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いま生きる「資本論」

佐藤優/著

1,430円(税込)

発売日:2014/07/31

  • 書籍

「革命」は関係ナシ。いまのすべてが分かる、私たちが楽に生きるための『資本論』。

私たちの社会はどんなカラクリで動いているのか。自分の立っている場所はどこなのか。それさえ分れば、無駄な努力をせず楽しい人生を送ることも可能だ。アベノミクス、ビットコイン、佐村河内騒動、など現在のトピックも、すべてこの一冊で読み解ける。知の技法を知り尽くした佐藤優が贈る抱腹と興奮の白熱講座。紙上完全再現!

目次
まえがき
1 恋とフェチシズム
2 どうせ他人が食べるもの
3 カネはいくらでも欲しい
4 われわれは億万長者になれない
5 いまの価値観を脱ぎ捨てろ
6 直接的人間関係へ
あとがき

書誌情報

読み仮名 イマイキルシホンロン
発行形態 書籍
判型 四六判変型
頁数 256ページ
ISBN 978-4-10-475207-2
C-CODE 0095
ジャンル 経済学・経済事情
定価 1,430円

書評

波 2014年8月号より [佐藤 優『いま生きる「資本論」』刊行記念特集・資本主義と上手に付き合うために]

金銭に還元不可能なもの 酒井順子


「資本論」の存在は知っていても、読んだことはない。世の中の多くはそのような人かと思われ、かく言う私もその一人。『いま生きる「資本論」』を読んで、「資本論」がどのような書物であるのかを、初めて知りました。同時に、「資本論」がものすごく難しい本であることも、そして自分がそもそも「資本」とは何かすら、よく知らなかったことも。
本書は、佐藤優さんが行った「一からわかる『資本論』」という全六回の講座を、一冊にまとめたもの。読んでいると自分も講座の現場にいるような気持ちになります。
佐藤さんのスピーチを私は聞いたことがあるのですが、会場の人の心を掴む術は、一種魔術的。その目力ともあいまって、身体ごと惹き込まれそうになります。この講座でも、難解な「資本論」の内容と、カジュアルなおしゃべりとの硬軟とりまぜ方に、受講者達の興味は釘付けにされたことでしょう。
そして佐藤さんは、旧ソ連が崩壊し、社会主義から資本主義へと移行する現場に居合わせた方。だからこそ、たとえば「資本主義のスタートにおいては激しい収奪過程がある」といったことの説明に対して、生々しい実例が提示されるのです。
本書には、佐藤さんと受講生とのやりとりも、たっぷりおさめられています。質疑応答はもちろん、毎回課題が出されるので、次の回はそのレポートの講評から講座が始まります。
私も一応、読みながら課題について「私ならどう書くであろうか」と考えてみました。とはいえ「ビットコインは、マルクスが『資本論』で規定するところの通貨か」といった課題に対して、もやもやとした考えしか浮かび上がらない。次の章で紹介される受講者によるレポートのレベルが非常に高く、劣等生気分をうんと味わうものの、しかしこの本は普通に本を読む時とは異なる脳の部分を動かしてくれます。
そして何よりも私にとって刺激になったのは、「金銭に還元不可能なもの」を身につけることの重要性を、佐藤さんが強調されていたことです。古典や小説を読んで想像力や知性を身につけることが、新自由主義や新帝国主義といったものが台頭する中で生きていくには必要なのだ、と。
佐藤優さんは、大学院で神学を学ばれたキリスト教徒ですが、聖書には、
「はっきり言っておく。金持ちが天の国に入るのは難しい。重ねて言うが、金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい」(マタイ19―23~24)
というイエスの言葉が記してあります。この時の言い方の強さを見ても、金持ちがキリスト教の天国に行く資格は全く無さそうなのです。
しかし貨幣所有者が、そのお金を増やそうとしないなどということはあり得ないということを、私はこの本で知りました。その動きはもう、貨幣の中に織り込まれている「恋」のようなものなのだ、と。
だとするならば、アメリカのような国がキリスト教国であることには、大いなる矛盾、というか皮肉を感じざるを得ません。日本においても、キリスト教徒って何だか、お金持ちが多いしなぁ……。
資本主義社会の中でヘトヘトにならないための術を教えて下さるのは、佐藤さんがキリスト教徒だからなのだと、私は思います。知性と教養を、身につけること。そして、家庭もしくは直接的人間関係、すなわち金銭のやりとりが介在しない人間関係の場において、資本主義の奔流から身を守ること。そんな避難場所を佐藤さんは指摘するのであり、「資本論」を学ぶということは、今の日本社会で生き抜く手法を学ぶことであると、気づかされるのです。
私は今まで、なぜ日本では少子晩婚化が進んでいるのかについて、あれこれと理由づけをしてきました。が、
「いま非婚という選択をする人が増え、子どもを作らない人たちが増えるのは、資本主義というシステムが自壊しているプロセスなのだ」
という文章を読んだ時は、自分の中にあるぼんやりとした考えに、一本筋が通ったような気がしたもの。そして自らもまた資本主義の中に組み込まれた一人であることを、改めて深く実感したのです。

(さかい・じゅんこ エッセイスト)



マルクス理論で武装せよ! 的場昭弘


 ガチンコ流
学者や研究者などというものには、努力さえすれば誰でもなれる。しかし知識人には誰もがなれるわけではない。知識人などという言葉は古臭い言葉だが、社会に対してガチンコで喧嘩を挑むものをいう。佐藤優氏はまさにそんな知識人である。ガチンコ勝負の佐藤流は喧嘩殺法でもある。
佐藤氏の喧嘩を強くしているものは、神学とマルクス理論である。神学とマルクス理論には、西洋思想のすべてが含まれているといってよい。だから喧嘩に強くなるにはこの二つをきっちりやればよい。それが佐藤氏の一貫した主張だ。
マルクスがああいった、こういったなどということは、学者に任せておけばいい。佐藤氏がマルクスについてあれこれ語るのは、人々を「今の価値観からの脱出」させるためである。要するに、今もっともらしく見えるものは、マルクス理論のような骨太の思想でみれば、たちどころにその底の浅さがバレるというわけだ。だから、マルクス理論を学んで世間の嘘を暴け、そのために武装せよというのだ。

 宇野派で武装せよ
マルクス理論を学ぶにあたって何をお手本にしたらいいかというと、徹底した純理論にこだわった宇野弘蔵の原理論的読みがいいという。論理学や数学のように、理詰めにキチンとマルクスの理論を追って読むには、マルクスと格闘しつつ、自分の納得いく議論を積み重ねていった宇野が一番いい。これは佐藤氏の神学にも通ずるのであろうか。泥臭いカトリック的議論よりも、透き通ったプロテスタント的議論に佐藤氏がひかれたのもそんなところにあるのかもしれない。
もちろん、宇野派といわれる集団には、その行き過ぎの反動が哲学の不足として突きつけられている。徹底して理詰めに読めば、歴史や文学的なふくよかさが失われる。喧嘩は理論通りにいかないのだ。喧嘩をするには、理詰めと同時に、したたかさが必要だ。佐藤氏のこれまでの経験知は、そうしたふくよかさそのものである。
宇野的に読みながらも、脱線しまくる佐藤氏の議論には、理詰めの陥る危うさを補強する手だてがいくつも講じられている。それがいろいろな例である。もちろん、その経験知の話だけ読めば、爆笑ものだから、途中で反芻しないと何を言っているかがわからなくなる。要注意! なにせ250頁少々の本で、『資本論』全三巻を語るのだから、時にはこうしたあら療法も必要なのだ。

 資本主義は崩壊しないのか?
宇野の原理論の特徴は、資本主義は崩壊せず、好景気、不景気が循環的に繰り返されるという点にある。だから、マルクスから社会主義などというものを原理論の中には入れない。佐藤氏は、資本主義の中でしたたかに生きていくための道具としてマルクスを読めと教える。今を生きぬく力として読めというのだ。それゆえ窮乏化や社会主義に関して佐藤氏はまったく問題にしない。
しかし、窮乏化や資本主義の崩壊論をマルクスから取り去ることは、やはり喧嘩の理論としても迫力を喪失する。マルクス殺法は、まさにこれがあるがゆえに、今でも恐れられ、畏怖されているのである。
宇野はシュンペーターに似ているという表現があるが、資本主義を経済循環論だとして読めば、そう読める。
利潤率の傾向的低落の法則は、資本主義の没落との関連で長い間問題になってきた。シュンペーターの創造的破壊という概念は、それを乗り越える資本主義の切り札だが、いつも創造的破壊がありうるとは限らない。そうなると、賃金を下げることで切り抜けようとする動きも出てくる。最近話題になったピケティというフランスの若い研究者は、『21世紀の資本論』というほぼマルクスの『資本論』に相当する厚さの書物で、資本収入が労働者の賃金収入を大幅に上回る現在では、資本主義の崩壊は避けることはできないと主張している。ことの真偽はここでは問題にしないが、マルクス主義者ではないピケティですら、この亡霊のような利潤率傾向的低落の法則というマルクスの悪夢で、現在の所得格差と資本主義の崩壊を懸念しているのだ。

 新しい世界への願望を
佐藤氏はこの問題をどう考えるだろう。マルクスの経済学は、現在支配的な近代経済学をけ破る、恐ろしい恐怖をうちに含んだ経済学であるともいえる。いやその限りで、マルクスの経済学は経済学それ自身を飛び越えていく運命をもっているともいえる。今の価値観から脱出するには、それを飛び越える新しい世界を創りたいという願望も必要なのだ。次に宇野的読みではない、神学者としての佐藤氏にこの問題を語ってもらいたい。

(まとば・あきひろ 神奈川大学経済学部定員外教授)

波 2014年8月号より [佐藤 優『いま生きる「資本論」』刊行記念特集・資本主義と上手に付き合うために]

酒井順子的場昭弘

金銭に還元不可能なもの 酒井順子


「資本論」の存在は知っていても、読んだことはない。世の中の多くはそのような人かと思われ、かく言う私もその一人。『いま生きる「資本論」』を読んで、「資本論」がどのような書物であるのかを、初めて知りました。同時に、「資本論」がものすごく難しい本であることも、そして自分がそもそも「資本」とは何かすら、よく知らなかったことも。
本書は、佐藤優さんが行った「一からわかる『資本論』」という全六回の講座を、一冊にまとめたもの。読んでいると自分も講座の現場にいるような気持ちになります。
佐藤さんのスピーチを私は聞いたことがあるのですが、会場の人の心を掴む術は、一種魔術的。その目力ともあいまって、身体ごと惹き込まれそうになります。この講座でも、難解な「資本論」の内容と、カジュアルなおしゃべりとの硬軟とりまぜ方に、受講者達の興味は釘付けにされたことでしょう。
そして佐藤さんは、旧ソ連が崩壊し、社会主義から資本主義へと移行する現場に居合わせた方。だからこそ、たとえば「資本主義のスタートにおいては激しい収奪過程がある」といったことの説明に対して、生々しい実例が提示されるのです。
本書には、佐藤さんと受講生とのやりとりも、たっぷりおさめられています。質疑応答はもちろん、毎回課題が出されるので、次の回はそのレポートの講評から講座が始まります。
私も一応、読みながら課題について「私ならどう書くであろうか」と考えてみました。とはいえ「ビットコインは、マルクスが『資本論』で規定するところの通貨か」といった課題に対して、もやもやとした考えしか浮かび上がらない。次の章で紹介される受講者によるレポートのレベルが非常に高く、劣等生気分をうんと味わうものの、しかしこの本は普通に本を読む時とは異なる脳の部分を動かしてくれます。
そして何よりも私にとって刺激になったのは、「金銭に還元不可能なもの」を身につけることの重要性を、佐藤さんが強調されていたことです。古典や小説を読んで想像力や知性を身につけることが、新自由主義や新帝国主義といったものが台頭する中で生きていくには必要なのだ、と。
佐藤優さんは、大学院で神学を学ばれたキリスト教徒ですが、聖書には、
「はっきり言っておく。金持ちが天の国に入るのは難しい。重ねて言うが、金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい」(マタイ19―23~24)
というイエスの言葉が記してあります。この時の言い方の強さを見ても、金持ちがキリスト教の天国に行く資格は全く無さそうなのです。
しかし貨幣所有者が、そのお金を増やそうとしないなどということはあり得ないということを、私はこの本で知りました。その動きはもう、貨幣の中に織り込まれている「恋」のようなものなのだ、と。
だとするならば、アメリカのような国がキリスト教国であることには、大いなる矛盾、というか皮肉を感じざるを得ません。日本においても、キリスト教徒って何だか、お金持ちが多いしなぁ……。
資本主義社会の中でヘトヘトにならないための術を教えて下さるのは、佐藤さんがキリスト教徒だからなのだと、私は思います。知性と教養を、身につけること。そして、家庭もしくは直接的人間関係、すなわち金銭のやりとりが介在しない人間関係の場において、資本主義の奔流から身を守ること。そんな避難場所を佐藤さんは指摘するのであり、「資本論」を学ぶということは、今の日本社会で生き抜く手法を学ぶことであると、気づかされるのです。
私は今まで、なぜ日本では少子晩婚化が進んでいるのかについて、あれこれと理由づけをしてきました。が、
「いま非婚という選択をする人が増え、子どもを作らない人たちが増えるのは、資本主義というシステムが自壊しているプロセスなのだ」
という文章を読んだ時は、自分の中にあるぼんやりとした考えに、一本筋が通ったような気がしたもの。そして自らもまた資本主義の中に組み込まれた一人であることを、改めて深く実感したのです。

(さかい・じゅんこ エッセイスト)



マルクス理論で武装せよ! 的場昭弘


 ガチンコ流
学者や研究者などというものには、努力さえすれば誰でもなれる。しかし知識人には誰もがなれるわけではない。知識人などという言葉は古臭い言葉だが、社会に対してガチンコで喧嘩を挑むものをいう。佐藤優氏はまさにそんな知識人である。ガチンコ勝負の佐藤流は喧嘩殺法でもある。
佐藤氏の喧嘩を強くしているものは、神学とマルクス理論である。神学とマルクス理論には、西洋思想のすべてが含まれているといってよい。だから喧嘩に強くなるにはこの二つをきっちりやればよい。それが佐藤氏の一貫した主張だ。
マルクスがああいった、こういったなどということは、学者に任せておけばいい。佐藤氏がマルクスについてあれこれ語るのは、人々を「今の価値観からの脱出」させるためである。要するに、今もっともらしく見えるものは、マルクス理論のような骨太の思想でみれば、たちどころにその底の浅さがバレるというわけだ。だから、マルクス理論を学んで世間の嘘を暴け、そのために武装せよというのだ。

 宇野派で武装せよ
マルクス理論を学ぶにあたって何をお手本にしたらいいかというと、徹底した純理論にこだわった宇野弘蔵の原理論的読みがいいという。論理学や数学のように、理詰めにキチンとマルクスの理論を追って読むには、マルクスと格闘しつつ、自分の納得いく議論を積み重ねていった宇野が一番いい。これは佐藤氏の神学にも通ずるのであろうか。泥臭いカトリック的議論よりも、透き通ったプロテスタント的議論に佐藤氏がひかれたのもそんなところにあるのかもしれない。
もちろん、宇野派といわれる集団には、その行き過ぎの反動が哲学の不足として突きつけられている。徹底して理詰めに読めば、歴史や文学的なふくよかさが失われる。喧嘩は理論通りにいかないのだ。喧嘩をするには、理詰めと同時に、したたかさが必要だ。佐藤氏のこれまでの経験知は、そうしたふくよかさそのものである。
宇野的に読みながらも、脱線しまくる佐藤氏の議論には、理詰めの陥る危うさを補強する手だてがいくつも講じられている。それがいろいろな例である。もちろん、その経験知の話だけ読めば、爆笑ものだから、途中で反芻しないと何を言っているかがわからなくなる。要注意! なにせ250頁少々の本で、『資本論』全三巻を語るのだから、時にはこうしたあら療法も必要なのだ。

 資本主義は崩壊しないのか?
宇野の原理論の特徴は、資本主義は崩壊せず、好景気、不景気が循環的に繰り返されるという点にある。だから、マルクスから社会主義などというものを原理論の中には入れない。佐藤氏は、資本主義の中でしたたかに生きていくための道具としてマルクスを読めと教える。今を生きぬく力として読めというのだ。それゆえ窮乏化や社会主義に関して佐藤氏はまったく問題にしない。
しかし、窮乏化や資本主義の崩壊論をマルクスから取り去ることは、やはり喧嘩の理論としても迫力を喪失する。マルクス殺法は、まさにこれがあるがゆえに、今でも恐れられ、畏怖されているのである。
宇野はシュンペーターに似ているという表現があるが、資本主義を経済循環論だとして読めば、そう読める。
利潤率の傾向的低落の法則は、資本主義の没落との関連で長い間問題になってきた。シュンペーターの創造的破壊という概念は、それを乗り越える資本主義の切り札だが、いつも創造的破壊がありうるとは限らない。そうなると、賃金を下げることで切り抜けようとする動きも出てくる。最近話題になったピケティというフランスの若い研究者は、『21世紀の資本論』というほぼマルクスの『資本論』に相当する厚さの書物で、資本収入が労働者の賃金収入を大幅に上回る現在では、資本主義の崩壊は避けることはできないと主張している。ことの真偽はここでは問題にしないが、マルクス主義者ではないピケティですら、この亡霊のような利潤率傾向的低落の法則というマルクスの悪夢で、現在の所得格差と資本主義の崩壊を懸念しているのだ。

 新しい世界への願望を
佐藤氏はこの問題をどう考えるだろう。マルクスの経済学は、現在支配的な近代経済学をけ破る、恐ろしい恐怖をうちに含んだ経済学であるともいえる。いやその限りで、マルクスの経済学は経済学それ自身を飛び越えていく運命をもっているともいえる。今の価値観から脱出するには、それを飛び越える新しい世界を創りたいという願望も必要なのだ。次に宇野的読みではない、神学者としての佐藤氏にこの問題を語ってもらいたい。

(まとば・あきひろ 神奈川大学経済学部定員外教授)

著者プロフィール

佐藤優

サトウ・マサル

1960年生れ。1985年、同志社大学大学院神学研究科修了の後、外務省入省。在英大使館、在露大使館などを経て、1995年から外務本省国際情報局分析第一課に勤務。2002年に背任と偽計業務妨害容疑で逮捕・起訴され、東京拘置所に512日間勾留。2005年2月執行猶予付き有罪判決を受ける。2009年6月に最高裁で上告棄却、執行猶予付き有罪確定で外務省を失職。2013年6月に執行猶予期間を満了、刑の言い渡しが効力を失った。2005年、自らの逮捕の経緯と国策捜査の裏側を綴った『国家の罠―外務省のラスプーチンと呼ばれて』で毎日出版文化賞特別賞を受賞。以後、作家として外交から政治、歴史、神学、教養、文学に至る多方面で精力的に活動している。主な単著は『自壊する帝国』(新潮ドキュメント賞、大宅壮一ノンフィクション賞受賞)、『獄中記』『私のマルクス』『交渉術』『紳士協定―私のイギリス物語』『先生と私』『いま生きる「資本論」』『神学の思考―キリスト教とは何か』『君たちが知っておくべきこと―未来のエリートとの対話』『十五の夏』(梅棹忠夫・山と探検文学賞受賞)、『それからの帝国』など膨大で、共著も数多い。2020年、その旺盛で広範な執筆活動に対し菊池寛賞を贈られた。

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