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このまま黄昏れちゃっていいのか、人類。
強靭な想像力が照らし出す、我々の未来。

カタストロフ・マニア

島田雅彦/著

1,728円(税込)

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発売日:2017/05/31

読み仮名 カタストロフマニア
装幀 サヌキナオヤ/装画、新潮社装幀室/装幀
雑誌から生まれた本 新潮から生まれた本
発行形態 書籍
判型 四六判変型
頁数 278ページ
ISBN 978-4-10-362209-3
C-CODE 0093
ジャンル 文芸作品
定価 1,728円

2036年、治験のため入っていた病院で目覚めたシマダミロクは驚愕する。何しろそこには、誰ひとりいなくなっていたのだから――。太陽プラズマの放出、感染症の蔓延、そしてAIの専制が世界を脅かすなか、彼は「大淘汰」の流れを止めることができるのか。来るべきディストピアを見据え警鐘を鳴らす、純文学×SFの到達点!

著者プロフィール

島田雅彦 シマダ・マサヒコ

1961年、東京生れ。東京外国語大学ロシア語学科卒。在学中の1983年「優しいサヨクのための嬉遊曲」を発表し注目される。1984年『夢遊王国のための音楽』で野間文芸新人賞、1992年『彼岸先生』で泉鏡花文学賞、2006年『退廃姉妹』で伊藤整文学賞、2008年『カオスの娘』で芸術選奨文部科学大臣賞、2016年『虚人の星』で毎日出版文化賞をそれぞれ受賞。著書は『天国が降ってくる』『僕は模造人間』『彗星の住人』『美しい魂』『エトロフの恋』『おことば』『徒然王子』『悪貨』『ニッチを探して』等多数。

島田雅彦オフィシャルサイト (外部リンク)

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書評

アイロニーに満ちた苦い薬

小島秀夫

 東京に出現したオーロラ、太陽フレアによる未曾有の磁気嵐と原発のメルトダウン。ライフラインの停止。ボトルネック・ウイルスによる疫病が引き起こした人類の淘汰。その淘汰を生き延びようとする一握りの人間たちの陰謀。人類の英知をはるかにしのぐAI。そして「カタストロフ・マニア」と呼ばれるシミュレーション・ゲームなどなど。
 2036年の近未来を舞台に、これらの魅力的な設定やガジェットを、これでもかとぶち込んで、世界の破滅と人類の未来を描くSFエンタテインメント大作。それが『カタストロフ・マニア』である。
 そう断言できてしまえばいいのだが、そうはいかないのが本作の最大の特徴であり、3・11以後の日本に登場した「震災文学」の中でも本作が独特のオリジナリティを放っている要因なのだろう。
 実際に、冒頭であげた設定のいくつかを組み合わせれば、ハリウッド的なカタストロフ・ムービーを何本もつくることができるだろう。あるいは、原発のメルトダウンや、政府の無策ぶりと陰謀論を、3・11以後の日本人の心象風景と重ね合わせれば、島田雅彦版「シン・シマダ・ゴジラ」を描くこともできただろう。
 しかし本作は、そのようなエンタテインメント的なストーリーテリングや、エンタテインメントだから描ける結末に落ち着くことを巧妙に避けている。
 主人公のシマダミロクは、新薬の治験者として郊外の病院に隔離されており、「カタストロフ・マニア」というゲームに熱中している。これは国家や文明を繁栄させることを目的としたシミュレーション・ゲームの一種なのだが、ミロクは繁栄よりも滅亡させることに喜びを覚えている。仮想空間でカタストロフを日常として生きているのである。ミロクは我々と同じように、安全地帯に身を置いて、滅亡という非日常を消費して満足を得る「カタルシス・マニア」なのだ。我々は、ゲームや映画、小説や漫画でカタルシスを得るだけではなく、例えばSNSの匿名アカウントで他者を攻撃することに喜びをえるような、病んだカタルシス・マニアになってしまっている。
 だが、カタストロフに見舞われたのは、ゲームの仮想空間だけではなかった。病院で冬眠状態になっていたミロクが目覚めると、インフラが停止し、ウイルスの蔓延によって人口が激減した、カタストロフ後の世界が広がっていたのだ。「災厄は冬眠でやり過ごすのが一番です」という担当医のメッセージも虚しく、目覚めたミロクは、あたかもゲーム内で滅亡させられた文明世界のミクロな一員となって放り出される。
 この世界でミロクは生きるための行動に出るのだが、彼のサバイバルは「ウォーキング・デッド」や「マッドマックス」のような、生死の境を危ういバランスで進んでいく、手に汗握るエンタテインメントとしては描かれない。ミロクや他の登場人物たちは、「世界を救う」というような目的や大義名分を背負って、こうなってしまった世界を修復したり、その原因に立ち向かうようなことはしない。何しろモロボシダンを名乗る登場人物は、ウルトラセブンに変身するヒーローではなく、ただの週刊誌の元記者なのだ。ここでは誰もヒーローのようには戦わない。目覚めたミロクに医者が残したメッセージのように、眠っているうちに災厄を回避しようとする。世界を悪くした原因には立ち向かわない。
 ここで描かれるカタストロフ後の世界は、3・11以後に陽炎のように現れた「災害ユートピア」を連想させる。例えば、ミロクがいっとき身を寄せる集落は、生き残った老人たちが大半を占めているが、しかしそこはヒリヒリするような切迫した空間ではない。「ある意味、カタストロフは奴隷を解放し、平等をもたらしてくれた」と、登場人物の一人が話すように、そこは老人たちから知識や技術を学ぶユートピアのようにも描かれている。
 その集落にある時、3万匹に1匹と言われる雄の三毛猫が迷い込むのだが、福を招く吉祥として受け入れられる。また、集落の畑から作物を盗む野盗を捕らえてみると、実は小学生の少女だったことがわかるエピソードがある。彼女は厳しく罰せられるのではなく、教師に諭されるように罪を赦される。貴重な食料にもなる猫を食べようとしたり、食料の盗人を痛めつけたりという、生死の限界に直面した人が必死でサバイバルすることが必要な世界ではないのだ。ミロクもまた、「カタストロフを生き延びたとしても、時がくれば、自分も死ぬ」という諦観にも似た感情を抱いている。この世界はカタストロフがもたらしたユートピアなのだ。だから、世界のリアリティは、むき出しの自然に放り出された人間のリアルに向かうのではなく、ある種のユートピアで生きるリアルとして描かれる。いつか死ぬということを前提にしながら、リアルな生死は巧妙に隠されている。これはどこかで見たことのある世界ではないだろうか。そう、そこはSNSで人が繋がる仮想空間、ミロクが興じていた「カタストロフ・マニア」のゲーム空間のリアリティに通じる世界だ。
 作中で脳科学者が次のように語る。
「複数の人間が集まれば、意見も立場も対立するし、ケースに応じて、プロセスも結論も変わる。条件を全て統一しても、サッカーや野球のゲームはどれ1つとして同じ展開にはならない」
 ミロクが放り出された「現実の世界」、つまり『カタストロフ・マニア』が描く世界は、複数のユーザーが変数として振る舞うゲームの世界に似ている。あるいは匿名の集団であるSNSがつくる仮想空間が、「消費者の意見」や「国民の意見」として実体を持ってしまう世界に似ている。
『カタストロフ・マニア』はハリウッド映画的なカタルシスを描かない。ヒーローの活躍がもたらしてくれる爽快感はない。読んでいる間のモヤモヤとした感覚は拭えない。しかし、それこそが作者の狙いなのだろう。
 仮想空間だろうが、現実世界であろうが、リアルな生死はユートピアを思わせる糖衣で優しく包まれている。しかし、その甘い衣の下には、絶対的な死が潜んでいる。冬眠状態を続けて、カタストロフをやり過ごすことができたとしても、人間の死亡率は100パーセントなのだ。
 カタルシス・マニアをやめることができない我々にとって、この小説は一見飲みやすそうに見えるが、実はアイロニーに満ちた苦い薬のようだ。だがこの劇薬を飲み、衣の下にある苦さを味わわなければ、目が覚めることはない。さもなくば、安全地帯で永遠にカタストロフにカタルシスを求める我々の狂熱マニア は治らないだろう。

(こじま・ひでお ゲームデザイナー)
波 2017年6月号より

目次

1 冬眠への誘い
2 狩猟採集時代
3 世捨て人たち
4 ボトルネック
5 文明退化
6 菊千代
7 アイム・スパルタカス
8 内戦誘発装置
9 智子の水筒
10 黎明期の母
11 ボーン・アゲイン
12 幼年期への回帰

インタビュー/対談/エッセイ

このまま黄昏れちゃっていいのか、人類

島田雅彦

 2011年の3月11日以後、電力供給が途絶えた世界で暮らすことの想像力が刺激され、何処で何をしていても、ひとまず自分から電気を遠ざけてみるのが癖になった。原発稼働賛成派が反対派を黙らせる時のいいぐさとして「あんたも原発で発電した安い電気の恩恵を受けている」とか、「そんなに原発の電気が嫌なら、電気を使うな」といった政府や東電擁護の「正論」を聞かされるたびに、いっそこの世界を完全に停電させてしまいたいと思うようになった。共謀罪の施行によって、今後は小説中でカタストロフを引き起こしたり、テロやクーデターを実行することが難しくなりそうなので、今のうちにおのが破壊願望を百パーセント解き放っておこうと思って書いたのが『カタストロフ・マニア』である。
 太陽のしゃっくり、つまりコロナ質量放出が起きれば、この地球上の電力をいとも簡単に喪失させることができる。東京上空にオーロラが見えたら、それはカタストロフの始まりである。地球表面をあまねく覆った電力網、電波網は巨大な磁気嵐に完全に破壊される。鉄道、水道、ガス、通信、あらゆる都市インフラは電気制御だから、都市の日常を支えるあらゆる機能が停止してしまう。原発が電源喪失すると、メルトダウンすることは福島第一原発で見せつけられた。
 カタストロフ後の初期化された世界で生き延びるには、まずはライフラインを確保しなければならない。それは産業革命のプロセスを律儀に辿り直すことに近い。始めのうちはコンビニやスーパーに残った食料、生活必需品を漁る都市部での狩猟採集生活で何とかなるが、その後は水、食料、燃料、情報などの調達に苦労することになる。川の水の濾過や燃料になる薪探しを始めることになる。電力復旧にこだわるなら川の流れを利用した小規模水力発電かソーラー発電を試せるが、その間も放射能汚染は広がる。ネットやコンピューターが使えないカタストロフ後は、図書館が文明再建のノウハウが蓄積された情報センターになる。公園や空地は食料生産に活用され、肥溜めが復活し、誰もが食うための労働を余儀なくされる。都市部にとどまること自体が生存に不利になるので、各地に分散し、小集団の共同体を形成し、分業体制を構築するのが生き残りに最適なライフスタイルになる。ナチスによるポグロムを経験した後、ユダヤ人たちはイスラエルを建国したが、ロシアからの移住者たちを中心にキブツとよばれる集団農場が各地に作られた。私はそのうちの一つに滞在したことがあるが、それはカタストロフを経験した人々が辿り着くライフスタイルだったのかもしれない。
 本作では太陽のしゃっくりに加え、合成ウイルスが原因のパンデミックが重なり、人類史始まって以来の大淘汰が起きる。現在、各国で増殖中の愚かな為政者なら、このカタストロフを政治利用し、適者生存の原理を捏造し、生き残る人類の選別を行うだろう。大量死の主な原因は政治とテクノロジーが作り出す。大量破壊兵器の発明、スターリンの大粛清や毛沢東の大躍進政策のような愚策。それを念頭に置き、政治とテクノロジーのグロテスクな結託がカタストロフをさらに押し進める展開となる。本作において、人類は二度滅ぶのである。
 近未来においては人工知能が人類の存亡の鍵を握っているとされる。産業界では用途を特化した開発と投資がさかんで、道徳的な規制に縛られたくないため、汎用型人工知能による人類淘汰というディストピア的発想をSF的紋切り型として一線を画したいようだ。しかし、元来、人間の発明品である「全知全能の神」は人類を過酷かつ理不尽な運命に陥れてきた。人類が作った神によって滅ぼされるのであれば、それは人類の自業自得といい換えることもできるが、そのような神はフィクションでしかなく、神とはすなわち自然のことであるというスピノザの定義に従うなら、実際に人間を滅ぼそうとしたのは「自然」だったということになる。文字通り、天災で滅ぶという意味と無数の要因が重なり合い、自然の成り行きとしかいえない事情から滅ぶという二重の意味がそこにはある。科学はそのように曖昧で、実証できない問題は扱わない。科学的であろうとする産業界も同様だ。したがって、滅亡問題は文学で扱うしかない。小松左京の『日本沈没』以来の文学的パンデミックが起きることを筆者は待望している。

(しまだ・まさひこ 作家)
波 2017年6月号より

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