ホーム > 書籍詳細:百年泥

大阪生まれインド発、けったいな荒唐無稽。
魔術的でリアルな新しいものがたり。

  • 受賞第49回 新潮新人賞
  • 受賞第158回 芥川龍之介賞

百年泥

石井遊佳/著

1,296円(税込)

本の仕様

発売日:2018/01/24

読み仮名 ヒャクネンドロ
装幀 (C)Digital Vison Vectors/装画、Getty Images/装画、新潮社装幀室/装幀
雑誌から生まれた本 新潮から生まれた本
発行形態 書籍、電子書籍
頁数 127ページ
ISBN 978-4-10-351531-9
C-CODE 0093
ジャンル 文学・評論
定価 1,296円
電子書籍 価格 1,296円
電子書籍 配信開始日 2018/01/24

私はチェンナイ生活三か月半にして、百年に一度の洪水に遭遇した。橋の下に逆巻く川の流れの泥から百年の記憶が蘇る! かつて綴られなかった手紙、眺められなかった風景、聴かれなかった歌。話されなかったことば、濡れなかった雨、ふれられなかった唇が、百年泥だ。流れゆくのは――あったかもしれない人生、群れみだれる人びと……。

著者プロフィール

石井遊佳 イシイ・ユウカ

1963年11月大阪府枚方市生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程満期退学。日本語教師。2017年『百年泥』で新潮新人賞、第158回芥川龍之介賞を受賞。インド、タミル・ナードゥ州チェンナイ市在住。

書評

静かに奏でられる「母を恋うる歌」

豊崎由美

 第158回芥川賞受賞作、石井遊佳『百年泥』の舞台はインドのチェンナイ。金にだらしない彼氏のせいで多重債務者になり、その返済のため、かの地の優良IT企業で社員に日本語を教える仕事に就いた〈私〉が語り手の一人称小説だ。着任3か月半にして100年に1度の大洪水によってアダイヤール川が氾濫。住んでいるアパートと川をはさんで対岸にある会社に行くために、水が引いた後の橋を渡る――その数十分間が、この小説に流れる現在進行形の時間になっている。
 スクーターに乗る際、大気汚染から呼吸器官を守るため、スカーフで頭部をぐるぐる巻きにした上にサングラスをかけるので、見た目が月光仮面と化す女性たち。ラッシュ時の交通機関の混乱を避けるため、翼を着用して空を飛ぶエグゼクティブら。百年泥の一種独特な悪臭に導かれてか、それまで理解できなかったタミル語を聞き取れるようになる〈私〉。大阪市と友好都市提携を結んだために、ガネーシャ像と交換した大量の招き猫があちこちに鎮座することになったチェンナイ市。
 そうした虚実混淆のエピソードばかりか、洪水が引いた後の泥の中からは、7年間も行方不明だった5歳児が現れて母親に叱られたり、まだ若い青年がすでに老人になっている親友らに引っぱり出されたりするものだから、この小説はインド版マジックリアリズムという評価を受けているのだが、美点はそこだけに終わらない。
〈私〉は人混みの中、日本語クラスで一番優秀かつもっとも扱いにくい生徒であるデーヴァラージと遭遇する。交通違反をしたため、橋の上の清掃という労役を科されたデーヴァラージによって掻き出されるゴミの中から、〈私〉もまた、自分の過去にまつわる物を見つけることになる。元夫との別れのいきさつを象徴する〈サントリー山崎12年〉。極端に無口だった母を思い出すきっかけとなる〈小さな、古ぼけたガラスケースのようなもの〉。そこに共通するのは、泥や土や砂を踏みしめてつける足あとだ。
 洪水3日目、水が引くや否や、〈私〉はアパートの階段をいっさんに駆け下りて、地面を踏む感触を味わう。結婚して半年もたたないのに浮気をした元夫の行状を知る直前、〈私〉はいい年をした大人なのに、〈ちょうど雨上がりの美しい午前中、駅前の西友と隣のパチンコ屋との間にしっとりととても具合のいい土があるのを通りがかりに目にし、しんぼうたまらずそこに入りこみ足あとをつけて遊んでいる〉。中学3年生の時の遠足で、自分の母親同様口をきかない級友と浜辺で足あとをつければ〈こころがあかるむのを感じた〉。
 なぜか。それは、義母に育てられ、口をきかないことを責め立てられた少女時代の母親の経験に根ざしている。自分を可愛がってくれた、近所のアパートでひとり暮らしをしているおばあさん。そのおばあさんが誕生日プレゼントで買ってくれた新品の運動靴をはいて、一緒に散歩した砂浜。〈心の踊りはねるそのままおばあさんと手をつないで砂浜へ行き、うれしく砂をふむと、新しい靴は足あともくっきり新しい。世界はただ受け、おしみなくへんじする〉。そんな、母親の唯一といっていい幸福体験ゆえに、娘である〈私〉もまた、泥や土や砂の上に足あとを残す行為を愛するのだ。
〈私にとってはるかにだいじなのは話されなかった・・・・・・・ことばであり、あったかもしれない・・・・・・・・・ことばの方だ。この世界に生れ落ちてから、ついに《なぜ》が私を見つけだす以前の、二度ともどらない母との無音の時間の方だ〉
 泥の中から最後に現れる、大阪万博のメモリアルコインにまつわるデーヴァラージの物語もまた、幼い頃に失った母に関する物語であることからしても、この小説の一番奥で静かに奏でられているのは「母を恋うる歌」なのである。愛おしさと悲しみで胸がいっぱいになる旋律の合間には、インドあるあるネタや日本語教室での面白エピソードによって、笑いという賑やかな手拍子が打ち鳴らされる。そのバランスの良さも美点のひとつ。素晴らしい声を持った新人の登場を言祝ぎたい。

(とよざき・ゆみ 書評家)
波 2018年3月号より
単行本刊行時掲載

インタビュー/対談/エッセイ

極限まで自由に書いていきます

石井遊佳

受賞記者会見は電話でのコメントだったが、インドから一時帰国して、いきなり忙しい日々に――

――一時帰国されて、どんな日常ですか。

石井 うれしはずかしいそがし、という感じです。本当にありがたくてありがたくて、取材やインタビュー、打ち合わせなどに来られたすべての方々の足もとに身を投げ出し、伏し拝みたい気持ちですが、実際にやるとびっくりされるので我慢しております。

――東京での初めてのサイン会のご感想は?

石井 東京では、1回目は新宿紀伊國屋、2回目は神田三省堂でやらせていただきました。サイン会前、大阪に3日ほど戻っていたんですが、梅田地下のドトールでスケッチブックを前に2時間ねばったすえ大リーグサイン1号を編み出し、東京でのサイン会にのぞみました。わずか3カ月前までど素人だった私にとっては、自分の本を買って下さるだけで信じられない感謝感激で、直接お会いしてみなさまにサインさせていただけるなんて夢のようでした。いろんな人が来てくださってびっくりしました。南インドのことわざの本を出版された方とか、インドで新幹線を作るお仕事をされてるという方とか、私と同じ、チェンナイで日本語教師をされてた方とか。サイン会っていうのは、思いもかけない誰かと出会いがしら直面することのできる交差点だと強く感じました。

――日本は今年の冬、常ならぬ寒さです。

石井 そうですね、インドと言っても広大ですからそれぞれの地方で違いますが、チェンナイは年中Tシャツジーンズのみですごせる土地ですので、帰国したさい成田空港のユニクロでさっそくセーターとダウンジャケットを買いこみました。すぐ他の服を買い足そうと思ってたら、忙しくてそれどころではなく、結局2週間以上着たきりスズメ(笑)。

――早稲田大学法学部を卒業されて、就職する気持ちはなく、その後はいろいろな職種のアルバイト生活を続けていたとのことですが、菓子職人や温泉旅館の仲居さんの仕事は、どんなご興味からでしょうか。

石井 菓子職人は、もともとお菓子作りが好きで好きでプロになりたいと思い、ケーキ店に見習いとして入りました。20代後半、まだパティシエという言葉が一般的でなかった時代のことです。しかし現場はきわめて過酷で強靭な体力を大前提とした上での技術とセンスの世界でした。私のような半端な人間はお呼びではなく、半年ももちませんでしたが、以来、「職人」と名の付く方を1人のこらず尊敬しております。温泉旅館の仲居は、33歳ごろ、すべてを忘れて働くことのみを欲し、目をつぶり耳をふさいで真っ逆さまに飛び込んだ世界です。まあ、それはそれはすごい世界でございました。これらの職場については両方、いずれ作品化してお目にかけます。結局、この世に自分に向いている仕事なんて何もないんだな、ということを痛感しました。私にできるのは、書くことだけです。たったひとりで悶えくるしむほうがいい。

――職業経験の後で学士入学した東京大学文学部インド哲学仏教学研究室はだんなさまとの出会いの場ともなりました。

石井 草津で仲居をしていたころ文學界の新人賞最終候補に残り、それを機に大阪の実家に戻って、2、3年投稿生活をしていました。その中で仏教を知る必要性を痛感し、また大学に戻る決意をしたわけです。印哲での専門は中国仏教を選択、自分自身の研究のキャリアそのものは、結局ダンナのインド行きについてゆくことを決めた時点でぶん投げてしまいましたが、ほんの端っこをかじった程度であっても仏教を学んだことは、それまでのものの考え方や発想を根本的に変えました。たとえば『百年泥』の、単行本123ページ8行目の諦観の表白など、仏教を学ぶことなしにここで流れ出たとはとうてい思えません。

紀伊國屋書店新宿本店サイン会(2018年2月1日)

――石井さんが考えている小説とは、どんなものでしょうか。

石井 この世界のありさまやからくりを、言葉のもつ可能性を最大限に発揮させながら表現していく、それが私の考える「小説を書くこと」です。人間というのは、無限の過去から未来にかけてつづく業の流れとしての世界、それを構成するひとしずくとしてあって、瞬間瞬間、生まれては死に、生まれては死に、をものすごい速さで繰り返している。それがうれしいの悲しいのといったことをこまごま描くことに、私としては大した意味は見出せません。でも、そういった作業じたいに興味がないだけで、巧みに人間を描いた小説を読むのは大好きです――どっちやねん。

――サイン会で「遅い作家デビューですので、これからたくさん書いていきます」とご挨拶されました。次作の構想は?

石井 インドを舞台にした作品かどうかはわかりませんが、いずれにせよ、けったいなこの世界を、けったいなままに闊達につきぬけてゆくような、随所で「なん~やそれ」と突っ込まれ放題の小説を書き続けてゆくことをここにお約束いたします。みなさま、応援の方、どうぞよろしくお願いもうしあげます!

(いしい・ゆうか 作家・日本語教師)
波 2018年3月号より
単行本刊行時掲載

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