前の時刻

  

 24:13 新橋-銀座駅
 P13AX
(ぴーさーてぃーんえいえっくす)


     むろん、なにごとにも絶対はあり得ない。精密なマシンであったとしても、すべての作動環境でのテストなど不可能であるからだ。
 そのマシンが優秀であるかどうかは、不測の事態が起こった場合、あるいはまったく計算外の状況に置かれたとき、その機能をどれだけ維持できるかによっている。

 現在、P13AXの置かれている状況は、まったくの計算外だった。このような状況は、開発時にはまるで考慮されていなかったのだ。だからこそ、今、このマシンの優秀性が試されているとも言えるのである。
 通信回路はその外部および内部ともにかなりのダメージを負い、200を越えるパーツが過熱状態にあるという、いわば最悪の状況にあって、P13AXは実にその優秀性を証明している。

《荷物なんかどうでもいい。とにかくここを出るんだ。壁が崩れかかっているのがわからないのか。何も考えず、出口に向かって走れ!》

《1949年、緊急失業対策法が制定されました。現在の職業安定法、緊急失業対策法に改正されたのは1963年のことです》

 相変わらず、エラーメッセージは意味不明である。意味は不明だが、エラーが発生していることだけはよくわかる。気がかりなのは、そのエラーがどんなものなのかがよくわからないということぐらいだった。

《(1)死亡したとき、(2)後遺障害(身体に残された将来も回復できない重大な機能障害や身体の一部欠損)が生じたとき、(3)平常の業務に従事することや平常の生活ができなくなり入院またはこれらに支障が生じ通院したとき。被保険者等の故意、疾病に起因する傷害、いわゆる〈むちうち症〉や腰痛で他覚症状のないものなどは保険金が支払われない》

《先生、ウチの人……助かるんでしょうか? 今晩がヤマっていうのは、明日の朝まで待てば回復するってことじゃないんですか?》

《民法の定める遺言には、次の種別があり、それぞれにその方式が定められています。まず普通方式として、自筆証書遺言、公正証書遺言、秘密証書遺言があります。次に特別方式として、危急時遺言と隔絶地遺言があり、前者は死亡危急者遺言と船舶遭難者遺言の別があり、後者は、伝染病隔離者遺言と在船者遺言の別があるのです》

 不意に、P13AXのセンサーがターゲットの変化を察知した。

 ターゲット移動。
 ターゲット追尾開始。

 どうやら、脚部のコントロールにもいささかの障害が現れているようで、P13AXはややギクシャクした動きでターゲットに向かって移動を開始した。
 このとき、警告ランプは0.5秒点灯0.5秒消灯と変化した。

 ターゲットは、すでに前方のドアから下車し、プラットホーム上を逆行している。電車の窓を挟んですれ違うと同時に、ターゲットがP13AXと正対した。

 ターゲット捕捉。パターン照合開始。
 パターン照合終了。
 ターゲット追尾続行。

 見事な性能であるとしか言いようがない。
 このような劣悪の条件下にあって、P13AXは正確にターゲットを捕捉し、任務を遂行し続けているのだ。

 進路妨害。

 電車からプラットホームへ降りようとしたときスクリーンに警告が現れた。P13AXの行く手を阻むように、高齢の男が立ちはだかったのだ。P13AXは、その妨害者を押しのけた。

 妨害物排除完了。

 ホームへ降り立ち、P13AXは素早く自分とターゲットの位置関係を計測した。

 現在位置確認。
 現在位置、北緯35度40分9秒、東経139度45分59秒。
 ターゲットとの距離、6メートル55センチ。

《危険です。速やかに待避してください。待避完了まで、20秒です》

 警告ランプの点滅が極限に達していた。

 移動不可能。

 歩行機能が、致命的なダメージを受けていた。あらゆる補償回路を働かせて移動を試みたものの、P13AXはその場からターゲットへ接近することが不能になっていたのである。

 ターゲット捕捉妨害。

 前方からやってきた男が、P13AXの正面に立ち塞がった。完全にターゲットを隠すように正面の視界を遮っている。

 妨害物排除。
 火炎放射。
 妨害物排除完了。

 見事な対応能力だった。
 P13AXは、これほどのダメージを受けているにもかかわらず、瞬時に妨害者を排除した。その排除は、この上なく完璧な方法で行なわれたのだ。

 至近距離攻撃不能。

 P13AXは、すでに移動機能を失っていた。
 そこで、残されている有効な攻撃方法が試みられることになった。

 ターゲット攻撃開始。

 P13AXは、センサーのすべてをターゲットに集中した。

 ミサイル発射。

 しかし、右腕を上げても、そこに格納されているミサイルは発射されなかった。

《役立たず! なによ、それ? その気にさせといて、それはないでしょう、あんた。飲み過ぎなんて言い訳、聞かないわよ》

《ヘレニズム時代、難破した船から放り出されたカルネアデスが、1人しかつかまれない板にしがみついている人間を突き落として板を奪い、みずから助かろうとした。これがゆるされるかというものが、緊急避難問題の最古の例として有名である。これを「カルネアデスの板」とも呼ぶ》

《最終的な決断は、大統領、あなたが下すべきものです》

 そして、次の瞬間、P13AXは最良の決断を下した。
 それは、見事な決断だった。

 ――自爆装置作動。
 ――任務、完了。

 一瞬ののち、P13AXは、超小型核燃料を爆破させることにより、その任務を完了させたのだった。
 このP13AXにおける実証実験は、指摘される問題点も若干あると予想されるが、まずは一応の成功を収めたと捉えていいのではないかと考えられる。


 
    ター
ゲット
 
高齢の男 前方から
やって
きた男

   前の時刻 ……