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武蔵野夫人

大岡昇平/著

605円(税込)

発売日:1953/06/09

  • 文庫
  • 電子書籍あり

不倫小説の極致。昼ドラ顔負けドロドロ夫婦劇! 叫びたくなる、衝撃のラスト。

貞淑で、古風で、武蔵野の精のようなやさしい魂を持った人妻道子と、ビルマから復員してきた従弟の勉との間に芽生えた悲劇的な愛。――欅や樫の樹の多い静かなたたずまいの武蔵野を舞台に、姦通・虚栄・欲望などをめぐる錯綜した心理模様を描く。スタンダールやラディゲなどに学んだフランス心理小説の手法を、日本の文学風土のなかで試みた、著者の初期代表作のひとつである。

目次
第一章 「はけ」の人々
第二章 復員者
第三章 姦通の条件
第四章 恋ヶ窪
第五章 蝶の飛翔について
第六章 真夏の夜の夢
第七章 湖の涯
第八章 狭山
第九章 別離
第十章 夫の権利
第十一章 カメラの真実
第十二章 離婚の理由
第十三章 秋
第十四章 心
解説 神西 清

書誌情報

読み仮名 ムサシノフジン
シリーズ名 新潮文庫
発行形態 文庫、電子書籍
判型 新潮文庫
頁数 288ページ
ISBN 978-4-10-106502-1
C-CODE 0193
整理番号 お-6-2
ジャンル 文芸作品
定価 605円
電子書籍 価格 572円
電子書籍 配信開始日 2014/04/04

書評

本の中で生きる武蔵野

本橋信宏

 武蔵野の存在を知ったのは、松本清張の『高校殺人事件』(カッパ・ノベルス版)だった。
 1969年春、中学1年生の私はちょっと背伸びしようと、高校生が登場する学園推理小説を手にしたのだった。
 大発見があった。
 小説の舞台は、調布・府中あたりの武蔵野台地だった。社会科の地図帳を開くと、なんと、わが所沢市も武蔵野台地の中央に位置するではないか。普段見飽きた景色がとたんに水彩画になった。
 以降、武蔵野台地の特徴である雑木林が私の心象風景となった。
 清張作品には武蔵野がよく登場する。九州・福岡から朝日新聞東京本社への転勤で上京し、専業作家になったのが46歳、遅咲きのデビューだった。九州から引っ越した先が上石神井周辺だったために、練馬・杉並の武蔵野がよく出て来る。
 雑木林と畑が平行し、狭山茶の茶垣が縁取る景色がよほど気に入ったのだろう。
 短編「地方紙を買う女」(新潮文庫『張込み 傑作短編集〔五〕』収録)も武蔵野が描かれる。

松本清張『張込み 傑作短編集〔五〕』書影

「杉本隆治は、頭を振って机を離れて、散歩に出かけた。いつも歩きなれた道で、このあたりは武蔵野の名残りがある。葉を落とした雑木林の向こうには、J池の水が冬の陽に、ちかちかと光っていた」
 杉本隆治は作家で、ある事件に巻き込まれる。清張のタイトルの付け方が本作でも光っている。こけおどしの語句を使うことなく、題名からミステリーがだだ漏れしているではないか。
 清張の武蔵野モノと共に国木田独歩「武蔵野」も読んだ。

国木田独歩『武蔵野』書影

 私が持っている改版前の文庫本では画家・難波淳郎が描く雑木林と民家の淡い水彩画が、武蔵野のイメージをうまく表現している。
「林は実に今の武蔵野の特色といってもい」(「武蔵野」より)
 春夏秋冬を通して木々が紅葉し、落葉、新緑萌え出ずる変化に、独歩は感動をおぼえる。
 その光景の妙は、他の地方では見られない武蔵野特有のものだと書いている。
 雑木林と畑、民家が織りなす平和な景色は、独歩が描いた明治三十年代から武蔵野の特長でもあった。
 大岡昇平『武蔵野夫人』は高校生のときに読んだ。

大岡昇平『武蔵野夫人』書影

 これも私が所有しているカバーが変わる前の文庫本は、不倫がテーマの大人の作品ながら、堀文子が描くススキノをイメージした水彩画である。
 私が歓喜したのは、文中に「武蔵野夫人」小説地図という一ページの絵地図が載っていることだった。
 小説の舞台になった武蔵野を紹介したもので、素朴な絵柄の丘陵が描かれ、「将軍塚」と記されている。
 新田義貞の鎌倉攻めのときに、自軍の旗を立てた地点、という歴史的遺跡を記録するために建てられた石碑である。
 地元の人間なら誰もが知る将軍塚だ。
 石碑の建つ丘陵は、その昔、八州が見渡せたことから八国山とよばれてきた。
 スタジオジブリ「となりのトトロ」(宮崎駿監督作品)に登場する七国山のモデル地といわれる。
「となりのトトロ」で七国山が出てきたときの驚きといったら。
『武蔵野夫人』は映画化(1951年・東宝)され、主演の人妻役を田中絹代が演じている。
 スクリーンには、雑木林がしばしば登場するのだが、どうも違和感が残った。
 武蔵野台地というよりも軽井沢風なのだ。
 武蔵野の魅力は、すべて自然が仕切っているのではなく、畑や防風林、茶垣といった人の手も加えられた、渾然としたところにあるのだ。
 武蔵野(台地)とよばれる舞台に私は暮らしてきた。
 中学校の校舎の窓から授業中に視線を向けたとき、丘陵が横たわる景色は八国山と久米の山だった。このまま時間よ、止まれ、と何度思ったことか。
 雑木林がそうさせるのか、武蔵野は朝靄、夕靄がよく漂う。
 中学校の通学路には雑木林が両側に存在し、湿気の多い夕方になると夕靄が発生して、幻想的な光景になった。
 いまでは大分、変わってしまった武蔵野の風景だが、文庫には雑木林が厳然として生き残っている。

(もとはし・のぶひろ 作家)

波 2026年6月号より

著者プロフィール

大岡昇平

オオオカ・ショウヘイ

(1909-1988)東京生れ。京都帝大仏文科卒。帝国酸素、川崎重工業などに勤務。1944(昭和19)年、召集されてフィリピンのミンドロ島に赴くが、翌年米軍の俘虜となり、レイテ島収容所に送られる。1949年、戦場の経験を書いた『俘虜記』で第1回横光利一賞を受け、これが文学的出発となる。小説家としての活動は多岐にわたり、代表作に『武蔵野夫人』『野火』(読売文学賞)『花影』『レイテ戦記』(毎日芸術大賞)などがある。1971年、芸術院会員に選ばれたが辞退。

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