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八十三歳、歌会始選者・宮内庁御用掛の大胆なる「私小説」への挑戦。

わが告白

岡井隆/著

2,052円(税込)

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発売日:2011/12/21

読み仮名 ワガコクハク
発行形態 書籍、電子書籍
判型 四六判
頁数 255ページ
ISBN 978-4-10-331711-1
C-CODE 0095
ジャンル エッセー・随筆
定価 2,052円
電子書籍 価格 1,642円
電子書籍 配信開始日 2012/06/08

男女の愛とは何だろうか――。二度の離婚。そして五年間の恋の逃避行。日本を代表する大歌人には、語られざる過去があった。文学者として世俗的な栄誉をすべて受けた今、封印してきた記憶が蘇る。そして、嫉妬と悪意の嵐。裁判沙汰になったストーカー騒動にも巻き込まれ、決して平穏な日々は訪れない。最初で最後の小説。

著者プロフィール

岡井隆 オカイ・タカシ

1928年1月5日愛知県名古屋市生まれ。歌人・文芸評論家。未来短歌会発行人。日本藝術院会員。現、宮内庁御用掛。慶應義塾大学医学部卒。医学博士。内科医師として国立豊橋病院内科医長などを歴任。1946年「アララギ」に参加。1951年、近藤芳美を中心に「未来」創刊。『禁忌と好色』で迢空賞、『親和力』で斎藤茂吉短歌文学賞、『岡井隆コレクション』で現代短歌大賞、『ウランと白鳥』で詩歌文学館賞、『注解する者』で高見順賞受賞。

書評

波 2012年1月号より チーズと悪夢

穂村弘

『わが告白』とは強い印象のタイトルで、いったい著者はどんな人でどんな罪を犯したんだろう、と考えてしまう。読み進むと、その年齢が八十代であることがわかる。彼は宮内庁御用掛、歌会始選者、日本芸術院会員、つまり歌人としての最高の地位を極めた人間である。その一方、元医師であり、元大学教授であり、過去に焼夷弾による負傷、キリスト教の受洗、革命運動への参加などの経験があるようだ。人生のなかで思想的に左から右へシフトしたことがみてとれる。
また、現在の妻との間の年齢差が三十二歳ある。六十一歳のときに二十九歳の彼女と知り合って恋に落ちたらしい。そのとき、彼には妻と三人の子供があった。その前にも別の妻と子供がいた。さらに前にもまた別の妻と子供がいた。つまり、三度にわたって妻子を捨てた経験を持っているわけだ。彼はこれを一種の罪と考えている。「わが告白」とは、つまり、その体験に関わるタイトルであるらしい。
それにしても、と思う。なんという「濃い」人生なのだろう。戦後生まれで人生に対する活力に乏しい私には想像もできない。そんな彼は次のように書く。

ユンゲ・フラウ(引用者註:「若き妻」の意)は、いつもバナナ(朝食)を半分に切り皿にのせ「どちらがいい?」と訊く。焼魚や煮魚の一切れずつを二枚の皿にのせた時も、「どちらがいい?」と選択を迫る。ほとんどかわりないのだが、「こちらでいい」と答えると「で、といわないで」「こちらが、といって」という。私はトラブルを避けて「こちらがいい」と言い直す。こうしたたあいのないやりとりでも、現在を書くことの方が私には嬉しいのである。過去は嫌いだ。

八十代の巨匠の文章とは思えない。ここには読者を脅かすような重々しさは全くない。あるのは軽やかな魅力。だが、若者の日常のようにさえ見えつつ、よく読むと、行間に独特の空気の濃さというか、チーズのように複雑な匂いが漂っているのが感じられる。この他愛ない幸福の背後に、置き去りにした五人の子供と三人の元妻の存在があることを意識しなくても、鋭敏な読者は何かを感じ取るだろう。「どちらがいい?」「こちらでいい」「で、といわないで」「こちらが、といって」「こちらがいい」という日常のやり取りが、奇妙な深みを帯びて響いてくるのだ。
「過去は嫌いだ」と云いつつ、彼の文章のチーズめいた味わいが、そのような過去の混沌とした厚みに根ざしていることは否めない。加えて、韻文作者としての練り上げられた言語感覚がその発酵に拍車をかける。結果、全体がおそろしく複雑な旨味に充ちた読み物になっている。にも拘わらず、本書のなかで、その筆がどうしても届かない領域がある。それが「告白」だ。
本書の面白さは、肝心の「告白」がなかなか為されないところにある。宮内庁御用掛の視点からの皇居の内部描写、原発推進賛成の弁、性的告白、被ストーキング体験、とあらゆるタブー的事項を自在に描いていながら、「告白」になると、突然、その筆が金縛りにあってしまうらしい。確かに重い出来事には違いない。だが、書き手の性質によってはもっとあっさりと、或いは面白可笑しく、描くこともできるだろう。
天皇や皇后に短歌を講ずる芸術院会員の巨匠が、その言語感覚の全てを投入して挑んでは跳ね返される様子に異様な生々しさを感じる。ついには「昨年末以来、悪夢が続いて、目がさめた時には、夢の中にあらわれた魔ものたちのものすごい力によって、さんざんに痛めつけられて」と記すに至る。この惨敗振りに胸を打たれる。愛と結婚を巡る彼の行為は法律上の犯罪ではない。その罪の深さは誰にも測れない。では、罪の意識の深さはどうか。八十代の人間が毎夜のように悪夢を見続けて魘される。ここから彼自身の罪の意識の深さを窺うことができる。それは愛に対する真剣さの裏返しではないか。

泣き喚ぶ手紙を読みてのぼり来し屋上は闇さなきだに闇
岡井 隆

(ほむら・ひろし 歌人)

目次

第一部 日記は、事実よりもつよい
二〇〇九年八月九日――八月二十二日

自筆年譜の余白に
世俗の栄誉にともなうもの
「わが告白」の目論見
内なる趣味 VS. 外なる仕事
三鷹、M荘スケッチ
わたしという存在は、やはり……
「羨望される者」と「羨望する者」
第二部 愛の純粋と生活
二〇〇九年十月九日――二〇一〇年二月五日

自分には、あれ以外の生き方はなかったのだ
皇后陛下御誕辰祝賀の会について
大衆(マス)について(メモ)
あの暗冥
もうひとり佇んでいる者
最大の危険
純粋馬鹿
過去は詩に書けるだろうか
撤退しない癖
夢と同じもの
夢の中の話
失踪についてのメモ
よくもあんなに独断専行する男に
自伝というものの書きにくさ
第三部 〈虚栄の市〉のなかの生
二〇一〇年三月十三日――八月十二日

イッセイ・ミヤケの上衣
断想集
医と文とをめぐる回想的メモランダム
P(わたしの中のもう一人のペルソナ)との対話(七月六日)
福田節子追悼号
「文学」によって占領されていた
性的表現について
短歌結社とはなんだろう
処罰としての愛
「生きた、書いた、愛した」
中間的な考察
第四部 運命を抱きしめて
二〇一〇年十二月二十三日――二〇一一年七月十日

何かが自分の中で変った
わが震災記
わたしたちは忘れやすい人間
原子力という贖罪の山羊
余白のためのメモ

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