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「帰国から六十数年、〈交換船〉のすべてを、いま語っておきたい」――鶴見俊輔

日米交換船

鶴見俊輔/著、加藤典洋/著、黒川創/著

2,592円(税込)

本の仕様

発売日:2006/03/30

読み仮名 ニチベイコウカンセン
雑誌から生まれた本 考える人から生まれた本
発行形態 書籍
判型 四六判
頁数 494ページ
ISBN 978-4-10-301851-3
C-CODE 0095
ジャンル 日本史
定価 2,592円

太平洋戦争開戦から半年、対戦国に残る人々を帰国させる「日米交換船」が用意された。ハーヴァード留学中の鶴見は、姉の和子、都留重人らとともに交換船で帰国。開戦前後とこの航海の日々が最良の聞き手を得て初めて明かされる。出航までの両国の緊迫したやりとりから船上での青春群像まで。日米史の空白を埋める証言と論考。

著者プロフィール

鶴見俊輔 ツルミ・シュンスケ

1922年、東京生まれ。哲学者。ハーヴァード大学卒業。十代で渡米。1942年、日米交換船で帰国。1946年、丸山真男らと「思想の科学」創刊、アメリカ哲学の紹介や大衆文化研究を行なう。『鶴見俊輔集』全12巻、『鶴見俊輔座談』全10巻、『戦時期日本の精神史』(大仏次郎賞)、『夢野久作』(日本推理作家協会賞)ほか。1994年度朝日賞受賞。

加藤典洋 カトウ・ノリヒロ

1948年、山形県生まれ。文芸評論家。東京大学文学部卒業。著書に『アメリカの影―戦後再見―』、『言語表現法講義』(新潮学芸賞)、『敗戦後論』(伊藤整文学賞)、『テクストから遠く離れて』『小説の未来』(桑原武夫学芸賞)、『村上春樹の短編を英語で読む1979~2011』『3.11死に神に突き飛ばされる』『小さな天体―全サバティカル日記―』ほか多数。共著に鶴見俊輔・黒川創との『日米交換船』、高橋源一郎との『吉本隆明がぼくたちに遺したもの』ほか。

黒川創 クロカワ・ソウ

1961年、京都市生まれ。同志社大学文学部卒業。1999年、初の小説『若冲の目』刊行。2008年『かもめの日』で読売文学賞、2014年『国境 完全版』で伊藤整文学賞(評論部門)、2015年『京都』で毎日出版文化賞を受賞。おもな小説に『もどろき』『明るい夜』『いつか、この世界で起こっていたこと』『暗殺者たち』など。評論に『きれいな風貌――西村伊作伝』『鴎外と漱石のあいだで――日本語の文学が生まれる場所』、鶴見俊輔・加藤典洋との共著『日米交換船』など。編著に『鶴見俊輔コレクション』全四巻ほか。

インタビュー/対談/エッセイ

波 2006年4月号より 交換船のこと  鶴見俊輔・加藤典洋・黒川創『日米交換船』

黒川創

 それは一九四一年の一二月に入った日曜日の午後だった。太平洋をはさんだ日本では、日付が替わって、月曜日の朝となっていた。
一九歳の日本人青年は、ハーヴァード大学哲学科の学生で、マサチューセッツ州ケンブリッジの下宿屋三階の屋根裏じみた自室にいた。米国人の友人が訪ねてきて、日本軍による真珠湾への奇襲攻撃で両国間に戦争が始まったことを教えてくれた。そして、彼がこう言うのを聞く。「――これから、ぼくたちは互いに憎みあうことになるだろう。しかし、そういう憎しみを越えて、やがてもう一度、親しさを回復できるときが来ることを祈ろう」
この日本人青年は、これと前後し、米国司法省移民局に呼びだされ、今度の戦争をどう思うかと、問われている。彼は、「自分の信条は無政府主義だから、こうした帝国主義戦争ではどちらの国家も支持しない。ただし、連合国側と枢軸国側の戦争目的をくらべると、相対的に、連合国側のほうがやや正しいと思う」と答える。
四三歳の日本人商店主は、この日、中米パナマで、ドライヴの最中だった。自宅に戻って、同胞の使用人たちがすべて連行されたことを聞き、みずから警察署に出頭する。
三二歳のカナダ人の歴史家は、駐日公使館の語学官として、東京にいた。「徳川末期の農兵の問題」という英文の論文を仕上げて、印刷所に渡した直後だった。この日から、彼は、公使館内での軟禁下に置かれる。
一二歳になる米国人の双子の姉妹は、札幌の北海道大学官舎の自宅にいた。彼女たちの両親は、大学予科の英語教師で、この朝、特高警察が踏み込み、すでに連行されていた。
蘭印(現在のインドネシア共和国)のセレベス(現スラウェシ)島には、コーヒー農園を営む日本人の父子がいた。この日、彼らはオランダ人士官と配下のインドネシア人兵士らによって連行されて、ジャワ島に運ばれ、さらにそこからすし詰めの船に乗せられ、オーストラリアの収容所へと移送される。
だが、世界各地に散在するこれらの人びとは、このとき、自分たちが何らかのつながりを有しているとは、まだ知らない。それがはじめて明らかになってくるのは、翌四二年夏、彼らがおのおの「日米交換船」(蘭印のコーヒー農園の父子は「日英交換船」)に乗せられることになってからである。
『日米交換船』(鶴見俊輔・加藤典洋・黒川創共著)は、彼らの一人、当時一九歳のハーヴァード大学生だった鶴見俊輔の証言を起点に、太平洋戦争下、「日米交換船」「日英交換船」という敵対する国家のあいだで実行された壮大な取り組みと、そこでの一人ひとりの経験に、接近しようとする試みである。
国家間で戦争が起きても、相手国には、自国の外交官、企業駐在員、ジャーナリスト、宗教人、学者・学生、移民らが、なおそこに残って暮らしている。国交の絶えた「敵国」から、どうやって彼らを帰還させるか。あるいは、どのように、その安全を確保するのか。わずかな中立国を仲立ちに、この交渉は手さぐりで進められ、「交換船」運航の協議がまとまる。お互いの国とその同盟国・支配圏から、それぞれが「敵国民」の帰還者を乗せた船を出し、中立国の港(第一次「日米交換船」および「日英交換船」ではポルトガル領東アフリカのロレンソ・マルケス〔現在のモザンビーク共和国マプト〕、第二次「日米交換船」ではインドのポルトガル領ゴア)で、相互の帰還者を交換しあって、自国に戻る。各便の乗船者はおよそ千五百名ずつ、総計で九千数百名の帰還者たちが「交換」された。
乗船の候補に指名された者は、この船で帰国するか、乗らずに「敵国」にとどまるかを、選択する自由があった(ただし、「敵国」に残った場合、身柄の自由までを保障されたわけではない)。鶴見は、自身を「無政府主義者」と表明したことから、その後、米国内の収容所に入れられていたが、「交換船に乗るか、乗らないか」との米国官吏の質問に、即座に「乗る」と答えている。――この戦争にかならず日本は負ける、そのときには負ける側にいたい、との気持ちが働いたからであるという。
「どちらの国家も悪い」との認識と、「どちらがより悪いか」の判断が、交錯しながら共存する場所で、鶴見のプラグマティズムは始まった。そうした思想の原形をこわさないまま、「交換船」は、戦中から〈戦後〉へ、さらにまた二一世紀という新しい戦争の時代に、この「無政府主義」の哲学者を連れてきた。

(くろかわ・そう 作家)

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