プレゼントでできている
1,210円(税込)
発売日:2024/03/27
- 書籍
- 電子書籍あり
なにかをもらうことは、きっと、何かをあげること――。 深くてほっこり、3年ぶり待望のエッセイ漫画!
僕はよく、ものをもらう。モンゴルの絨毯、鹿の角、大家さんの柚子、あの人の言葉……。もらったものは買ったものより捨てにくいし、何かをもらうと何かをお返ししたくなる。なぜだろう? もう会えない誰かや目に見えない何かとも、“プレゼント”でつながれる――。『ぼくのお父さん』『マンガ ぼけ日和』の矢部太郎が贈る、新作コミック。
モンゴルの絨毯(2)
モンゴルの絨毯(3)
鹿の角
香川の鳥
魚と牡蠣と柿と柚子
スターの炊飯器
板尾さんの手鏡(1)
板尾さんの手鏡(2)
呪いのお面
あげるともらう
狼のくるぶし
祈り(1)
祈り(2)
母の恩返し(1)
母の恩返し(2)
捨てる
捨てない
つながる
許し
書誌情報
読み仮名 | プレゼントデデキテイル |
---|---|
装幀 | 矢部太郎/装画、山田知子+chichols/装幀 |
雑誌から生まれた本 | 週刊新潮から生まれた本 |
発行形態 | 書籍、電子書籍 |
判型 | A5判 |
頁数 | 128ページ |
ISBN | 978-4-10-351215-8 |
C-CODE | 0079 |
ジャンル | コミック |
定価 | 1,210円 |
電子書籍 価格 | 1,210円 |
電子書籍 配信開始日 | 2024/03/27 |
書評
モノより尊い“プレゼント”
私はモノに執着がない。ミニマリストというには整理や掃除が苦手な方なので部屋は散らかってはいるが、どうも生活必需品に限らずモノに対する思い入れが薄い。
冷蔵庫も洗濯機も動けばいいし、TVは野球とアニメしか観ないので最悪スマホでもいい。スマホも型が古いが動くので問題ない。腕時計はしていることすら忘れるので着けない。
大切な人からのプレゼントや、働いて稼いだお金で買った自分へのプレゼントさえも、その存在を忘れてしまうことがある。プレゼントしてくれた人の気持ちや、その時の自分自身の気持ちさえ忘れてしまう。とても悲しいことだ。いなくなった時にそのことに気付くことはあれど、この『プレゼントでできている』作中において、贈り主はごく自然にいなくなってしまう。
作品は、シンプルで淡々としたエピソードが、軽めのサラッとした画風で描かれるが、台詞のひとつひとつに重みというかコクがあり、読んでいて飽きることがなくその世界に引き込まれる。作者の人柄が過剰に入り込まないのも、矢部作品の素晴らしいところだ。
矢部氏の観点は、現代日本に(おそらく戦後より)根付いている私たちの「モノへの執着」について深く考えさせられるものだ。私たちはついつい「モノへの執着」のことを、国際社会=グローバリズムが主軸にある消費文化、という風に解釈をしてしまうことがある。
だが、独自の消費文化を持つ発展途上国やその辺縁の文化について、宗教的なもの、風土における自然と対峙する方法を差し置いて理解することはとても難しい。共同生活や実地での体験に基づいて時間をかけて理解していかないことには、決して交わることのない価値観が多過ぎて面倒くさいのだ。
私たちは、とても便利なモノや制度に囲まれて生活をしている。単純な考え方として、スマホが便利だと多くの人々は思うけれど、自宅マンションや新幹線、健康保険制度などが本当に便利なモノだと改めて思うのは、それらの概念が無い地域の生活に触れたときだ。
異なる文化に対する違和感は、もしその対岸からこちらを窺ったとしてもそのように映るものだろう。作中で描かれるのはモンゴルの家族と矢部氏の不思議な共同生活。モンゴロイドの血を受け継いでいるであろう私たちでさえ、彼らの風習や文化の成り立ちを理解することはとても難しいことなのだろうと想像する。
「国際的な交流」とはお互いの生活から学ぶものだと仮説を立ててみる。それは、旅行者気分の観光ガイド的な世界観とは一線を画すものであり、リアルな体験とフラットな視点がとても大切だということが矢部氏の作品からはよく分かる。
SDGsが声高に叫ばれる国際社会において、モノと経済が生活にどう結びついているかについて議論しているのは、モノで経済を回している側の社会である。
プラスチックのストローを紙にする前に、少しだけ飲み物を我慢すれば良い。すぐに壊れないモノを長く大切に扱う社会こそが持続可能な社会の実現ならば、壊れないモノを作る企業こそがサステナブルであるはずだ。
事実、化石燃料に頼る生活を変えることが困難だから、リサイクルをするとか代替エネルギーを探すとか言われているけれど、そもそも消費文化のなかにいたままで、SDGsと言い換えながら富と権力の延命に与しているに過ぎないだろう。
何年使っても味が出て使い続けられるような「モノ」を作り続ける企業は、この世の中だと倒産してしまうのだ。「モノ」に対する人々の想いは、SDGsの概念によって潰えてしまった、とも言い換えられるかもしれない。
作中、モンゴルの家族たちは、エアコンの冷房をガンガンにきかせる。これが最初は不思議なこととして描かれているが、妙に温かい視点でその話は回収される。主人公である作者の矢部氏は、心のなかで腑に落ちた何かを、自分自身の気付きとして認めたのだ。
サステナブルな暮らしなど、実のところ存在しない。理想論として素晴らしいことのように謳われているとしても、人間の欲望とは人間それぞれの「想いの強さ」であり、それを圧し折る権利などいったい誰が持っているのだろうか。
せめて誰かに何かを強要されているような生活はやめて、自由になりたい、そう思う人々が増えているとしても、長年その土地に培われた知恵や文化に、付け焼き刃の制度やそこから生まれたモノでは勝つことは出来ない。
もし私たちに、現代資本主義/消費文化の夢から醒め、新しい価値観を切り拓いて行かねばならない時代が来るとすれば、長く平たく続いている文化とそれを育んだ土壌から、生き方を学んでゆけば良いのだろう。そんなことをふと思わせるような、深みのあるエピソードをシンプルなストーリーから読み取ることもできる作品だ。作中の主人公は、とても素敵なプレゼントを受け取ったようだ。
(きしだ・しげる 音楽家)
波 2024年4月号より
単行本刊行時掲載
インタビュー/対談/エッセイ
お金では買えないプレゼントって?
3年ぶりのコミックエッセイを刊行した芸人で漫画家の矢部太郎さん。描く際に参考にした『世界は贈与でできている』の著者で哲学研究者の近内悠太さんとの初対話は、「大家さん」から『ONE PIECE』まで大いに盛り上がりました。
矢部 いきなりで恐縮なのですが、実は僕、近内さんから贈与の「バトン」を受け取ったと思っていまして……。
近内 なんでしょう、興味深いです。ぜひ聞かせて下さい。
矢部 少し遡って説明させて頂くと、僕、2年前に引っ越して物を整理したとき、自分で買ったものは簡単に捨てられるのに人からもらったものほど捨てることができなかったんです。それがなぜだか自分でもよくわからなくて、考えているうちに、それぞれの思い出を漫画にしたら捨てられるかもしれない、と思うに至りました。
近内 なるほど。
矢部 漫画に描いて、消えないものを消えものにするような、一つ一つ成仏させていく感覚というか……。それがこの作品を描いたきっかけです。
近内 まさに成仏、供養ですね。
矢部 その過程で「プレゼント」ってそもそも何だろう? という疑問が湧いてきて、それで近内さんの御本『世界は贈与でできている 資本主義の「すきま」を埋める倫理学』を拝読したところ、専門書からの引用もありながら、映画や歌詞など身近な例で「贈与」が説明されていくのが非常に分かりやすくて、すごく面白かったんです。
近内 幅広い読者に手に取ってもらえるように書いたつもりなので、非常に嬉しい感想です。
矢部 そして……正直なところ相当に影響を受けました。
近内 あはははは。なお嬉しいです、ありがとうございます。
矢部 「贈与」について考え、読者に伝えるという、そんな「バトン」を近内さんから受け取ったつもりで描いたのが、この『プレゼントでできている』なんです。勝手にバトン受け取っちゃってすみません……。
近内 いやいや、私もこれまで読んだ本や観た映画など様々なものから影響を受けて書いていますから、この本での議論はもちろん私だけのものではありません。それに私も矢部さんの漫画から教えてもらったことがあって。作中に先輩芸人である板尾創路さんとのエピソードが出てきますね。
矢部 はい。若いころからずっと、とてもお世話になっている先輩です。
近内 板尾さんとモンゴルへ旅行をした際に矢部さんは、「盗ませてくれるというプレゼント」に気がつかれる。この「盗む」というキーワードは「贈与」との関係で考えたことがなかったので、新鮮でした。
矢部 「芸を盗む」というように、特に僕のいる芸能の世界でよく使う言葉があって。
近内 「見て学ぶ」とかね。でも、どんなに忠実に「真似て盗んで」も、当然ながらまったく同じにコピーすることはできません。
矢部 おっしゃる通りで、僕は板尾さんの余白の多さというか、見ている方が自然ともっと知りたくなる計り知れなさに憧れていて、板尾さんみたいなことをやろうとしているところもあるのですが、そうは感じていない方のほうがきっと多いですよね……(笑)。
近内 そもそも板尾さんは漫画を描かれていないのに矢部さんは描いた、という点だけでも、すでに矢部さんのオリジナリティですが、そう言われてみると、矢部さんの漫画を引きで見たとき、セリフに独特のリズムや間があって、それは「板尾さんみたい」なのかもしれないです。
矢部 わ、嬉しい! これからもたくさん「盗む」ことにします(笑)。
「印税いくら?」と聞く人
近内 この対談のご依頼を頂く前から、矢部さんのヒット作『大家さんと僕』は贈与の物語だと考えていました。新刊には大家さんも出てきましたね。
矢部 前の作品も読んで下さっていたんですね。ありがとうございます!
近内 今回改めて読み返してみても、大家さんは本当に贈与が上手い。私が思うに、贈与には、可愛げ・ユーモア・爽やかさが必要なんです。
矢部 可愛げユーモア爽やかさ……。
近内 ええ。漫画を読む限り、大家さんにはその3拍子がそろっています。なぜなら、執着がないから。「絶対に矢部さんにあげたいの」ではなくて、いつも「ちょっと余っているから、いかが」くらいの温度感です。
矢部 そうそう。僕をすごく気遣って下さるのに、その気持ちがごく自然で負担には感じませんでした。
近内 矢部さんと仲良く交流しつつ、「絶対にずっと居てもらいたい」ではなく、「居てもらいたいけど、ねぇ。引っ越しちゃうとしたら、しょうがないことよね」といった感じがあって。作中、戦争についての描写がありますが、戦時中や戦後に大切な人や大切なものが簡単になくなる、そんな体験を通じて、ある種の諦念が大家さんの根底にあったのではないかと思います。その上で、自分が大切にしているものを大切にしながら生きて来られた方なんじゃないかなと。
矢部 確かにそうかもしれません。他人の価値観や評価を気にする方ではありませんでした。
近内 そんな「生き方」や「考え方」を大家さんからプレゼントされて変化していく矢部さんが描かれていましたから、きっと以前から矢部さんは無意識下で「贈与」について考えていらっしゃったんだと思いますよ。
矢部 そう言われると……近内さんも書かれていたように、僕は「お金で買えないもの」にもともと興味があるんだと思います。例えば、絵本作家の父の部屋の大荷物を片付けたとき、周りから見れば「いらないもの」に見えるけれど、その一つ一つに父にしかわからない価値があって、だから捨てられない。僕も同じようなところがあって、価格や他人の価値観ではなく、自分にとって大切かどうかが大事で……。この漫画を描くのは、そういうものを見つめていく作業でした。
近内 なるほど。
矢部 そういえば『大家さんと僕』がたくさんの方に読んでいただけたとき、「良い漫画ですね」と言ってくれる人もいましたが、「印税いくら入ったの?」と本当に頻繁に聞かれて……。
近内 あはは。開口一番、どっちの質問をするかでその人の人間性が分かりますね。
矢部 そうなんです! 世の中には、様々な物事を金額でしか評価しない人がこんなにもたくさんいることに驚きました。そんな体験も踏まえて、お金では買えないものについて描きたかったのかもしれません。
近内 数値を根拠に判断すれば、失敗したときに非難されたり、馬鹿にされたりすることから逃れられるんですよね。例えばワインひとつとっても、美味しいかどうかより、高いかどうかでその価値を判断する方が楽なんですよ。
矢部 あぁ~、まさに……。
近内 千円のワインでも美味しいからいいんだよ、って素直に言えるかどうか――他人の目を気にしてビクビクしている人からすると、相当難しいことだと思います。「芸能人なら、もっとこういう服を着たり、こういう時計をつけないと」って言われませんか?
矢部 言われます~……。僕、少し前まで筆入れを財布にしていたのですが、「大人なら、もっとちゃんとしたものを持ちなよ」と本当によく言われました。軽くてお札も収まるし使い勝手がすごく良かったのに……。
近内 長財布代わりだったんですね(笑)。
矢部作品のフェアネス
近内 今のお話からも分かりますが、矢部さんは、華やかな芸能の世界に長くいらっしゃるにもかかわらず「自分の中の大切なもの」が揺るがない人なんだな、と。でも、だから『大家さんと僕』がよく売れたのですね。
矢部 え、どういうことですか?
近内 『大家さんと僕』しかり今回の新刊しかり、矢部さんの漫画は、何か懐かしい感覚を呼び覚ましてくれます。
矢部 懐かしい感覚、ですか?
近内 そう。矢部さんが遭遇した出来事や経験に似たものが、自分の中にもあった気がする感覚、とも言えます。大家さんの「自分が大切だと思うものを大切に生きる」と繋がる話ですが、例えば風邪をひいたとき親が寝ないで看病してくれた思い出があるとします。小さい頃は当たり前だと思ったけれど、親と同じ年になってみるとその大変さがわかるし、何より、「自分の大切なものを大切にしてくれる誰かがいた」というあたたかい記憶が、矢部さんの作品に触れると蘇る。それは矢部さんが、大家さん、先輩、ご両親、ご友人、好きな漫画や本や映画など、これまでの人生で受け取った様々なものを「受け取った」と意識し、漫画に描いているからです。贈与って、あげた人はあげたことに気がついていなかったり覚えていなかったりすることが多いので。
矢部 でも、もらった方がもらったと思えば、もらったことになっちゃう。
近内 そうです。僕はそれを「想像力」と呼んでいるのですが。
矢部 確かに! その生き方や考え方など、大家さんからすれば、僕に「あげた」とは思っていないものを、僕は勝手にもらったと思っている。
近内 それに矢部さんはこうして漫画を描くことで、大家さんからの「プレゼント」をまた別の誰かに託そうとしている。まるで漫画『ONE PIECE』のルフィがシャンクスから受け取った麦わら帽子を手に、自分があの時受け取ったものが何かを探す旅をしながら、その途上で出会う人々に今度はルフィ自身が様々なプレゼントをしていく……そんな印象を抱きました。
矢部 僕がルフィで、大家さんがシャンクス(笑)。でも、生きるってこと自体がきっとそうなんですよね。大家さんが亡くなったとき、もう何もお返しができなくなってしまった……とどこか罪悪感のような気持ちを抱いたのですが、僕が受け取ったものを、また別の誰かにプレゼントしていけば良いわけで……。今作を描くことでそれに気がつけました。
近内 矢部さんのように生きてきた中での様々な「プレゼント」に気がつくと、自分も誰かに何かを渡せるかもしれない、何かを渡したいと思うことができる。自分の役割や居場所を感じられると、きっと、生きている心地がするはずなんです。
矢部 生きている心地……。
近内 そうです。託された、託してもらったという感覚が、大袈裟ではなく生きるエネルギーに変わると僕は考えています。この「生きている実感」を抱けない人が今結構多いので、この『プレゼントでできている』も多くの読者の心を動かすと思いますよ。それと、先ほど「罪悪感」という言葉がありましたが、贈与には多少なりとも負の部分もあるということも、僕が自著の中で伝えたかったことの一つです。最初に話に出た「供養」というのもまさにそれに関する話で、「プレゼント」を受け取ることよりも、手放すことの方が難しいから、この漫画はそのヒントにもなるんじゃないかな。
矢部 僕も漫画を描き終えて、もらった「プレゼント」たちを僕なりに供養できた気がしています。
近内 それに矢部さんは、「プレゼントが素晴らしい」とは決して描いていない。それは実に誠実で、実にフェアだと感じました。プレゼントをたくさん受け取りすぎて苦しい人にも、逆に、受け取れていないと感じて不安な人にも、「そういう思いを持っていて当然なんだ」と爽やかに肯定してくれる矢部さんの優しい眼差しが、この漫画にはある。しかも、最後には「許す、許される」というテーマについても言及していましたよね。「許す」って一番の贈与で、ある意味、難しいけれど誰にでもできる贈与なんです。シンプルなタッチで読みやすいのに、読めば読むほど深い……すごい漫画ですね!
矢部 僕自身がたくさん許されてきたから描けたことなので……(笑)。今ふと気がつきましたが、そういえば、カバーの僕の顔――プレゼントの紐を解こうとしているその表情は、別に喜んでいないですね……。
近内 確かに「どうしようかな」と少し躊躇っている。嬉しいけど、ちょっと困るという感情が出ていますね。まさにこの作品にしっくりくる絵です。
矢部 良かったです~! カバーはかなり迷ったので近内さんのお墨付きを頂けて、不安が吹き飛びました。これもある種の「プレゼント」ですね!
近内 あげた方にそのつもりはなかったですが(笑)。
(やべ・たろう)
(ちかうち・ゆうた)
波 2024年4月号より
単行本刊行時掲載
著者プロフィール
矢部太郎
ヤベ・タロウ
1977年生まれ。お笑い芸人・漫画家。1997年に「カラテカ」を結成。芸人としてだけでなく、舞台やドラマ、映画で俳優としても活躍している。初めて描いた漫画『大家さんと僕』で第22回手塚治虫文化賞短編賞を受賞。他の著書に『大家さんと僕 これから』『「大家さんと僕」と僕』(共著)『ぼくのお父さん』『楽屋のトナくん』『マンガ ぼけ日和』がある。