![]() | 24:11 新橋駅 |
「どうやら」と、小早川が3人の顔を順繰りに眺めながら言う。「君たちはみんな、奥さんが怪しいという意見で一致してるみたいだな」 「意見っていうより、誰が見たって、怪しいよ」 万里子は、いささか面倒くさくなって言った。 「そ、そ」 薫が万里子の言葉に大きくうなずいた。 「奥さんは、嘘をついてると言うわけだ」 「小早川さんは、そう思わないの?」 言うと、小早川はわざとらしい表情で万里子を見返してくる。 「思うも思わないもないよ。今の時点で、先入観を持ちたくないってだけのことだ。奥さんが嘘をついている可能性はあるが、断言できるほどのものじゃない」 ほどのものじゃないって……。 薫と顔を見合わせる。 「断言したって、いいと思うけどなあ」 言うと、薫はうなずいて同意した。 だって、そんなこと言ってたら、いつまでたっても記事なんてまとまらないじゃないの。 もしかしたら……と、万里子は小早川を、あらためて見返した。 この人、記事ってものは、無色透明じゃなきゃいけないって考えてるんじゃないの? 根本が笑い出した。あくびしながら笑っている。 「いやあ……なんというか。面白いねえ」 その彼の言葉に被さるように、アナウンスが言い始めた。 「2番線に電車が参ります。参ります電車、浅草行の最終電車です。お乗り間違えのないよう、ご注意ください。2番線、まもなく電車が参ります。危ないですから、黄色い線まで下がってお待ちください」 人間の書く記事が無色透明なわけないじゃない。書くってことは、書く人の主観があるから書けるんであって、事実だけを羅列して、疑いや推測や思い入れや感動や……そんなものを何もかも排除した文章なんて、どっこも面白くない。 「なにが面白いの?」 薫が根本を覗き込むようにして訊く。 「なんていうかなあ……この、小早川先生とお二人の噛み合わなさが、なんとも心地よく面白いよ」 万里子は、根本を眺めた。 「からかってんの?」 訊くと、根本は相変わらず眠そうな顔で笑った。首を振りながら笑う。 「からかってない、からかってない。センセイが、嘘をついているというなら裏を取らなきゃダメだって方向へ持っていこうとしてるのに、二人は、断言しちゃえばいいってところで意気投合してるし」 断言できないって言い捨てて、どう裏を取れっていうわけ? もちろん、裏ぐらい取りますよ。誰が裏を取らないって言ったの? なんか、バカにされてない? あたしも薫も。 その薫が根本の腕を叩いた。 「ねねね、根本さんは、奥さんが怪しいって思ってるわけでしょ?」 「思ってるよ。思ってるけど、それは、なんかへんだよなってことであってさ。もともと、たった一日の取材で断言できることなんて警察の発表ぐらい──いや、警察の発表だってときどき怪しかったりするけどね。とにかく、断言しちゃえば面白いけど、それだと俺たちがやる仕事なくなっちゃうよ」 なんで断言しちゃいけないのよ、と言おうとしたとき、ホームに電車が入ってきた。 なんだか、腹が立ってきた。 断言するなと言いながら、小早川も根本も、勝手にあたしや薫を決めつけてる。どこかで、この男どもと考えがすれ違ってる。 なんなのよ、いったい。 「新橋、新橋でございます。浅草行最終電車です。2番線、浅草行の最終電車でございます」 開いた電車のドアから、客たちが降りてくる。万里子は、薫と一緒にドアをくぐった。 「すいてる、すいてる」 薫が嬉しそうに言って、手前のシートにポンとお尻を乗せた。万里子はその隣に座り、前に立った小早川と根本を見上げた。 「根本さん、疲れてるんだったら座ればいいのに」 つり革にぶら下がっているような格好の根本に、薫が言った。 「座ったら、寝ちまいそうだ」 ふと、万里子は薫と根本を見比べた。 「薫ちゃんに膝枕してもらって寝ちゃえばいいじゃん」 言ってあげると、薫は、きゃっきゃっと笑い声を上げた。 「あたしの太股、お肉いっぱいついてるから気持ちいいかも」 ひたすら笑ってる。 こいつ、根本君のこと、好きなんだよな。嬉しそうに照れている薫を見ながら、万里子は微笑んだ。 以前、薫は根本が「タイプ」だと言っていた。 万里子は、自分の言ったことを思い返してみた。 あたし、今日の取材だけで、犯人はあの奥さんだっていう記事を書こうなんて、いつ言ったの? そんなこと、ひとっことも言ってないじゃない。 あの奥さんは、ご主人を殺されたにもかかわらず、家の中を飾り立て、取材を受けるためにちゃんと念入りにメイクアップして出てきた。彼女の言葉を裏付けるような目撃証言は、他の目撃者からは出ていない。だから怪しい。怪しいって断言して、どこがいけないの? ようするに、例のあれなのよね。 女は論理的思考に欠ける……ってヤツ。 なんか、勘違いしてるよなあ。そもそも、その「女は論理的思考に欠ける」って言う男の言葉のどこが論理的なの? その言葉ぐらい、感情的なものってないでしょ。 電車が走り出した直後、車内の雰囲気がおかしいのに気づいて、万里子は顔を上げた。車両の前のほうで、床に倒れている男の人がいた。 「なに? どうしたの?」 訊いたが、誰も答えてくれなかった。 むっくりと倒れていた男が立ち上がり、そしてと号令をかけられたような感じで進行方向と逆向きに「きおつけ!」をした。 なんだか、ひどく滑稽だった。 薫が、横で吹き出し、万里子は自分の笑いを抑えながら「わるいわよ」と彼女に小声で言った。 |
![]() | 小早川 | ![]() | 薫 | ![]() | 根本 | |
![]() | 倒れて いる 男の人 |