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 24:07 赤坂見附駅
 駒形千佳子
(こまがた ちかこ)


     そのとき、千佳子は妙なことを考えた。

 もし、ここであたしと三宅さんが降りてしまったら、大野さんはどう思うだろうか?
 ほんのちょっと愉快になった。「あたしたち、まだ話があるから、ここで失礼するわ」そんなことを言って、大野1人をおいて、さっさと2人で降りてしまう。
 きっと、眼を丸くして驚くことだろう。

 無理なことはわかっていた。
 三宅とは、まだそんなことができるほどの仲ではない。

 電車のドアが閉まった。ゆっくりと電車が動き出した。
「…………」
 千佳子は、なんとなくホームを見た。あのジャンパーの男は、とうとう戻ってこなかった。会社員に付き添って、病院まで行ってしまったのだろうか? たぶん、あの男はここで降りるつもりではなかったはずだ。降りるなら、もっと前に降りていただろうから。
 人は見かけによらない――。
 いやな男だと考えていた自分が、なんとなく恥ずかしかった。

「なにか、あったの?」
 大野の声に、千佳子はそちらへ顔を向けた。
「……なにかって?」
 三宅が大野に訊き返した。
「なんだか、お前らの様子が変だからさ」

 信じられないような気持ちで、千佳子は大野を見つめた。
 お前らの様子って……それ、あたしと三宅さんのことを言ってるの?
 大野がこちらへ目を向け、千佳子はその視線を避けて前を向いた。

 なんだか、急に腹立たしくなった。
 ――お前らの様子が変だからさ。
 その言葉には、嫌味のようなものが含まれているように、千佳子は感じた。おそらく、大野は千佳子と三宅の間に流れている空気を感じ取ったのだ。彼の言葉には、それを軽いものにしてしまうような響きが込められている。

「なにか、あったんだろ? どうしたんだよ」
 大野は、さらに重ねるように三宅に言った。
「なにかって……べつに」
 戸惑ったような声で、三宅が答えた。
「どう見たって、べつにって顔じゃないぜ。なんだよ、話してみなよ」

 その大野の言葉は、明らかに三宅への挑発だった。
 三宅を困らせ、自分と彼との違いを見せつけようとしているのだ。

 違い?
 いったい、どんな違いがあるの?
 許せないような気持ちになった。

「なにが言いたいの? 大野さん」
 千佳子は、大野を見つめながら言った。
 大野は、ニヤニヤと千佳子に笑いかけながら首をすくめた。
「気になっちゃうからさ。なにか、予定外のことでも起こったんじゃないかって。そんな雰囲気だもんな、お前ら」

「予定外?」
 思わず、千佳子は声をあげた。
 あなたには関係ないでしょう、と言ってやりたくなった。
 あたしはあなたとどんな約束もした覚えはない。勝手にそんなことを言い出さないでちょうだい。

「違うのか?」
「予定外って、なんなの? どういう予定だったって言うの?」

 大野が、千佳子と三宅を見比べるようにした。
 三宅は、困ったような表情で、前を向いている。

「大野さんは、どんなことを予定してたの?」
 重ねて訊くと、大野は諭すような口調を作って千佳子に言った。
「いや……べつにオレの予定じゃないだろ。三宅のオフクロさんを騙そうっていうことだったから」
「そうよ。だから、三宅さんと1日だけの恋人になってお母さんと食事してきたの。そのお膳立てをしてくれたのは大野さんだったのよね。どんなことを考えて、あたしを三宅さんに紹介したの?」

 大野が口を閉ざした。
 再び、千佳子と三宅を見比べた。

 つまり、そういうことなのだ、と千佳子は思った。
 大野にしてみれば、この雰囲気は予定外のことだったのだろう。彼は、三宅を利用して、あたしとの関係を前進させようと考えていたのだ。おそらく、三宅のオフクロさんの次には、オレのオフクロに会ってくれとでも言うつもりだったのだろう。ただし、今度は騙すためのデートではなく、本物の恋人として。
 その計算がいささか狂ってしまったのだ。それで、今度はその計算を狂わせた三宅に嫌味を言って、自分の立場をはっきりさせようということなのだ。

「いや、僕はべつに……」
 三宅が、困り果てたように言った。
 しかし、大野はさらにそこへ畳みかけてきた。
「なんなんだよ。いったい、どうしたんだ? 2人とも」


 
    三宅さん 大野さん ジャンパ
ーの男
会社員 

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