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誰にもとどめることはできない――愛の歓びと怖さ、その光と影を描き尽くす完璧な恋愛小説。

  • 受賞第14回 島清恋愛文学賞

がらくた

江國香織/著

1,620円(税込)

本の仕様

発売日:2007/05/22

読み仮名 ガラクタ
雑誌から生まれた本 小説新潮から生まれた本
発行形態 書籍
判型 四六判
頁数 286ページ
ISBN 978-4-10-380807-7
C-CODE 0093
ジャンル 文芸作品、文学賞受賞作家
定価 1,620円

海外のリゾート地のプライベートビーチから物語は始まる。美しい少女を見つめている美しい中年の女性。少女は美海、15歳。女性は柊子、45歳。やがて東京へ戻った二人を主人公に展開される意表を突く人間関係。官能をかき立て、知性を刺激し、情感を揺り動かす、江國恋愛小説の記念碑的長編の誕生。

著者プロフィール

江國香織 エクニ・カオリ

1964(昭和39)年東京生れ。1987年「草之丞の話」で「小さな童話」大賞、1989(平成元)年「409ラドクリフ」でフェミナ賞、1992年『こうばしい日々』で坪田譲治文学賞、『きらきらひかる』で紫式部文学賞、1999年『ぼくの小鳥ちゃん』で路傍の石文学賞、2002年『泳ぐのに、安全でも適切でもありません』で山本周五郎賞、2004年『号泣する準備はできていた』で直木賞、2007年『がらくた』で島清恋愛文学賞、2010年『真昼なのに昏い部屋』で中央公論文芸賞、2012年「犬とハモニカ」で川端康成文学賞を受賞した。小説以外に、詩作や海外絵本の翻訳も手掛ける。

インタビュー/対談/エッセイ

波 2007年6月号より 『がらくた』刊行記念対談  究極の愛は言葉がつくる  近代文学の裏をかく/恋愛を描くことで見えるもの 認識か美か/ジャムの風化  江國香織『がらくた』

高橋源一郎江國香織

高橋 久々の長篇、すごく面白く読ませていただきました。
江國 どうもありがとうございます。うれしいです。
高橋 ほんとに面白かった。あのですね、僕の場合、面白い小説の方が読むのに時間がかかるんですよ。読みながら、いろんなことに考えが広がっていって、別の本を読み始めたりもしてしまう。
江國 へえ。
高橋 最初の場面は海辺のリゾート地ですよね。
江國 はい。プーケットです。
高橋 砂浜で、主人公の柊子さんが、自分よりずっと年下の同性に深い関心を持って視線を注いでいる。もちろん、全体の設定はずいぶん違うんですが、この視線の投げかけ方は、ちょっと『ベニスに死す』だな、と思いました。それで、ついでに『ベニスに死す』も読んじゃったんですよ。最後まで。まさに近代文学なんですが、これがまた面白い。『ベニスに死す』の終わり近くには、この『がらくた』に通じる部分があるんですが、ひとまず、それはさておき。

  近代文学の裏をかく

高橋 『がらくた』は、枠組みとしてはオーソドックスな恋愛小説ですよね。実験的だったり、大きな仕掛けがあったりするわけではない。でも、僕はこれはかなり変わった小説だと思うんですよ。近代文学とはずいぶん違う。
江國 どんなところが?
高橋 たとえば、登場人物のうち、柊子さんは美術史関係の翻訳家、お母さんの桐子さんはお金持ちで読書家、女子高生の美海ちゃんは映画通で昔のロックなんかにも詳しい。要するに、女性はみんなインテリなんです。一方男の人は、実務家というか技術者というか、まあ労働者です。かつての近代文学の枠組みなら、男性がインテリだったはずです。
江國 なるほど。
高橋 そして、これは原柊子さんという女性とその夫の、奇妙な夫婦間の恋愛、についてのお話、だと思うんですが。
江國 はい、そのとおりです。
高橋 近代文学だと普通、夫婦間に恋愛というものはない。つまり、結婚するまでが恋愛で、結婚してからは長く辛い不毛の時代だったりする。ところがこの作品では、結婚してから恋愛して、恋愛してから不倫している。そういう、よく考えると型破りないろいろなことが、ごく普通に進行してるんです。そこにドキドキする。
江國 それはうれしいです。
高橋 この二人の恋愛というのがまた相当変わっていて、夫には何人も愛人がいるし、妻は妻で夫の黙認のもとにほかの男性と性的な交渉があって、そういう交渉がある度にリフレッシュして夫の下に戻ってくる。片や近代文学は、姦淫とその否定で成り立ってきたわけですから。それから、近代文学なら事件が起こって、内面の吐露があって、と進みますが、そういう順序にもなっていない。むしろ逆。そうやって、絶えず近代文学の裏をかいているんです。僕はこういうものを読んだことがない、と思った。僕らは小説を読むときに、初めて読むものでもなんとなく過去の小説の延長上で考えて、だいたいこうなっていくだろうと思いながら読んでいくんですね。ところがこの作品は、終わりから始まっているというか、話が逆に進んでいるというか。物語の物理法則みたいなものが、全部ちがっている。
江國 ああ、そうなんですね。
高橋 だから、この話はいったいどうなるんだろう、と思って、最後を読むのがすごく怖かったです。江國さんとしては、「普通の小説」の逆バージョンをやってみようという意識はあったんでしょうか。それとも、自然にこうなってしまったんでしょうか。
江國 うーん、普通の逆を、というふうに考えたことはないんです。普通というのがどういうものなのか、よくわからなくて。でも、今まで読んだことがないようなものを書きたい、とはつねに思っています。

  恋愛を描くことで見えるもの

江國 私の場合は、小説自体に対する欲望のほかに、恋愛を描くことに対して強い欲望を持っているんだと思うんです。恋愛の話がとにかく大好きで、いろんな恋愛を書きたいという気持ちが強い。
高橋 それはどうしてなんでしょうね。恋愛というものを通して、何かを見たい、知りたい、ということでしょうか。
江國 そうですね。恋愛を描くことで、普段は見えない何か、人の内面だとか、家の中での会話だとか、何か異様なものを見てみたい、見せてみたい。
高橋 異様なもの、ですか。
江國 この話に出てくる人たちに限らず、ひとはみんな異様だと私は思っているんです。そうそう、この小説は、「人はみんな気難しい」っていう発見から始まったんです。
高橋 人はみんな、異様で気難しいと。
江國 はい。5年ほど前に、仕事でカナダに行ったときに思ったんです。景色のいい田舎町のホテルに泊まって、朝、散歩をしていた。通りかかる人をみて「あ、かわいらしい感じのおばあさんだな、でもちょっと気難しそう」と思った。また別の人を見て「あ、30代、独身っぽい男の人、そして気難しそうだな」と。
高橋 なんでみんな「気難しそう」になっちゃうんだろう。
江國 どうしてなんでしょう。でもみんな気難しそうに見えたんです。寒い中を歩いていたせいかも知れない。とにかく「あ、人ってみんな気難しいんだ」というのがその時の発見で、言葉として「人はみんな気難しい」というのが残った。そこからこの小説は始まりました。私は、言葉が先なんです。
高橋 まず言葉があるというのは、江國さんの小説を読んでいると、なんとなくわかるような気がします。書き始めるにあたって、作品の内容はどこまで決まっていたんでしょうか。だいたい終わりまで固まっていたんですか。
江國 いつもあまり予定を立てずに書き始めるんですが、今回はある程度立てました。でも結局、その予定どおりにはならなかったんですけど。
高橋 あまり予定を立てないというのは、どれぐらい立てないんですか。
江國 どういう話になるかということは、まったく決めないんです。過去のことだけ決めておく。それぞれの登場人物について、小説が始まる以前のことだけ、すごく細かく決めます。たとえば、こういう女子高の出身で、小さいころにこんな思い出があって、とか、お酒を飲むとかタバコを喫うとか、身長、体重、血液型とか、ほとんど趣味じゃないかというぐらい細かく決めて表にします。
高橋 登場人物の、準備はできていた(笑)。
江國 はい。あとのことは基本的にまったく決めずにおいて、その人たちが出会うと、物語が始まる。
高橋 いいですね、そのやり方。
江國 今回は、この夫婦が浮気を重ねながらも別れない、というところは決めておきました。美海ちゃんという女子高生が夫婦と関係を持って、異様な世界を垣間見たりもするけれど、結局最初と何も変わらない状態で終わるということ、それは決まっていました。
高橋 ある意味、話が終わった感じがしない終わり方になっていますよね。
江國 そうですね。
高橋 結末にカタルシスがないというのとも違うんですが、でも終わりらしい終わり方ではない。だいたい、主人公だったはずの柊子さんがラストでいなかったりする。「え、柊子さんはどこで何をしてるの」って思う。
江國 おそらくトルコでお茶を飲んでるんです。
高橋 この、ある種終わっていない感じというか、普通に読むとちょっと意外な終わり方に見えるだろうということは、意識されているわけですよね。
江國 はい。いつも、あまり終わった感じにはしたくないんです。
高橋 どうしてですか?
江國 それだとなんだか空々しいというか。登場人物が、そのあともどこかにいる感じの方が好きですね。
高橋 なるほど。よくわかります。

  認識か美か

高橋 ここでちょっと、さっきの『ベニスに死す』に話を戻させてください。物語の終わり近くで、死に瀕した作家・アッシェンバッハが、浜辺で遊ぶ美少年タッジオの方へ手を伸ばす場面。ここでアッシェンバッハによる有名なモノローグがあります。モノローグは、プラトンが美青年パイドロスに語りかける形になっているんですが、その中で僕がすごいと思ったのはこういうことなんです――プラトンがいうには、芸術家は認識より美を選ぶべきである。認識は奈落に通じているから。しかし、結局のところ、美もまた奈落に通じている、と。
江國 すごいですね。そのとおりだと思います。ほかに言うことはないくらい。
高橋 どちらに行っても奈落が待っている。でも芸術家は美を選ぶべきだと。これは江國さんの小説のことだ、と僕は思ったんです。
江國 恋愛を選ぶべきである、でも恋愛には奈落が待っている(笑)。認識と美ということで言えば、私が描こうとしたのは、動物的な美のようなものかもしれません。いま目の前の快楽を求めることの、謙虚さというか、健やかさというか。
高橋 この二人の恋愛はすごいですよね。桐子さんが言っているように、何も見えていない。盲目的に、周囲の迷惑など考えず、すべてを燃やし尽くす。いわば、愛の焼き畑農業(笑)。
江國 周りの人にはものすごく迷惑でしょうね。見たことのないような変な夫婦を書きたい、異様な関係を書きたい、という気持ちはあったんです。でも逆に、こういうのは普通のことだとも思う。つまり、どの夫婦も異様なんだから、これは特別なことじゃないんだ、ということも言いたかった。
高橋 みんな異様なんですよね。
江國 みんな普通に異様である、ということが、作品のテーマといえばテーマですね。
高橋 僕はマルキ・ド・サドの作品とか、ポーリーヌ・レアージュの『O嬢の物語』とか、ポルノの古典が好きで結構読むんですが、そういう小説って全然エロティックじゃなくて、むしろ虚無的なんですよ。普通のやりかたでは肉体の感覚が得られないから、鞭打ったり首を絞めたりする話になる。それで彼らは結局何をしているのかというと、ずっとものを考えているんだと思うんですよ。ひたすら、認識、認識。
江國 なるほど。恋愛について書いたり考えたりする時、私はかなり理屈っぽいんです。でも、あまりに理屈っぽいと、だんだんおかしなことになってしまう。たとえば「愛しているから、何でもする」というとき、何でもって、何をしてしまうんだろう、と思う。「離れていても、想いは変わらない」のだとしたら、本当は離れていた方がいいんじゃないか、とか。考えるほど、のめり込むほど、異様なことになっていく。
高橋 それは認識のなせる業ですね。
江國 この小説でも、二人はものすごく愛し合っているということを書こうとすると、どんどん異様なことになっていく。動物的に快楽を追求しているようにも見えるけれど、これは実は認識の……。
高橋 いやあ、認識の恋愛だと思いますね。動物だったらこんな恋愛はしない。たとえば、好きだったけど、嫌いになったから別れちゃった、という話だったら、動物的だと思うんです。でもこの二人は、もっと人工的なことをしている。知恵や認識で。
江國 そうですよね。きっと認識しすぎなんですよね。
高橋 そう、認識しすぎなんです。認識の病です。でももしかしたら、愛と呼べるのはそういうものなのかもしれない。
江國 たいへんな話になってきました。
高橋 だとすると、愛は結局、すべて異常なものだということになる。そして、異常なことだけが人間的だということになる。
江國 ああ、実にまったくほんとうに、辻褄が合います。

  ジャムの風化

高橋 この二人、原武男と柊子さんは、永遠を求めていますよね。ありえないものを求めている。
江國 そうです。二人で、人為的に、永遠の愛を全うしようとしている。作品の中に、ジャムは風化しない限り腐らない、という話が出てきます。密閉しておけば、いつまでもそのままの状態をとっておける。タイトルを「ジャムの風化」にしようかと思ったぐらいなんですが、それでは何のことだかよくわからない、ということで、このタイトルになったんですが。
高橋 さきほど触れた『O嬢の物語』の場合だと、永遠の愛を手に入れるために、謎の館に連れて行ったり、知人に引き渡したり、特殊な環境、いわば密閉された場所が用意されているわけですね。でもこの二人の場合には、密閉された空間にいるわけではない。ごく普通の、一般的な空間にいる。
江國 世間に出てしまっている。こういう男女を、野に放ってはいけませんね。
高橋 動物ならまだ扱いようがあるけれど、人間的な認識、言葉や論理で武装された恋人たちというのは、もっとも取り扱いにくい。
江國 この小説の登場人物は、必ずしも理屈っぽくはないんですが、やっぱり言葉にはけっこう敏感ですね。私はどうも言葉に無頓着な人というのは書けないんですが、それで言葉に頓着する人に恋愛をさせようとすると、なんだか大変なことになってくるんです。
高橋 なるでしょうね。
江國 愚直なまでに、何でもと言ったから何でもとか、死んでもと言ったから死ななくちゃとか、そういうことになってくるんです。
高橋 この主人公たちは気難しいし、言葉の人だから、本来恋愛からはすごく遠いタイプだと思うんですよ。普通の人が恋愛してもなんともないのかもしれないけど、こういう人たちがそれぞれ恋愛してしまうから、大変なことになる。
江國 私が書く人は、実は恋愛しちゃいけない人たちなのかな。
高橋 恋愛の、ハードルが高い人たちなんですよね。
江國 そうか、私は恋愛が困難な人に恋愛させるのが好きなんだ。
高橋 そういう人たちの恋愛には、エネルギーがいる。すごく内圧が高くないといけない。だからその分、いったん始まってしまうと暴走する。それは、言葉の人だからだと思うんです。そして、江國さんの小説はそれがそのまま小説の構造になってるから、つまり小説の内圧が高くないと動かないような話を作って書いているから、実は小説がすごい力を持っているんですよね。
江國 だとしたら、とてもうれしいです。
高橋 恋愛の言葉というのは、すごいですね。
江國 すごいです。



(たかはし・げんいちろう 作家)
(えくに・かおり 作家)

判型違い(文庫)

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