![]() | 24:13 新橋-銀座駅 |
弥生が見つめていると、美佳は、すっとその視線をそらせた。 つまり……と、弥生は思った。 この美佳の餌食になった男が、まだ他にもいる可能性が高いということだ。写真というはったりが、思った以上に効果を上げている。彼女には、思い当たるものがあるのだ。 乗りかかった船だ、と弥生は奥歯を噛みしめた。 もう少しだけつついてみよう。 ふっ、と弥生は笑いを顔に出した。 「松尾さんはご存知ですけど、ウチのお店ってよく言えば庶民的、普通に言ったら格下の飲み屋さんじゃないですか」 「…………」 松尾と美佳が、じっと弥生を見つめていた。松尾はおどおどと不安そうな表情で、美佳のほうは硬い表情で。 「だから、お客さんもそれなりの方たちなわけですよ。なあんて、言ったら叱られちゃいますけどね。だからお客さんの愚痴を聞いてあげるのも大切な仕事なんですよね。さっき言った早川さんに似た方の写真を持って来られたお客さんも、なんだかかなり問題を抱えてた方だったみたいなんですよ」 「問題……って?」 松尾が訊き返した。 「その写真の人を探しているのも、騙されちゃったってことらしいんですね」 「騙された?」 また訊き返した松尾に弥生は笑いながらうなずいた。 チラリと美佳に目をやる。美佳が眼を閉じ、すっと息を吸い込むのが見えた。 電車が銀座駅に滑り込み、車内に差し込んできたホームの明かりが、美佳の美しい顔を白く見せた。 「お金を騙し取られたんですって」 具体的なことは言わないほうがいいだろう。嘘がバレてしまったら、なにもならない。 「お金を……」 松尾が呟いた。松尾にとっては、一番、反応する言葉なのだ。 「ちょっとよろしいですか?」 と、美佳が口を開いたとき、弥生たちのシートの前に立っていたあの男が車両を後ろのほうへ歩き始めた。気がつくと、電車が停まり、ドアが開いていた。 電車が発車すると同時に床に倒れたあの男だ。 弥生が男のほうへ気を取られたのにつられて、美佳も松尾も、なんとなく男のほうを目で追った。酔っぱらっているのか、妙な歩き方をする男だった。 「ごめんなさい」と、弥生は美佳のほうを向いて謝った。「なんでしょう?」 ええ、と美佳がうなずく。 「どういう意味でおっしゃったのか、よくわかりませんけど、ちょっと失礼なんじゃありません?」 は? と弥生はとぼけてみせた。 松尾は、さらにおどおどした表情で美佳を見返す。 「私に似た写真の人が、お店のお客さんのお金を騙し取ったなんて、どういう意味でおっしゃってるんでしょう?」 「あ、ごめんなさい。思い出したものだから、ついお話ししちゃって。そうですよね、失礼しました」 「私がその写真の女だっておっしゃりたいの?」 「そんな……」 と、弥生はわざと眼を見開いた。では、トドメの一発だ、とお腹に力を入れた。 「まさか。じゃあ……あなただったんですか? あの写真」 え? と、松尾が弥生と美佳を見比べた。 その驚きは、当の美佳も同じだったようだ。そんな言葉が弥生の口から出てくるとは思ってもいなかったのだろう。必死に謝って否定すると考えていたに違いない。 美佳が、一瞬、言葉を失うのが見えた。 「……なにを、言うんですか。ほんとに失礼な人だわ」 松尾が、美佳を見つめていた。 「美佳さん……」 美佳は、弥生を睨みつけているそのままの視線を、松尾に返した。気づいたように、その表情を引きつらせたが、小さく首を振った。 「この人の言うこと、松尾さんは信じておられるんですか?」 松尾は、ブルブルと首を振った。 「信じるも信じないも……だって、彼女は写真の人が美佳さんだなんて言ってるわけじゃないんですから」 「…………」 美佳の眼が、戸惑ったように搖れた。 そのとき、突然、「キャーッ!」という悲鳴が、後ろのほうで聞こえた。 シートの上で後ろを振り返って、弥生は眼を見開いた。思わず立ち上がっていた。 すぐ先のホームで、男の人が火だるまになっていた。わあっ、と声を上げながら駆け出し、つまずくように倒れた。そのままホームを転がりはじめた。 「…………」 あまりのことに、声も出なかった。 いったい何が起こったのか、想像もつかない。 「どうしたんだ、あれ……」 隣で、やはり立ち上がってホームを見ている松尾が言った。 ふと、気づいて、松尾の向こうを見た。 美佳の姿が消えていた。 見ると、彼女は、ゆっくりと車両の前のほうへ歩いていた。 「あ、美佳さん──」 と、呼び止めようとする松尾の腕を、弥生はそっと押さえた。 「…………」 振り返る松尾に、弥生は首を振った。 「まだ、松尾さんに被害はないんでしょう?」 松尾が、ゴクリと唾を呑み込んだ。 「じゃあ……美佳さんは、ほんとに……?」 弥生は、ゆっくりと歩いて行く美佳の後ろ姿を指さした。 「なにもなければ、逃げることはないでしょ?」 松尾も美佳の後ろ姿を見やった。 「僕を騙すために……?」 弥生は、それ以上なにも言わなかった。 そのまま、ホームへ目を返した。 男性2人が、燃えている男を助けようとしているのが見えた。ホームが異様に張りつめている。 この騒ぎのせいだろう、電車はドアを開けたまま、発車する気配もない。 「なんで? なんでそんなこと……」 松尾が、ポケットから何かを取り出した。それは指輪のケースだった。彼は、ふたを開けて、中の指輪を取り出した。 安っぽいリングだと、弥生はなんとなく可笑しくなった。 そのリングをつまんだ松尾の指が、突然、真っ白に光り輝いた。 いや──輝いたのは松尾の指だけではなかった。弥生の周囲全体が光を帯びた──その次の瞬間、大音響とともに横の窓ガラスが砕け散り、車体が大きく傾いた。わけもわからぬまま、弥生はその一瞬で絶命していた。 |
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