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 24:11 銀座駅
 狩野亜希子
(かりの あきこ)


     いかにも心外だという福屋刑事の顔を眺めながら、亜希子は、さてどうしたものだろうと考えた。

 もう時間がない。
 この福屋刑事に、身代金受け渡し捜査のイロハを伝授する余裕などどこにもない。だいたい、亜希子自身が初体験なのだ。教えられる身分ではない。

 それができるとしたら、竹内だ。しかし、この時間のない状況では、竹内にしても福屋を教育してやるような余裕はない。

 竹内は皮肉っぽく福屋を「張り切りボーイ」と言った。
 重要なポイントを福屋に教えてやれと亜希子に言ったのは、もちろんこの状況の中では、女の私のほうが福屋を落ち着かせる可能性があるという判断からだろう。
 しかし、亜希子にも、この福屋をどうコントロールしたらいいのか、判断がつかなかった。

 自分もそうだからわかるが、この福屋はキャリア組だ。竹内のような叩き上げではない。
 亜希子も、あこがれの刑事部に配属された当初は、かなり気負っていた。その気負いが、ある面でまったくのマイナスにしかならないということを知るのに、かなりの時間がかかった。

 むずかしい……と思いながら、亜希子は福屋に向かって口を開いた。
「福屋さん」
「はい」
 緊張した面持ちのまま、福屋がうなずいた。
「あなたは、私と一緒に兼田さんのガードにあたってください」
「ガード……ですか。しかし、それは──」

 突然、竹内が小さく手を上げ、福屋の言葉を封じた。

 見ると、竹内の向こうにカップルの姿があった。
 もちろん正視しているわけではないが、竹内の注意がその二人に向けられているのがわかる。
「…………」
 亜希子も、その二人をそれとなく眺めた。

「あの……」
 福屋が口を開きかけて、竹内が首を振った。それで、福屋も口を閉ざした。

 カップルは、のほうが手前、はその向こうに立っている。
 どことなくぎこちない二人だった。恋人には見えない。しかし、仕事の同僚という雰囲気でもない。
 そして、明らかにわかるのは、その二人ともが、かなり落ち着きを失っているということだった。

 よし、と思って亜希子は場所を移動することにした。
 ここは、竹内に観察してもらったほうがいい。観察眼の確かさは、竹内に並ぶ者がない。

 不自然にならないように笑顔を作りながら、亜希子は竹内の向こう側へ歩いた。福屋の横に並ぶような形になった。
 竹内とカップルとの間に立てば、もっと自然に彼らを観察してもらうことができるだろう。

「たすかる」
 竹内が言い、亜希子は、いいえ、と首を振りながら竹内の表情を見つめた。せめて、その表情から、二人の様子を知りたいと思った。

「あのう」
 横の福屋が口を開こうとする。それを亜希子は首を振って抑えた。
 ここで福屋に何か喋らせてはいけない。どうやら、福屋は何も気づいていないのだ。

 今、亜希子の後ろにいる二人が和則君を誘拐した犯人である可能性はあるのだろうか? もうすぐ、身代金を持って兼田勝彦がここへやってくる。その間際に、この二人はホームに姿を現した。

「どうですか?」
 小声で訊くと、竹内はことさらゆっくりと首を振ってみせた。
「わからんね。電話の声は……」
 はい、と亜希子はうなずいた。
「30代後半から40代前半と推定されています」
「それは合う。ただ、女のほうが合わない」
「自称24歳。アパートの住人の印象では未成年に見えるとのことでした」
 竹内がうなずく。

 なるほど、竹内の言う通り、男の年齢は一致する。
 女のほうが情報とは違うが、共犯が平岡芽衣という女性だけと決まったわけではない。
 なによりも、このカップルの落ち着きのなさは、どこか妙なものを感じさせる。

 そのとき、背後にいるカップルの女のほうの声が耳に入った。

「品物がいいかどうか、それをまず確かめて、それからで──」

 思わず、亜希子は眼を瞬いた。
 要注意だ……と言うように、竹内がため息をついてみせる。
 亜希子は、小さくうなずいた。


 
    福屋刑事  竹内     
        兼田勝彦 平岡芽衣

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