 | 24:13 新橋-銀座駅 |
| 小早川は、ことさら余裕ありげな表情で吊革につかまっている。もしかしたら、この４人の中では自分が一番大人だなんて錯覚でもしてるんじゃないか。 大間違いなんだよ、あんた。 「根本君ってさ」と、妙にはしゃいだ声で薫が言った。「根本君って、自分の部屋に帰って寝るって、あるの？」 苦笑しながら、それに根本が答える。 「あるよ、そりゃ。ひと月に３日ぐらいは帰って寝てる」 「……ひと月に、３日？」 本気で驚いた声を、薫は出した。 まあ、想像できないことじゃない。だって、ほとんど毎日のように、編集部奥のソファの上で眠っている根本を、万里子は目撃している。 「アパートだよね、根本君って」声をかけると、根本はやはり眠そうな顔で万里子を見返した。「家賃、もったいなくない？」 うんざりしたような顔で根本はうなずいた。 「オレもそう思う。実質は１０分の１しか使ってないんだから、家賃も１０分の１にしてもらえればいいんだけどな」 「ルームメイトかなんか見つけて、住むっていうのは？」言って、隣の薫に目をやった。「薫ちゃんとかさ」 途端に、薫が、ひえっ、と声を上げた。嬉し恥ずかしといった顔で照れまくりながら、万里子の肩をひっぱたく。 「なに言ってんのよぉ。びっくりするなあ。なんであたしなのよ、もう」 大袈裟に照れ笑いを続けている薫が面白くて、万里子は根本に笑いかけた。 「だって、薫ちゃんだって１人暮らしなんだし、ちょうどいいじゃない。ね？ 根本君」 薫は、さらに万里子の腕をひっぱたき続ける。その顔は、もう真っ赤っかだ。 「願ってもないね」と、ニコニコしながら根本が言った。「膝枕付きだったら、さらに嬉しい」 もう、悶絶しそうになっている薫を笑って眺めながら、万里子は、へえ、こいつ本気だったんだと、なんとなく感心してしまった。 前から、薫が根本に好意を持っていることは気づいていたが、ちょっとからかわれただけでのこの反応は、よっぽどだ。 なんだか、やたらかわいいなあ、薫ちゃん。 電車が、銀座駅のホームへ滑り込んだ。車内が、ふわっと明るくなる。 薫が、ちょっと羨ましかった。 こういう性格は気持ちがいい、と万里子は思う。自分自身の感情を、これだけ正直に表に出せるのは、やはりこれも才能なのだろう。万里子には無理だった。 どこかで自分をセーブしてしまう。嬉しいとか、悲しいとか、素直に表に出せない。怖いのだ。自分の感情を表に出すのが怖い。 正直なほうがいいよなあ。 「そう言えば」頭上で、小早川がもったいぶった声で言った。「根本の浮いた話って聞いたことないな」 その言葉を、根本が声を上げて笑い飛ばした。 「聞いたことなんかあるわけないだろ。そもそも、影も形もないんだからさ」 「ずっとか？」 「彼女作ってるような時間を、誰かが回してくれるといいけどな」 「なるほどね」 根本の性格もまた羨ましい。小早川のような気取りはどこにもなく、実に自然体で生きている。 なんとなく面白くなって、根本に訊いてみた。 「女が嫌いってことじゃないんでしょ？」 「女は好きだよ。べつに公言することもないだろうけど」 切り返そうとしたが、万里子が口を開く前に、薫がはしゃいだ声を上げた。 「理想が高いんだよね、根本君の場合、きっと」 嬉しそうだなあ、と万里子は薫を横から眺めた。 「もう、理想云々を言ってる場合じゃないだろう。男も３０超えてきたら」 薫の気持ちなどお構いなしに、小早川は冷めるようなことを言う。その言葉に、薫が抗議した。 「ひどいなあ。年齢なんて関係ないじゃないですか。根本君みたいな、いい男だったら」 わあ、と思わず万里子は声を上げた。 「白状した。薫ちゃんが白状した」と、薫を覗き込む。「やっぱりもう、薫ちゃん、根本君の部屋に押しかけるしかないわよ」 「えええっ」と、眼を丸くして薫は崩れきった顔でにらみつけてきた。「なんで、そうなるのよ。万里っぺ、なんでそんなことばっかり、根本君だって迷惑じゃん」 「まあまあまあ」 薫の腕を優しく叩きながら、万里子は根本のほうへ目を返した。 「迷惑じゃないよね、根本君」 その時、電車の外で、けたたましい女性の悲鳴が上がった。 「…………」 首を伸ばして、ホームのほうへ目を上げる。目の前に立っていた根本が、すい、と動いてドアのほうへ向かった。欠伸ばかりしていたのが嘘のような素早い動きだった。 あらためて万里子は、ホームに目をやった。 「あ──」 思わず声を上げ、万里子はシートから腰を上げた。同時に、小早川も根本の後を追い、電車を降りて行く。 ウインドウ越しに見える銀座駅のホームで、人が身体から炎を上げながら転げ回っていた──その自分の見ている光景が、信じられない。 理解できなかった。東京のど真ん中。真夜中の地下鉄銀座駅。そんな場所で、人が燃えている……。 薫が万里子の腕をつかんだ。 「なに……あれ、なに？」 万里子も、薫の腕にしがみつく。 なに、と訊かれても、答えようがない。なにも言葉が出てこない。 見ると、根本と小早川は、２人とも燃えながら転げ回っている男のほうへカメラを向けていた。 乗客の何人かが上着をふるって男の火を消そうとしていた。 「どうして、燃えてるの……」 言ったその言葉が喉のどこかにひっかかった。 必死で考えようとするが、頭の中には何も浮かんでこない。焦れば焦るほど、何を考えたらいいのかさえ、わからなくなってくる。 ホームにいる大勢の人の目が、すべて一点に向けられていた。ようやく火は消えかかっているようだが、男の身体からはまだ煙のようなものが上がり続けている。 横で薫が携帯電話をにらみつけていた。 人間が燃えているのを見たのは、これが初めてだった。膝がガクガクと震えているのを感じる。震えを押さえようとしたが、どうやって押さえたらいいのかもわからなかった。 「電話、探そう」 と、いきなり薫が万里子の腕をつかんだ。 引きずられるようにドアへ向かった、そのとき──。 一瞬、万里子は目がくらんだ。 目の前が、すべて真っ白に輝き、そして乗っている電車全体が大音響を立てて軋むように搖らいだ……そう感じた瞬間、万里子は意識を失った。 |
 | 小早川 |  | 薫 |  | 根本 | |
 | 燃えながら 転げ回って いる男 |
