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 24:11 虎ノ門-新橋駅-銀座
 別所達也
(べっしょ たつや)


     と、その瞬間、達也は映画のシーンを思い出した。
 睨みあっているの位置関係が、あのシーンのマストロヤンニと読心術のオバサンのそれと重なって見えたからかもしれない。

 オバサンは、首を傾げてマストロヤンニを眺め、よくわからないと言うように首を振りながら黒板に文字を書いたのだ。

 六条忍の念じた言葉って、あれじゃないだろうか?

「アサ、ニシ、マサ?」
 つい言って、軽率だったと気づいた。
「…………」
 六条忍が、怪訝な表情で達也を見返した。
 やっぱり、違っちゃったか……。
 まあ、そんなにうまくいくわけないよなあ。
 思わず自分自身がおかしくなった。

「あの……今、なんて?」
 訊き返す六条忍に、達也は首を振った。
「アサ、ニシ、マサ──って、やっぱり、あれも『/』の言葉ですよね」
 言い訳するようにつけ加えた。

「……読んだんですか?」
「ごめんなさい。間違ってるかもしれない」
 読んだってことじゃないよな。あてずっぽだもの。決まりが悪かった。どこかへ逃げ出したかった。

「…………」
 いや、と達也は六条忍を見返した。彼女は、まん丸い眼を見開くようにして達也を見つめている。まるで、得体の知れない生命体を見るようにして──。

「なんの話?」
 不二夫が、間に入って訊いた。
 六条忍は達也を見つめたまま、ひとこと言った。
「あたった──」

 わお!
 と、達也は思わず声を上げそうになった。
 マジかよ? ほんとに、あたったの?

「え……あたった?」
 不二夫が、なんだかわからないという顔で達也に視線を寄越す。達也は笑い出したいのを必死で抑えながら首を竦めた。

「たしかに、アサ、ニシ、マサって思ったんです。でも……」と、六条忍はまた達也を見つめてくる。「信じられない。どうして?」
「あ……」不二夫が素っ頓狂な声を上げた。「え? 達也、お前──」
 ようやく、不二夫にも事態が呑み込めたらしい。呑み込めたものの、面食らっている。そりゃそうだ。不二夫のポケットには、発信器が入っているが、彼はそれを一度も押していないのだから。

 不意に、ギクリと不二夫の背筋が伸びた。驚いていては不自然だということが、ヤツにもわかったらしい。とってつけたような笑顔を作り、不二夫は六条忍を見返した。

「こりゃ……珍しいなあ。会ったばっかりの人の心をこいつが読んだのって、初めてじゃないかな」
「はじめて?」
 うんうん、と不二夫はわざとらしくうなずく。

「親しくならないと……っていうか、繰り返し練習しないと、なかなか読めないみたいなんですよ。でも、いや、こいつは、びっくりしたなあ。お前、読めたの?」
 訊かれて、達也は苦笑した。
 どう言ったらいいかわからない。
「ちゃんと聞こえたわけじゃないよ。なんて言ったのか、しばらくわからなかった。〈アサ、ニシ、マサ〉なんて、言葉になってないもの」

「聞こえるって……」六条忍が、達也を覗き込むようにした。「それは、頭の中に聞こえてくるんですか?」
「頭の中──」
 説明の言葉など考えていなかった。
「そうじゃないんですか?」
 六条忍は、食い下がるように訊いてくる。

「自分でもよくわからないんですけどね」弱りながら、達也は言った。「歯が疼くみたいな感じっていうか」
「歯?」
 六条忍は、眼を丸くしながら自分の口を指さした。きれいに並んだ白い歯が見えた。
 思わず、達也は笑った。

 窓の外が明るくなり、顔をそちらへ向けた。新橋だ。
 車内がざわつきはじめ、電車が停まると、車内に人の流れができた。

 よかったのかなあ……。
 と、達也は思った。六条忍が念じたことは「アサ、ニシ、マサ」だったが、それは彼女の言葉の中にヒントがあったからだ。そんなにうまいことが、そうそうあるわけじゃない。

 やっぱり、軽率すぎたよなあ。
 じゃあ、これは? とか、次々にやられたらもうおしまいだ。そんなものあてられるわけがない。

 まあ、もっとも、最初から無理な話だったのかもしれない。インチキは、所詮、インチキでしかないってことだ。

 不二夫は、どう思っているのか知らないが、もういい加減やめたくなっていた。これだけ楽しんだのだから、これでいいじゃないか。
 うまくいくような話じゃないんだよ。だいたい、こんなことで金儲けができるわけはない。奥歯がFMを受信するってだけで、超能力者に化けようなんて、無理にきまっている。

 この六条忍とは、もっと映画の話がしたいと達也は思った。
 フェリーニが好きなんて女の子は、そうザラにいるもんじゃない。どっちかって言うと、フェリーニを気持ち悪いというほうが多いのだ。『/』なんかは、まだ初期の作品で難解ではあるけれど、まあ普通に観ていられる。でも、『サテリコン』とか『アマルコルド』なんて、ちょっと悪趣味な部分が勝ちすぎていて……。

 電車が動き出して、向こうでなにかが倒れたような音がした。
 振り向くと、図体の大きな男が床に突っ伏すようにして倒れていた。別に、大したこともなかったらしく、男は平気な顔で立ち上がった。
 なんとなく滑稽で、達也は笑ってしまいそうになった。

 見ているのも悪い気がして、達也は身体を戻しながら、六条忍を見返した。
 話のきっかけにと思って、訊いてみた。
「あのマストロヤンニがやってた監督の名前、グイドでしたっけ?」
「…………」

 言ったとたん、六条忍の眼が、また見開かれた。


 
            六条 忍
    不二夫  図体の
大きな男

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