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 24:10 虎ノ門-新橋
 別所達也
(べっしょ たつや)


     六条忍が、にっこりと笑いかけてきて、達也はよけい愉快になった。
 人生は祭りだ、か、いいよなあ。

「じゃあ、これは?」
 眼を見開くようにして、六条忍が言った。
 そのまま、達也を見つめている。

「これ……?」
 なんだかよくわからなくて、達也は訊き返した。
「ええ。読み取って下さい。意味がわからなくても、そのままの言葉を返してくださればいいです」
「…………」
 そのまま、六条忍は眼を閉じた。閉じたまま、顔を伏せ、じっと待っている。

 あ――。

 と達也は唾を呑み込んだ。
 念じているのだ。なにかを念じてる。

 六条忍が眼を開け、顔を上げてきた。
「…………」
 思わず、達也は目をそらせた。

 ほら、言わんこっちゃない。
 不二夫に目をやる。
 どうするんだよ、これ。

「あ……いやいや」と、不二夫がむりやり作った笑顔で彼女に首を振った。「六条さんの心を直接読むのは、達也にも難しいと思いますよ」
「あら……どうして?」

 知らないよ、と達也は不二夫を眺めた。
 心が読めるって言うなら、彼女の心だって読めなきゃおかしいじゃないか。
 フェリーニの『1/2』だって、あそこに出てきた読心術のオバサンは……。

 あ、と達也は気がついた。
 ――意味がわからなくても
 と六条忍は言った。
 あの言葉だ。あの映画に出てきた言葉だ。
「…………」
 なんだっけ。思い出せない。
 映画の中で、読心術のオバサンがマストロヤンニの心を読んで、おまじないみたいな言葉を言ったのだ。
 ええと……。

「私が念じてもだめなんですか?」
 食い下がるように訊く六条忍に、不二夫が、ふうむ、と笑いかけた。
「テレパシーというのは、どうも送る側と受ける側の波長というか、そういうのが合ってないと難しいんですよ。訓練しないとなかなかできません」

 見透かしたように、六条忍が微笑みながらうなずく。
「つまり、別所さんと稲葉さんの間でしか――なんて言ったらいいのかしら、交信?――テレパシーのやりとりはできないってことなんですか?」
「今のところ、僕たちの間でしか成功してはいないんです。なかなか微妙なものなんですよね、これ」

 不二夫はあくまでもお芝居を続けようというのだろう。
 達也にしてみれば、もうたくさん、というところだった。

 うまくいくわけないんだよ。
 こんなの、絶対うまくいくわけない。

「じゃあ、能力があるのは別所さんだけじゃなくて、稲葉さんもってことになるのかしら」
「え?」
 切り返されて、不二夫がたじろぐ。
「両方とも、そういう感覚を持っていないと、テレパシーは伝わらないんでしょ?」
「まあ……いや、僕は彼にテレパシーが送れるように一所懸命訓練を積んだってことですよ」

 同意を求めてくるような眼で、不二夫が達也を見た。
 もうやめたほうがいいよ。無理だよ、こんなの。
 言いたかったが、口から出たのは小さな溜息だけだった。

「訊いていいかしら?」
「はい。どうぞ」
「不思議な感じがするんだけど、別所さんがテレパシーの能力を持っているっていうのは、どうしてわかったんですか?」

 どこからそんな自信が出てくるのか、あるいはただのポーズだけなのか、不二夫は腕を組みながらゆっくりと彼女にうなずいた。
「まあ、話せば長くなりますけどね。簡単に言えば、こいつが僕の考えていることをズバズバ当てちゃうんで、なんかあるんじゃないかって思いはじめたっていうのがきっかけですね」

 おいおい……と達也は思った。
 なんだか、電車から飛び降りたくなった。

「稲葉さんの考えてることを、別所さんが当てちゃったんですか?」
 六条忍が確認するように訊く。
「ええ、ちょっと気味が悪かったですけどね」
「それがきっかけ?」
「そうです」
「なんか、へんじゃありません?」

 思わず、達也は六条忍の言葉にうなずいていた。
 へんだよ。
 不二夫、お前の言ってること矛盾だらけじゃないか。

「やめてくださいって、言ってるじゃないですか!」
 いきなり、達也のすぐ後ろで叫び声がした。
 驚いて振り返ると、若い女性が泣き出しそうな顔で自分の前を凝視していた。いつ来たのか、背の高い男が彼女の前に立っていた。


 
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