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ケインズかハイエクか―資本主義を動かした世紀の対決―

ニコラス・ワプショット/著 、久保恵美子/訳

979円(税込)

発売日:2016/07/28

  • 文庫

経済学をいまなお揺るがし続ける二人の天才。その素顔と対立、友情を活写した力作評伝。

大きな政府か、小さな政府か――。経済と政治を百年にわたって揺るがし続ける大命題をめぐり、対立した経済学の二大巨頭。世界恐慌からの回復期にあって、二人の天才はなぜ真っ向から衝突したのか。正しかったのは一体どちらなのか。学界から政界へ、イギリスからアメリカへと舞台を移しながら繰り返された激しい抗争、そして知られざる信頼と友情の物語を巧みに描いた力作評伝。

目次
序文
第一章 魅力的なヒーロー
ケインズがハイエクの崇拝対象になるまで 一九一九~二七年
第二章 帝国の終焉
ハイエクがハイパーインフレを直接経験する 一九一九~二四年
第三章 戦線の形成
ケインズが「自然な」経済秩序を否定する 一九二三~二九年
第四章 スタンリーとリヴィングストン
ケインズとハイエクが初めて出会う 一九二八~三〇年
第五章 リバティ・バランスを射った男
ハイエクがウィーンから到着する 一九三一年
第六章 暁の決闘
ハイエクがケインズの『貨幣論』を辛辣に批評する 一九三一年
第七章 応戦
ケインズとハイエクが衝突する 一九三一年
第八章 イタリア人の仕事
ケインズがピエロ・スラッファに論争の継続を依頼する 一九三二年
第九章 『一般理論』への道
コストゼロの失業対策 一九三二~三三年
第十章 ハイエクの驚愕
『一般理論』が反響を求める 一九三二~三六年
第十一章 ケインズが米国を魅了する
ルーズヴェルトとニューディールを支持する若手経済学者たち 一九三六年
第十二章 第六章でどうしようもなく行き詰まる
ハイエクがみずからの『一般理論』を書く 一九三六~四一年
第十三章 先の見えない道
ハイエクがケインズの対応策を独裁に結びつける 一九三七~四六年
第十四章 わびしい年月
モンペルラン・ソサエティーとハイエクのシカゴ移住 一九四四~六九年
第十五章 ケインズの時代
三十年にわたる米国の無双の繁栄 一九四六~八〇年
第十六章 ハイエクの反革命運動
フリードマン、ゴールドウォーター、サッチャー、レーガン 一九六三~八八年
第十七章 戦いの再開
淡水学派と海水学派 一九八九~二〇〇八年
第十八章 そして勝者は……
「大不況」の回避 二〇〇八年以降
謝辞/原註/参考文献抜粋
解説 松原隆一郎

書誌情報

読み仮名 ケインズカハイエクカシホンシュギヲウゴカシタセイキノタイケツ
シリーズ名 Science&History Collection
発行形態 文庫
判型 新潮文庫
頁数 624ページ
ISBN 978-4-10-220051-3
C-CODE 0198
整理番号 シ-38-25
ジャンル 経済学・経済事情
定価 979円

書評

「大きな政府」か「小さな政府」か

松原隆一郎

「大きな政府」か「小さな政府」かは、経済の問題というよりも、票集めのための政治家のモットーと化している観がある。スリム化をめざしても公共事業にも橋や道路のメンテナンスのように避けられないものがあり、政府支出にも民主党の事業仕分けで判明したように、削減できそうに見えてそうでないものがある。ならば「適正な(規模の)政府」とは何かが問題になるが、そう言いづらくなったのは景気対策が政府の仕事になってから、つまりJ・M・ケインズの『雇用・利子および貨幣の一般理論』(1936)が登場してからのことだろう。
『一般理論』は(とりわけ労働市場の)不均衡状態がいつまでも続くことがありうるのかを解明しようと試みた難解な理論書だが、著者であるケインズが主婦向けラジオ番組にまで登場し、その内容を「景気の底では財政赤字で資金調達し公共事業を講じて失業対策とすべし」と分かりやすく要約すると、その後の政治には現在に至るまで「景気対策、是か非か」が欠かせないものとなり、経済学者もケインジアンと自由市場主義者の両陣営に分かれた。
 けれども『一般理論』出現以前の1931年、ケインズと抽象理論レベルで徹底的に対峙した人がいる。それが後に『隷従への道』(1944)で反社会主義の論陣を張り、「ケインズ主義は社会主義への一里塚」と説いて経済自由主義の中心人物とみなされるようになるF・A・ハイエクだ。
 ケインズにもハイエクにも有名な伝記があるが、本書がクローズアップするのはそれぞれの来歴よりも、その周辺にまで及ぶ対立である。学会から政界、ロンドンからアメリカまで様々な場所で繰り返される抗争が、西部劇さながらに詳述され、手に汗握る筋立てとなっている。
 ケインズの前著『貨幣論』(1930)に対するハイエクの超刺激的な批判書評は、専門的な観点からも興味深い。ケインズはGDPのレベルで集計して眺めるため、中央銀行による金融緩和(金利引き下げ)で物価は上がるとしか言わない。一方、金融緩和は、ハイエクからすれば設備投資を追加して生産過程を長期化させた一部の投資家が、融資が終われば遊休設備を抱えて倒産の憂き目に遭うのを促す引きがねとなる。
 つまりハイエクは「社会科学において集計は可能か」という方法論上の急所をつく批判を行ったのだが、本書はそうした専門的な知見に深入りしない。ケインズが反論で「支離滅裂」という罵倒を投げ返したり、その後二人が週に何通もの私信で用語の定義を確認し合ったこと、さらに書評の注文そのものがケンブリッジ大vsロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)という大学間の対抗意識の中でLSE側のL・ロビンズによって仕掛けられたものだったこと等が続く。ハイエクはロビンズの刺客だったのだ。
 これにはケインズも負けじと反論の代役にイタリアからの半亡命者で天才肌のP・スラッファを立て、子分たち「ケインズ・サーカス」とLSEの若手が互いのゼミに乗り込んだり、抗争は拡大する。しかしケインズが『一般理論』出版で名声を高めるとハイエク周辺の若手、J・R・ヒックスやA・ラーナー、N・カルドアがケインズ側に寝返り、ハイエクを面罵したりもする。この辺りは経済学説史上のエピソードというより人間(性が疑われる)ドラマとして、興味は尽きない。
 さらにJ・ロビンソンがR・カーンの愛人だったとか、ハイエクが元カノとヨリを戻すために離婚のしやすい米アーカンソー州に職を求めたとか、第二次大戦中にLSEがロンドンを離れケンブリッジに間借りした際に独空軍の落としてくる焼夷弾をはたき落とすためにケインズとハイエクが二人して屋根に上り、その頃から和解するようになったとか、ふんだんにゴシップが鏤められている。
 吹いてくる風になびく論者は日本にも多数存在するが、ケインズとハイエクの両者だけは、裏切られようと定点のように立ち位置を変えなかった。それは彼らの経済思想がデータや理屈をいじくる「賢い」だけの学者のとは異なり、人生の深い確信に根ざすものだったからだろう。彼らが距離を保ったまま和解する様は感動的だ。ハイエクは半世紀近く長生きし、ソ連没落により名声を回復して亡くなった。ところがリーマンショックが勃発、いまだ勝者はどちらと決してはいない。

(まつばら・りゅういちろう 東京大学大学院教授)
波 2012年12月号より
単行本刊行時掲載

著者プロフィール

1952年英国生れ。ジャーナリスト、作家。「タイムズ」や「オブザーバー」誌などで記者・編集者として活躍後、アメリカに拠点を移す。キャロル・リード、レックス・ハリソンらの評伝を執筆、2011年に刊行した『ケインズかハイエクか』で注目を集める。他の著書に『レーガンとサ ッチャー』などがある。現在は新聞やテレビのコメンテーター、大学の客員教授としても活躍中。

久保恵美子

クボ・エミコ

翻訳家。東京大学経済学部卒業。訳書にバジョット『ロンバード街』、フリードマン、シュウォーツ『大収縮1929-1933』、クラーク『10万年の世界経済史』『格差の世界経済史』、ワプショット『ケインズかハイエクか』『レーガンとサッチャー』、モス『世界のエリートが学ぶマクロ経済入門』など。

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