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 24:09 赤坂見附-虎ノ門
 手賀徹矢
(てが てつや)


     後ろを振り返り、そっと真紀のほうを窺った。

 真紀は、車輌の一番前のドアガラスを見つめるようにして立っていた。その後ろで美香が彼女を慰めてやっている。

 ここで、ぶん殴ってやるべきだろうか。

 と徹矢は湯川に目を戻しながら思った。
 このケダモノは、絶対にぶん殴ってやるべきだ。いや、それじゃ気がすまない。殺してやるべきだ。こいつはクズだ。ケダモノ以下だ。生きている資格など、こんなヤツにあるものか。

 湯川は、その真紀のほうを見ようともせず、素知らぬ顔でそっぽを向いていた。その手は、それでもまだ図々しくみどりの手を握っている。
 みどりは不安そうな表情で湯川を見つめていた。

 わかったかよ、おい。
 そいつは、そういうヤツなんだ。
 そういうくだらないヤツなんだ。営業成績なんて関係ないんだよ。

 たぶん、君は可能性とかってものに賭ける気になったんだろう。もちろん、湯川は優秀だよ。毛並みもいいんだろう。親父は医者だって言ってたしな。実家も金持ちだろうさ。
 だけど、そんなことは関係ないんだよ。
 男の価値は、そんなものとは関係ないんだ。
 わかったかよ、それが。

 オレには、医者の親父もいないさ。ウチは農家だ。それも、最近、果物をやりはじめたおかげで、借金だらけの火の車の実家だよ。だけど、そんなの関係ないだろう? 問題は、オレじゃないか。オレ自身じゃないか。
 君は、オレを好きだと言ったじゃないか。

 みどりが不意に湯川に顔を寄せ、徹矢はギクリとして二人を見下ろした。
 なにかをみどりにささやかれて、湯川が顔を上げた。
「こんなこと、今ごろ言うのはへんだってことわかってるけど」
 湯川が言うのを、みどりは首を振って黙らせた。

「ううん。気遣ってくれているんだったら、大丈夫。あたしは気にしないから」

 なにを言ってるんだ!
 と、徹矢はみどりを凝視した。
 こいつが気遣ったりするものか。それが君にはわからないのか。バカにされたんだぞ。オモチャにされたんだぞ。

「いや、そういうことじゃないんだ」
 湯川が、なおもみっともない釈明をしようとしたとき、車内に駅のホームの明かりが飛び込んできた。
 その光に助けられたと思ったのか、湯川は窓のほうへ顔を上げた。

「そういうことじゃないって?」
 みどりが、湯川に言葉を促した。
「違うんだ。へんなことを訊くようだけどさ――」

 ドアが開いて、また湯川はそちらへ顔を向けた。
 ホームで、電車の到着を知らせるアナウンスが流れている。

 ほら、こいつは釈明の言葉も思いつかずにオロオロしてるだけじゃないか。こういうヤツなんだよ。

「なに? へんなことって?」
 みどりがさらに訊き、湯川は、ようやく彼女にうなずいた。
「あのさ、オレ、君に結婚の申し込みをしたの?」
「え?」
 と、みどりが湯川を覗き込んだ。

「…………」
 何を言いはじめたのかわからず、徹矢は湯川を見つめた。

「はい、ドア閉まります。閉まるドアにご注意下さい」
 アナウンスが流れ、ドアが閉まる。
 電車が走り出しても、全員の視線は固まったように動かなかった。

 いきなり、湯川がみどりの手を振り払った。
「オレ、結婚の申し込みをした覚えがないんだよ」

 呆然としているみどりをそのままにして、湯川は、わざとらしくシートから立ち上がった。
 そして、見上げている彼女を見下すような目で眺めた。

 この野郎――。

 徹矢は、ポケットの中で握っている拳に力を入れた。


 
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