは、どうも送る側と受ける側の波長というか、そういうのが合ってないと難しいんですよ。訓練しないとなかなかできません」 なるほどね、と忍は微笑んだ。 ようするに、やっぱりそういうことなんだ。 「つまり、別所さんと稲葉さんの間でしか――なんて言ったらいいのかしら、交信?――テレパシーのやりとりはできないってことなんですか?」 「今のところ、僕たちの間でしか成功してはいないんです。なかなか微妙なものなんですよね、これ」 笑い出したくなるのを抑えながら、忍は二人の男を見比べた。 稲葉はわざとらしく笑顔を作り続け、別所はどこかうんざりしたような表情で視線を宙に投げている。 もうちょっと、つついてやるのも面白いかもしれない。 「じゃあ、能力があるのは別所さんだけじゃなくて、稲葉さんもってことになるのかしら」 「え?」 「両方とも、そういう感覚を持っていないと、テレパシーは伝わらないんでしょ?」 「まあ……いや、僕は彼にテレパシーが送れるように一所懸命訓練を積んだってことですよ」 稲葉が、な? と言うように別所を見返した。 別所は、チラリと稲葉を見たが何も言わなかった。 「訊いていいかしら?」 「はい。どうぞ」 稲葉がうなずく。 「不思議な感じがするんだけど、別所さんがテレパシーの能力を持っているっていうのは、どうしてわかったんですか?」 「まあ、話せば長くなりますけどね」得意そうに稲葉が腕組みをしながら言う。「簡単に言えば、こいつが僕の考えていることをズバズバ当てちゃうんで、なんかあるんじゃないかって思いはじめたっていうのがきっかけですね」 思わず吹き出したくなった。 もうちょっと、つじつまの合うストーリーを作ってから話ができないのかなあ。 「稲葉さんの考えてることを、別所さんが当てちゃったんですか?」 「ええ、ちょっと気味が悪かったですけどね」 「それがきっかけ?」 「そうです」 「なんか、へんじゃありません?」 突然、すぐ脇のシートに座っていた女性が声を上げた。 「やめてくださいって、言ってるじゃないですか!」 ギクリとして、忍は、そちらへ目をやった。 |
![]() | 別所 | ![]() | 稲葉 | ![]() | すぐ脇の シートに 座って いた女性 |