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鎮火後、三人共に戻れば無罪、一人でも逃げれば全員死罪。「江戸最後の大火」は天佑か、それとも――。

赤猫異聞

浅田次郎/著

1,620円(税込)

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発売日:2012/08/30

読み仮名 アカネコイブン
雑誌から生まれた本 小説新潮から生まれた本
発行形態 書籍
判型 四六判変型
頁数 286ページ
ISBN 978-4-10-439404-3
C-CODE 0093
ジャンル 歴史・時代小説、文学賞受賞作家
定価 1,620円

火事と解き放ちは江戸の華! 江戸から明治へ、混乱の世を襲った大火事。火の手が迫る小伝馬町牢屋敷から、曰くつきの三人の囚人が解放された。千載一遇の自由を得て、命がけの意趣返しに向かった先で目にしたものは――。数奇な運命に翻弄されつつも、時代の濁流に抗う人間たち。激変の時をいかに生きるかを問う、傑作長編時代小説!

著者プロフィール

浅田次郎 アサダ・ジロウ

1951年東京生まれ。1995年『地下鉄(メトロ)に乗って』で吉川英治文学新人賞を受賞。以降、『鉄道員(ぽっぽや)』で1997年直木賞、『壬生義士伝』で2000年柴田錬三郎賞、『お腹召しませ』で2006年中央公論文芸賞、2007年司馬遼太郎賞、『中原の虹』で2008年吉川英治文学賞、2010年『終わらざる夏』で毎日出版文化賞を受賞するなど、数々の文学賞に輝いている。他の著書に『プリズンホテル』『蒼穹の昴』『憑神』『赤猫異聞』『神坐す山の物語』など多数。2011年5月からは日本ペンクラブ会長を務めている。

書評

波 2012年9月号より [浅田次郎『赤猫異聞』刊行記念特集] スリリングな物語

北上次郎

しかし、困ったね。この長編の美点について語ろうとすると、つい内容に触れてしまいそうになる。どんなことが書かれているかを知ることは読書の愉しみの一つでもあるので、それをここに紹介してしまっては興が削がれる。しかし内容にいっさい触れずに、この長編の読みどころを紹介することは出来るだろうか。
まあ、出来るところまではやってみよう。
時は明治元年暮れ、舞台は小伝馬町の牢屋敷。北風の吹く冬空に半鐘が渡るのが、このドラマの幕開けだ。しかも急を告げる早鐘の連打である。一人の牢屋同心が御米蔵の屋根に登って「いけません、いけません、柳原土手が燃えております」と報告する。柳原の土手といえば、伝馬町牢屋敷からわずか五、六丁。こうなると、「解き放ち」が俄然問題になる。本書から引く。
「たとえいかなる極悪人でも、火事で焼き殺すは余りに不憫というわけで、鎮火ののちはいつ幾日、どこそこに必ずや戻れと厳命して解き放つ。戻ってくれば罪一等を減じ、戻らぬ者は草の根分けても探し出して磔獄門、という次第になります」
というわけで、解き放たれた三人が本書の主役になる。まず、信州無宿の繁松。三十半ばの男だが、深川の賭場を仕切っていた博奕うちである。もう一人は、旗本の岩瀬七之丞。江戸市中の空屋敷に潜伏して官軍の兵隊を斬ってまわっていた二十三、四の青年だ。最後は、白魚のお仙。三十を過ぎた大年増で、夜鷹の元締めである。
「三人のうち一人でも戻らざれば、戻った者も死罪。刻限までに三人ともども戻れば、罪一等を減ずるのではなく、三名ともに無罪放免といたす」
戻れば無罪放免と言うけれど、官軍の兵隊を斬ってまわった七之丞を本当に無罪に出来るのかは疑わしい。だったら、三人ともに逃げてしまえばいいと思うところだが、一人も戻らぬ場合は、丸山小兵衛が腹を切ると言うから複雑だ。その丸山小兵衛とは囚人の側にたって上司とかけあう牢屋同心で、白魚のお仙はともかく、義理人情に厚い繁松なら、迷惑をかけたくないと思うのは当然だ。
はたしてこの三人は、鎮火報が鳴った日の暮れ六ツまでに戻ってくるのか。それとも戻らないのか。その二日間に、それぞれの身に何があったのかを描く長編だが、これ以上は何も書けない。
ここに紹介できるのは、周辺のことだけだ。たとえば、この「解き放ち」は、明暦三年の振袖火事から天保十五年六月まで、すなわち百八十余年の間に十一度しかなかったというから、そう頻繁にはなかったことになる。
「解き放ち」とはいっても、伝馬町牢屋敷の門前から、えいやっと放つわけではないことも本書から引いておきたい。
「まず囚人を浅草新寺町の善慶寺まで歩かせ、その境内にてかくかくしかじかと因果を含め、鎮火ののちはここに戻れと命じて放つのです」
これは、「もし牢屋敷の門前で解き放とうものなら、悪党どもはこれ幸いと火事場泥棒を働くに決まっている」からだという。こういうプチ情報がてんこもりなのである。
火事がやむと鎮火報と称する鐘が鳴り渡るが、これは勝手に撞いてはだめというくだりも興味深い。
「まず、御城の大手門と桜田門に踏ん張っておられる方角火消の御大名が、櫓や石垣の高みからご覧になって、およそ火の消えた旨を月番の御老中に報告する。次に御老中は公方様のご裁可を賜わって、上野のお山の寛永寺に使者を立つるのであります。で、寛永寺では畏まりまして、大仏堂の向かいにある時の鐘を、時刻にかかわらずゆっくりと撞く。これが鎮火報でございます」
明治元年という時代背景が本書のキモであることも最後に書いておきたい。幕府は崩壊したものの、新政府の体制は整わず、そういう時代に起きた「解き放ち」なのだ。激動の時代に自由になった彼らは、本当の自由を手に入れることが出来るのかどうか。
ここに書くことが出来るのは、とてもスリリングな物語であるということだけだ。あとは何の先入観もなく、たっぷりと堪能していただきたい。

(きたがみ・じろう 文芸評論家)

判型違い(文庫)

書評

波 2012年9月号より

『赤猫異聞』刊行記念特集
見返りを求めぬ愛を描く
佐藤優



 読み終えて一呼吸置いたところで、感動で全身が震える作品だ。明治八(一八七五)年に新制度の監獄ができるときに、旧伝馬町牢屋敷に関する文書を移管したが、幕府から維新政府への権力移行期の記録に空白があることが判明した。太政官が「後世司法ノ参考ト為ス」ため、内々に明治元(一八六八)年暮れの火事のときに、一時保釈された訳ありの三人の囚人に関する調査を命じた。「赤猫」とは犯罪者用語で放火犯や火事を指すが、〈伝馬町牢屋敷におきましては、火の手が迫った際の「解き放ち」をそう呼んで〉いた。
 訳ありの三人は、夜鷹(路上売春婦)の頭目・白魚のお仙、博奕打ちの無宿人・繁松、官軍兵を暗殺した元旗本・岩瀬七之丞だ。この三人を「解き放ち」にあたって牢屋敷同心の丸山小兵衛が、「鎮火報を聞いたのちは、暮六ツまでにきっと立ち戻れ。おぬしらの命は一蓮托生と決した。すなわち、三人のうち一人でも戻らざれば、戻った者も死罪。刻限までに三人ともども戻れば、罪一等を減ずるのではなく、三名ともに無罪放免といたす」という条件を告げる。もし三人全員が指定された善慶寺に刻限までに戻らずに逃亡したらどうなるか。丸山と同僚の牢屋敷同心・杉浦正名が「さなる場合には、丸山小兵衛が腹を切るそうだ」と説明した。果たして三人は、刻限までに戻ってくるのであろうか。それとも逃亡に成功するのであろうか。真相が徐々に説き明かされ、読者は作品の世界に吸い込まれていく。
 三人は、生き残った。白魚のお仙は、英国人の鉱山技師エイブラハム・コンノオトと結婚し、スウェイニイと改名した。彼女は司法省の役人に〈主人は北海道から帰るとじきに、ご奉公の年季が明けます。そののちはイギリスに戻って、母校のオクスフォードで教鞭を執ることになっておりますの。子供はおそらく、あちらで産むはこびとなりますわね。〉と供述した。繁松は、高島善右衛門と改名し、財閥と肩を並べる商社の社長になった。善右衛門は、〈私も遅ればせながら人の親になりやした。新学制のおかげで小学校に通っている倅と、その下に娘が二人でござんす。血の通ったおとっつぁんになって初めてわかったんですが、親は子供に何かしてくれなんて、思やしません。何をしてやれるんだろうかって、そればっかり考えます。/神さん仏さんの本音も、同しでござんしょう。できることなら何でもしてやりてえんだが、苦労はさせなきゃなりやせん。手取り足取り育てて、ぼんくらにしちまったんじゃあかわいそうだ。/だから、泣かれても知らん顔をしたり、ときには怒鳴りつけたり、尻を叩いたりもいたしやす。そうして、まっつぐに、真正直に育って、どうにもこうにもならなくなったときには、手を貸しやす。〉と供述した。経営者として生き残ることができる自助と自立の精神で子供を教育しているのだ。岩瀬七之丞は、軍人になった。フランスに留学し、現在は陸軍士官学校で教鞭を執る岩瀬忠勇少佐だ。岩瀬少佐は、〈生きていてよかった。/ただそれのみであります。命あったればこそ、こうして日本国のために、天下万民のために微力を尽くせるのでありますから。/生きていてよかった。/実に、わが感想はそれのみであります。よって士官生徒らにも、軍人は死に急ぐなかれ、生きて忠節を全うすることが本分であると、つねづね教え訓しております。〉と供述する。
 お仙、繁松、七之丞は、「赤猫」騒ぎを通じて、死と復活を体験したのである。出家し禅寺(曹洞宗)の僧侶・湛月となった元牢屋敷同心・杉浦正名は、〈今もしばしば考えるのです。丸山小兵衛の戦とは何であったのか、と。/御家人の矜恃。いや、ちがう。/不浄役人として虐げられてきた侍の意地。それもちがう。/ぴたりと嵌まる答がない。/実はこのご訊問のはじめに、「後世司法ノ参考ト為ス」という理由をお聞きしたとき、ハッとしたのです。答はその一言に隠されているのではないか、と。/もしや丸山小兵衛は、人の知恵が人の世を律し、人が人を罰する御法というもののあるべきかたちを、みずからの命を抛って示さんとしたのではございますまいか。〉と供述した。小兵衛は、お仙、繁松、七之丞に対して、何の見返りも求めずに、一方的に誠実に対応する。この態度が三人の心に影響を与え、生きる力を与えたのだ。この力を愛と言い換えてもよい。『赤猫異聞』は愛を描いた小説なのである。
(さとう・まさる 作家・元外務省主任分析官)

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