ホーム > 書籍詳細:火と水と木の詩―私はなぜ建築家になったか―

火と水と木の詩―私はなぜ建築家になったか―

吉村順三/著

2,420円(税込)

発売日:2008/11/25

  • 書籍

建築家は、自然と伝統から学ばねばならない――。幻の講演録、ついに刊行!

数多くの優れた住宅を手がけ、日本の風土と文化に根ざした建築にこだわり続けた吉村順三。日本を代表する建築家が、子ども時代や修行時代のこと、建築家の役割、設計の具体的なテーマなど、自身と自らの建築哲学を語り尽した、1978年の貴重な記録。住宅の名作として知られる自邸「南台の家」の撮り下ろし写真も収録。

目次

1 私はなぜ建築家になったか
陣地あそび/家に対する関心の芽生え/帝国ホテルとの出会い/建築を学ぶ決心/岡田信一郎先生との出会い/美術学校時代/学生時代の海外旅行/日本伝統建築の再発見/アントニン・レーモンドとの出会い
2 修行時代
建築設計の第一歩/図面の大切さ/本物の建築とは?(コロニアル建築)/アメリカでの設計活動/プランと高さ関係の発見/日本建築の天井高
3 日本での設計活動
グリッドは運命的である/日本建築が近代建築に影響を与えた/土地に生まれた建築こそ本物/建築は本能的に人間をひきつける/設計の基本は住宅から
4 建築家の役割
建築の仕事は欲得なし/建築家への信頼は教育にあり/建築創作の喜びと責任/設計は自分の責任で自分の為に/自然と交流する形/商業主義と建築/建築は人間の精神安定剤/建築家は自然から学ぶ/デザインとは温故知新/血でつながっている伝統建築との絆/自然と伝統の中に息づく建築
5 一問一答
愛知県立芸術大学の設計にあたって/奈良国立博物館の設計にあたって/ポカンティコヒルの家(ロックフェラー邸)/建築と風土との係わり合い/住宅の設計について一言/形態思考について/自然との係わり合い/環境とデザイン/建築の使われ方
6 夕食会にて
若い建築家の独立/アメリカの建築界/吉村設計事務所のシステム/設計者と施主/設計事務所の分業について/設計手法/愛知県立芸術大学について/遠藤邸(岐阜市)/ファイヤー・プレイスの設計/建売住宅と建築家の役割/建築行政について/日本人の建築意識/現代建築について/建築と環境/建築をめざす人々に
南台の家

書誌情報

読み仮名 ヒトミズトキノウタワタシハナゼケンチクカニナッタカ
発行形態 書籍
判型 B5判変型
頁数 128ページ
ISBN 978-4-10-313071-0
C-CODE 0052
ジャンル 画家・写真家・建築家
定価 2,420円

書評

波 2008年12月号より 住むということの本質的な普通さ

藤森照信

吉村順三といっても、建築界以外の人はほとんど知らないだろう。戦後の日本を代表する建築家だが、丹下健三や前川國男のように時代の記念碑や人目につく建物は手がけなかったから、世間的知名度が低いのはしかたない。
でも、誰でも日本の昭和天皇とアメリカのロックフェラーは知っている。この二人の本邸を、一つは東京の中心の森の中に、一つはニューヨークの郊外の森の中に、建てたのが吉村にほかならない。一つは正月の一般参賀に出かければ目にすることは出来るが、もう一つは出かけても無理。
昭和天皇とロックフェラーの両邸宅が一人の建築家の手になるにいたった理由はここには述べないが、生前、吉村先生にインタビューした時、なぜ真珠湾攻撃直後などという仕事の乏しい時期に設計事務所を開いたのですかと聞くと、
「国が戦争を開くなら、私は事務所を開く」
とヘンな論理で答えられた。
建築家には珍しく硬骨の人だった。昭和新宮殿の建築家でありながらさほど世間にその名が流布していないのは、骨の硬度と無縁ではない。建設の途中で、宮内庁の役人がデザインについて口を出し、打ち放しコンクリートの柱を銅板で隠せといったとか聞いているが、それで降りてしまった。しかし、その間の事情については、いつものように無言のまま十一年前に亡くなられた。
建築史家にはまことに困った人で、自分から何かしゃべることはないし、聞いても一言ポツリで後がつづかない。私が、新宮殿の屋根の“納り”について、なぜそうしたか理由を聞くと、「気持ちがいいでしょ」の一言でおしまい。
口数が少なくて骨が硬いという建築界では稀な性格もあって、カリスマ的存在だった。特に、住宅を手がけようという建築家には絶対的な存在だった。住宅を手がけるからには吉村さんのように作ってみたい、そう思われていた。
その深い味わいは、誰でも分かるものではない。トレーニングを積み、あれこれ迷ったことのある建築家にしか分からない。と、私は長らく思っていたのだが、没後、教授をつとめていた東京藝大の美術館で展覧会が開かれた時、出かけて目を疑った。
プロにしかその味の分からないはずの吉村展に、観客が押しかけているではないか。中には、ひと目でシロートと分かる若者やオジさんオバさんがけっこうな数混じっている。主催者もあまりの広い反響に驚いていた。
住むという営みへのふつうの人々の関心が、このところ深化している事情がある。衣食足りて、礼節はとばし、住宅を知る時代に、ついに日本もなってきたのだろう。ヨーロッパはかねてそうだった。
住むということの本質的な普通さ、このことに気づくと、吉村順三はにわかに輝きはじめる。普通であることを正しく実現した建築表現を説明しようと思っても、なかなか言葉は見つからない。「気持ちがいいでしょ」と言うくらいしかない。
このたび、吉村順三の本が出た。これまでも建築界向けの、図面と写真だけの無口な作品集は何度も出ているが、こんどのはなんと言葉も入っている。読んでみたら六十八ページ分も入っている。
建築を目ざした頃の話しにはじまり、レーモンド事務所での修行時代のこと。具体的なことでは、建築における平面と高さの関係、基本寸法の決め方、などなど吉村建築の秘密も、さらに自然や風土と建築の関係も語られている。
スケッチ、図面、写真ももちろん入るが、写真は、生涯手を入れつづけたことで知られる名作〈南台の家〉が克明に写しとられて紹介されている。
新宮殿については写真のみで一言もないが、ロックフェラー邸については、写真に加え先生自ら語っている。
世界中の住宅を見て歩き、作った経験から“人間にとって広からず狭からず三間四方(九坪)が最適”、の吉村説に、得たりと膝を打つ建築家は多いと思う。

(ふじもり・てるのぶ 東京大学生産技術研究所教授)

著者プロフィール

吉村順三

ヨシムラ・ジュンゾウ

(1908-1997)1908年(明治41年)9月7日、東京市本所区緑町の呉服店に生まれる。1926年東京府立第三中学校(現都立両国高校)卒業後、東京美術学校(現東京藝術大学)建築科へ。在学中からレーモンド建築設計事務所で働き始める。1941年吉村設計事務所開設。1956年国際文化会館の共同設計で日本建築学会賞受賞。1962年東京藝術大学建築科教授に就任。1975年奈良国立博物館で日本藝術院賞受賞。1989年八ヶ岳高原音楽堂で毎日芸術賞受賞。1994年文化功労者。1997年4月11日逝去。

この本へのご意見・ご感想をお待ちしております。

感想を送る

新刊お知らせメール

吉村順三
登録
画家・写真家・建築家
登録

書籍の分類