これって、俺の脳内妄想?/代理出産はポジティブなもの/海堂ワールドに迷い込む
これって、俺の脳内妄想?
海堂 新作『マドンナ・ヴェルデ』は、二〇〇八年に出した『
ジーン・ワルツ』と同じ時系列で、視点を変えて書いた小説です。主人公は五〇歳代後半の代理母、山咲みどり。「小説新潮」での連載前に、日本で唯一代理出産実施を公言していらっしゃる根津八紘先生と、その病院である諏訪マタニティークリニックを取材させていただきました。僕は自分でも相当タフな方だと思うんですけれども、取材中は非常に濃密な二日間で、久々に外科の研修医時代を思い出しました。
根津 私が海堂さんのことを知ったのも『ジーン・ワルツ』が最初でした。東京マタニティー・クリニックの院長だった柳田洋一郎先生が、この本に出てくる代理出産のくだりを教えてくれたんです。「物語の世界ではすでに代理出産が取り扱われているのに、ずっと代理出産禁止と言い続けている日本産科婦人科学会は本当に頭が固い」、と。ですからこの際、当院のすべてを見ていただきたかった。くわえて、うちの総師長が海堂さんの大ファン。取材のお話があったときには相当はりきって、海堂ワールドのなりたちを私に逐一教えてくれました。
海堂 おお、それは師長さんに感謝しないと。諏訪で見せていただいたこと、教えていただいたことはすごくこの本の血肉になっています。完全に消化して別物になっているので、どこがどうとは具体的には言えないんですけれども。しかし病院の建物の中に実際に温室があって、花や緑が溢れているのには驚きました。『ジーン・ワルツ』に登場するマリアクリニックにも、いつも季節を先取りした花が咲いているので。もちろん取材するずっと前に考えた設定ですけれど、実際に目の前にあると「あれ、これって俺の妄想世界だっけ?」と考えたりして。パクったわけじゃないですよ(笑)。
根津 花や植物がもともととても好きだったんです。三七年前に赴任地の沖縄から戻ってきて、冬に緑や花の色がないのがものすごくさみしくなった。温室があることで自分自身がうるおっていくような感覚があります。
海堂 命を生み出す、育てることが本質的に上手でいらっしゃるんですね。実はお目にかかる前、根津先生はもう少しひねくれた、頑固な方だと思っていました。俺はやるって言ったら絶対やるんだ、というような。いや、その印象は変わらないんですが、少し力の入り方が違うというか、もっとやわらかい感じがします。
お仕事を拝見していると毎日本当に大変そうなのに、とても楽しく働いていらっしゃいますね。今、医療現場が、特に若い人たちが疲弊していますが、根津先生のような方にお目にかかると、医療って本質的には明るくて楽しくてすばらしいものなんだとわかる。その様子をつぶさに見られたのは大きな出来事でした。
根津 医療は杓子定規ではいけないと思っています。医療は何のためにあるのかというと、患者さんのためですよね。もちろん法律違反や、道義的に間違っていることは決してしてはいけませんが。医学生の頃は俺が診てやる、というような感覚もあったんですが、ある時期にがらっと転換したんです。
海堂 そのポイントはどこにあったんですか。
根津 きっかけは沖縄のインターン時代に米国人医師から受けた指導ですが、一番は開業してからですね。一所懸命患者さんの話を聞いていると、向こうもどんどん話してくれる。そうすると相手の置かれている環境がわかってくる。この人の今の訴えはバックグラウンドがあったからで、そこが解決しないとこの人の苦痛をとってあげられない、というようなこともわかってくる。現在の医療は残念ながら、時として患者さんのためにならない医療を行なっている気がします。
法の世界でも、今年の一月に、性同一性障害のご夫婦がAID(非配偶者間人工授精)でお子さんをもうけられたが、嫡出子として認められないという問題が報道されました。精子提供による妊娠はすでに六〇年以上も行なわれ嫡出子として認められている。性を転換することも法律で許されている。なのに今回生まれた子どもが嫡出子でないのはおかしいんじゃないでしょうか。代理出産のケースも昭和三七年の最高裁判例、つまり昔の法の解釈によって依頼夫婦の実子にはなれません。法律やルールは生きている私たちのため、当事者のためのものです。生まれてきた子どものためにも、時代に応じて変えていくべき。どうして彼らはあんなに頭が固いのか。もはや意地悪の域じゃないかと僕なんかは思っているんです。
海堂 僕も最近司法を体験しましたが、彼らは意地悪というよりも、人が作り上げた人工物に整合性を持たせることが重要なんです。生身が、情がないんです。
根津 リーダーになる立場の人で、大岡裁判ができる人がどうしていないのか。問題が起こったら私が責任をとる、と言えるだけの人間がいなくなっちゃった。
海堂 俺が責任を取ると言う人、責任を取れる人が上に立てないシステムなんです。そんな人たちと正面から向き合ってもしょうがない。僕は最近老練になって戦い方を変えようかと思ってます(笑)。
代理出産はポジティブなもの
根津 僕は一所懸命、妊娠や出産は普通の出来事ではない、たまたま上手くいった人はすごくラッキーだったんだと言い続けているんです。ラッキーなことが当たり前だと思われているから、少しでも上手くいかないと非常に不幸だし、または何か手違いがあったんじゃないかと捉えられがちなんです。
海堂 そういう意味では『ジーン・ワルツ』は結構啓蒙になっているかもしれません。医療をやっていればある程度常識なのですが、「普通に妊娠して普通に出産するのがこんなにすごいこととは思わなかった」という感想がとても多かった。医療の常識をより多くの人に理解してもらうことで、医療崩壊が少しでも止まるんじゃないか、というか止めるにはそれしかないと思っています。
根津 啓蒙は本当に大事ですね。そもそも生まれつき子宮がない女性が四、五千人に一人はいるなんて誰も知らなかった。また、最近ヒトパピローマウィルスによる子宮頸がんの問題がクローズアップされています。しかしもしウィルスに感染しても、十七、八歳で出産していれば、ガンが進行して子宮を摘出する前に子どもを持つことが出来るわけです。けれど現実はそうではない。つまり子宮を失う人が増え、また命にもかかわる問題なのに、学会は積極的に啓蒙せず、現場の医師もただ患者さんの子宮を取るだけで、その後のケアはしない。予防のためのワクチン接種も進まない。こんなばかげた話はないじゃないか、と僕は言っているんですけどね。
海堂 先日の取材では、実際に娘さんの子どもを妊娠している代理母の方にお話を聞くことができました。小説の中で、山咲みどりが「昔の生理は沈鬱な冬の日本海だが、今回の生理は、明るい陽射しのエーゲ海のようだ」とひとりごちる箇所がありますが、ああいう実感はやはり直接お話を訊かないとわからないものでした。その後、彼女は無事出産され、昨年娘さんと共に記者会見に臨まれた。その経緯は根津先生のご著書『母と娘の代理出産』(はる書房)に詳しく書かれていますが、その後、代理出産についての動きはいかがですか。
根津 僕は身構えていたわけですよ。代理出産をしたいという方がたくさんいらっしゃるのでは、と。今も問いあわせはありますが、混乱はありません。どうも、当事者の体験談を読んで、実際にはこんなにいろんな配慮をしていかないといけないんだということがわかった上で、覚悟を決めて臨もうと思ってくださったようです。安易なイメージが広がらなくて良かったと思っています。いま現在は二組が妊娠継続中で、この方たちが無事に出産されると、母と娘の間で行われる代理出産としては、九人目の赤ちゃんが誕生することになります。
海堂 代理出産の、世間への受け入れられ方について、衝突やとまどいは感じられましたか。
根津 会見の後、日本産科婦人科学会と一度も話をさせて頂けないまま厳重注意処分が届きました。紙切れ一枚ですよ。日本学術会議は、小委員会が解散しているのでコメントしないという。自民党の生命倫理の調査会も選挙で敗れてからは解散。民主党はそれどころではない。事態はまったく進展していません。けれどメディアや一般の方の反応を見ていると、代理出産の印象がポジティブに変わった感じがします。当院にも数多くの応援メッセージが届きました。実際に患者さんを目の当たりにして、この人たちのこの覚悟を安易にネタにしてはいけないと考えられたのではないでしょうか。
海堂ワールドに迷い込む
海堂 物語世界は学術の世界と同じで、ものすごい悪意や誤解をも内包するものですが、著者の意図でもないのに誤解を招くのは困ります。無神経は悪意につながりますから。僕も専門のAi(死後画像診断)だと相当細かくなるんですが。
Aiについては、最近いろんなところから言説の制限を受けるようになりまして(笑)。おまえは影響力が大きいから発言に気をつけろと言われますが、影響力が大きいということはこれまでの結果が出ているということ。つまり私の主張が共感されている、受け入れられているということじゃないかと思います。
根津 Aiという問題提起は素晴らしいですね。CTやMRIを亡くなった方に使うという発想は僕にはまったくなかったから、すごいなと素直に思いました。観点をぱっと変えただけで、新しい領域ができてくる。ただ、そんなことされたら困るのが、既得権を持っていた人たち。患者さんやそのご家族のためにいいことだったら率先してやるべきなのに。
それにしても海堂先生がもっとすごいのは、自分で夢の世界を一つ作ってしまわれたこと。私も小さいときは、友達と遊ぶよりも裏山でひとり遊んでいるほうが好きな少年でした。そのころ書いた文章を読むとまるで空想の世界でさまよっているようなのですが、たぶん海堂先生はそのころと同じまんまで大人になられたんじゃないでしょうか。そして読者がみんな海堂ワールドに迷い込んで、一緒に遊んでらっしゃるんじゃないかな、と。
海堂 自分の妄想でみんなが遊んでくれることほど楽しいことはありません。しかし要するに、私はガキだってことですね(笑)。
根津 いやいや(笑)。優れた科学者には子どものころの世界をそのまま持って来てる人が多いようですよ。予断のない目でものを見るし、発想や捉え方が既成概念の上に立脚していないので、とんでもないことを思いつく。それが発展につながるんでしょう。個人的には文芸のほうで空想を走らせるだけでなく、臨床でも新しいアイディアをもっともっと生かしていただきたいと期待しています。
(ねつ・やひろ 医師/かいどう・たける 医師・作家)